第70話 黒歴史とは意識して作るものではない。気づいたらできているんだ。
ある土曜日。そろそろ東京も梅雨入りしそうな時期で、この間みたいなことがないようにカバンには常に折り畳み傘を常備する頃合いになった。この日も栗山さんは昼前に来て僕の家でゴロゴロと漫画を読んでからバイトに向かった。……最近、僕のベッドで平気で寝転がるようになったから本格的に馴染んできたように思える。
栗山さんがいない間に綾がやって来て、例のごとくご飯を作り始める。……最近、僕自炊をしていない気がするのは気のせいだろうか。あと、綾。あからさまにため息つかない。汚いものを見るような目で僕と栗山さんの荷物を見るんでない。辛くなるだろう。目線が完全に「まだ付き合ってないのに休日の昼間からイチャイチャしているんですか」的なものになっている。
「それで……まだ付き合ってないんですか? よっくん」
台所と部屋を繋ぐドアを開けた状態で、料理をしている綾は僕に背を向けながらそう話しかけてきた。
「……まだ、です」
「あれだけ格好つけて『せいぜい十年後……僕が後悔するくらい『いい』女になるんだね……』って啖呵切ったくせに」
「……やめて、あのときの台詞一言一句正確に掘り返さないで、僕かなり恥ずかしいこと言った記憶あるから」
あの病院での場面は僕もどうかしていたと思う。今思い返すと恥ずかしい。ベッドの上で時折悶えるほどには。そして現在進行形で体育座りしながら僕は悶えています。
「他にもありましたね、えっと確か、『じゃあ、彼氏ができたら僕のところに連れてくるんだね、兄貴として相応しいかどうか見極めてあげるからさ』でしたっけ。いやー、白々しいですね、幼馴染の彼氏を選定するならまず自分に彼女を作れよって話ですよね、よっくん」
「お願いしますもう許してください」
っていうかなんでそこまで正確に覚えているんだよ。むしろそっちのほうが怖い。
「あーあ、挙句晩ご飯作りに来た私をドアチェーンで締め出すし。あのときの気持ち、よっくんにはわからないんだろうなー、あ、でもずっと幼馴染の気持ち無視し続けた人ですもんね、仕方ないですね」
僕ってもしかして一生このネタで綾にいじられ続けるのだろうかと、背筋に冷たいものが走る。
「……その節は大変失礼しました……」
「で、いつになったら付き合うんですか? おふたりは」
「……機が熟したら」
「多分出会ったときからじゅくじゅくに熟してますよね? なんならちょっと食べごろ過ぎたんじゃないですか?」
ぐうの音もでない。
「……今は栗山さんもよっくん好き好きオーラ隠さずに生きているんで大丈夫だと思いますけど、来年からあの人就職するんですよね? そこんところ考えているんですか? 価値観の差異って結構大きいと思いますよ?」
追撃が来て僕ノックアウト。
「それに、栗山さん、見た目も性格もふわふわしているので、色々心配というか。簡単に悪い男の人に騙されて……ってのが想像つきます」
女子高生に心配される女子大生って……気持ちはわかるけど。
「というか、あの人今も大丈夫なんですか? 飲み会とか参加するんですよね? 色々と。さすがにずっとよっくんにべったりってことはないですよね?」
「…………」
僕の沈黙で察したのか、綾は一瞬僕のほうをチラッと向いた。そしてため息をあからさまに僕に聞こえるようにつき、
「それで付き合ってないって……ドMなんですか? よっくん」
「……僕はMじゃないよ」
「どちらかと言うとS寄りな本持ってますもんね」
「……え、え?」
「まあ、何はともあれいつまでもそんなよくわからない関係にいると、そのうち誰かにさらわれるかもですよ? よっくん」
「う、うん。それはいいんだけど、ちょっと待って、聞きたいことがあるんだけどいいかな」
背筋に加え肝まで急速に冷えているんだけど……。
「あ、よっくん。今晩はロールキャベツですよ」
「話逸らさないで、ねえ、聞いて」
「ちゃんと栗山さんの分も作っているので、今日は三人で食べられそうですね?」
うん、僕の幼馴染、いい子。いい子なんだけど、さ?
「どうして──」
「あ、そうだよっくん、そんなに付き合ってくださいって言いにくいなら、いっそどこかに遠出するとかはいいんじゃないですか? ホテルとか泊まっての旅行で。なら雰囲気でるかも」
悲報。多分幼馴染、僕の性癖を掴んだ。
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