第66話 嫉妬に狂った男はわけわからないこと言いだすから温かい目で見てやって。
大学に到着し、3号館の片隅にある超小教室に入る。語学で使う五十人教室よりも半分以上狭い、もはやゼミ専用の教室だ。
早めに来ていた同じゼミ生数人が、既に机を口の形に移動してくれていたようで、僕はそのまま教室後ろ側の空いた座席に座ろうとする。
「おはよう、上川君」
と、窓側に位置を取っていた古瀬さんが僕に声を掛ける。バレンタインのときに話していたように、彼女と同じゼミになった。
「おはよ、古瀬さん。あれ? 一限あるんじゃなかった? 休講?」
「うん……いつも通り出たら、一限の教室でそれ知って……もう少し寝られたんですけど……」
今でこそただの友達、っていう関係の僕と古瀬さん、深く関わりだした当初よりは自然に話せるようになったと思う。相談者被相談者の関係から、言ってみればランクアップしたわけだから、それはそうか。
「ああー、それあるよね、家出る前に休講情報チェックする大切さを思い知る瞬間」
なんて一時の談笑をしていると、僕の後ろからどす黒いオーラを身に纏った男が近づいて来る。
「上川あ、お前だけは俺を裏切らないと信じていたのに。あの可愛らしい女の次は、俺らチェリーズ同盟を勝手に破棄しやがった島松の彼女にまで手を出すってのか?」
顔は笑っているが口調がマジだ。……やばい、星置の前で女子と話すと嫉妬をはらむ目で見られる……。
ちなみに、星置も僕や古瀬さんと同じゼミを取っている。さらに言うと島松は社会学専攻だからこのゼミにはいない。
「別にそんなんじゃないし、そもそもなんだよチェリーズ同盟って、初耳なんだけど」
「大学卒業するまで(女と関わる機会を)持たず、(彼女を)作らず、(合コンなどの話を)持ち込ませずの三箇条を忘れたのかっ」
「……その括弧書きの中身は何だ括弧書きは」
「まあ、百歩譲って古瀬さんと下心持った状態で仲良く友達ごっこするのはいいとしよう」
……おい、その言い方はやめろ、色々面倒になるだろ。こいつ、男女間の友情は成立しないって思っているクチだな。
「あの京王線で一緒に乗っていた可愛らしい女は何者だ! 彼女か? 彼女なのか? 返答次第では今後国交断絶も視野に入れた外交をするぞ」
……見ていたのか。そういえば、星置も京王線ユーザーだっけか……。しまった各駅停車に乗ったのが裏目に出たか……。
「……ただの、知り合い?」
僕が異性と話すだけで嫉妬に狂う星置に、まさか家に来てしばしば泊まっていますとか言ったらまじで大騒ぎしそう。面倒だから適当に誤魔化しておこう……。
「嘘つけ、あんなにべったり隣りあわせに近づいて座って何がただの知り合いだ、あんなの彼氏彼女の距離感だろっ」
「え? 上川君って彼女さんいたんですか?」
……古瀬さん、さすがにその言い方は傷つく。悪気はないと思うけどね。うん。
「あれだよ、野良猫が懐いたみたいな?」
「わけがわからない説明をするなっ、説明責任を果たせ上川っ、貴様はチェリーズ同盟を無視し朝から俺の前でいちゃつきやがってこんちくしょう……!」
あまりにも星置が大きな声でわめくので、他のゼミ生にも話を聞かれてしまう。
「えーなになに? とうとう誰にでも優しい男上川に春が来たのか?」「誰だよどこの人だよ教えろよー」「写真くらいあるでしょー? 見せてよー」
と、教室にいるゼミ生全員……つまり僕含め六人が近くに集まる。男子四人女子二人と、国文学専攻にしては珍しく男女比が逆転しているのも、きっと星置が発狂している理由のひとつだとは思う。……古瀬さんも、もう一人の女子も彼氏持ちだからね。文学部だからって、女子と関われると思ったら大間違いだっていうのは、既に証明されている。大体他学部のイケメン男子に取られるからね(星置談)。
と、教室の後ろ側でワイワイやりだすと、
「おーしそろそろ始めっぞーって、なんだ珍しく賑わっているなー」
教授の宇田先生がそう言いつつ教室に入る。面白そうなものを見る顔をして、
「どうしたどうした、まーた星置が何かやらかしたのかー?」
「なんで俺が何かやらかしたってことになるんすか先生っ」
「ははは、俺の偏見」
「ひどくないっすか? 先生……」
「まあまあ。今日の発表は誰だー? レジュメ配ってくれー」
と、なんとか授業が始まり僕は星置の追及から逃れることに成功した。
……今度から、京王線に一緒に乗るときは気をつけよう。
「……もし、本当に彼女さんいるんだったら、会ってみたいかも……です。この間のお二人のどっちか、だったりするんですか?」
席に戻る際、古瀬さんがそう僕に囁く。
「……まあ、彼女になったら、ね」
忸怩たる思いで、僕はそう答える。もしかすると、一生来ないかもしれないから……。
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