第58話 能天気だって思われている人ほど実は繊細で、大抵人の裏の内面ってやつは表にする人柄と裏返しになっていることが多い。例外もあるけど。

「ありがと、ここでいいよ」

「ちゃんとご飯食べるのよ、いい?」

「うん、気をつける」

 母親の運転する車で病院から自宅近くまで送られたところで、僕は車を降りた。


 ──だから、会いに行ってあげてください。上川君。


 一時間前に聞いた古瀬さんの一言。

 一体その言葉を言うために、どれだけの時間を掛けたというのだろう。

 たった一言、そのためにどれだけの労力を費やしたというのだろう。

 僕が何週間かけても連絡すら取ることができなかった栗山さんを、わずか数日で会うようにするなんて。

 そもそも、古瀬さんと栗山さんは面識がない。それを言ったら綾もそうだけど、……って考えると古瀬さんすごくね……?

 一週間も歩かないと久し振りに思えてしまう一人暮らし先近辺の道。お世話になることも多かったファムリーマートの看板が見えてきた。

 ひょこりと周りの建物のなかでひときわ目立つそのコンビニの看板が大きくなるにつれて、僕の心臓の鼓動も大きくなってきた。

 ……落ち着け、相手はあの栗山さんだぞ。何を緊張する必要がある……。

 って、言い聞かそうとしても僕の緊張言うこと聞いてくれないよお……。どうしようもなくて困っちゃうよまったく。

 こうなった責任は、僕にあるから、気まずくもなるし緊張もする。全部自分のせいだから受け入れないといけない。

「よし」

 ファムリーマート前の横断歩道、着替えなどが詰まったリュックを背負い直し、僕は覚悟を決めてアパートの敷地へと足を踏み入れた。


 スーツを着込んでいる茶髪のツインテールの彼女を見つけるのに、時間を必要とはしなかった。

 古瀬さんから返してもらったのか、栗山さんが僕にあげたはずの手編みの水色マフラーを巻いているその先輩は、足音に気がついたのか、視線をこちらにひょいと向ける。

「か、上川くん……ひ、久しぶりだね……」

 音符が語尾につきそうなくらい明るい普段の彼女の口調はすっかり影をひそめ、どこか距離感を推し量るような、そんな調子で声を掛けてきた。

「……久し振りですね、栗山さん」

 多分、こんな出会いかたをしていたら、普通のラブコメが始まったのだろう。これくらい普通だったら、拗れることもなかったんじゃないかって、場違いながら思ってしまう。

 僕の家のドアの前。向かい合うようにして、僕と栗山さんは話し始める。

「いやぁ……ね、上川くんのお友達っていう女の子が地元の駅でいきなり『あなたが栗山由芽さんですか?』って聞かれたときはどきどきしちゃったよー。あれ、わたし何か悪いことしたっけなーって」

 ……犯罪、っていう意味では家主の許可なく一度住居に侵入していますよね。悪いことはしていますよ、あなた。

「会うなりすぐに『上川君に会ってあげてください、喧嘩とか、すれ違いが起きているなら原因はきっと私にあるんです、彼は悪くないんで、話だけでも』って何度も何度も言われたらさ」

 空気を軽く切り込むように、会うしかないよね、って彼女は続けた。

 古瀬さん……そこまでしていてくれたの……?

「それに、ひどいなあ上川くん、せっかく私が作ってあげたマフラー、別の女の子に貸しちゃうなんて。……まあ、上川くんの片想い相手だったからね、その女の子」

 ……やはり、栗山さんは気づいていた。まあ、僕が振られてもいないのに振られていたことを知っていたのは、僕や古瀬さんと同じ、金曜三限の授業を取っていたから。

 栗山さんが古瀬さんの顔を知らないはずないのだから。逆は考えにくいけど。

「……すみません、僕……栗山さんに、八つ当たりしちゃって」

「知ってるよー。……だって、本当に迷惑だって思っているなら、あんなに関わり合いになってくれるはずないよね。でも、あまりにも上川くんが本気で言っているみたいに聞こえたから……びっくりして逃げちゃったけどね」

 はあと白い息を両手に吹きかけて、彼女は続ける。

「……すぐにきっと何かの間違いだって考えるようになったよ? でも、ね。上川くんの幼馴染ちゃんにいつか言われた、強引に泊まっているだけなんじゃないですか、そのいいよを、栗山さんが言わせているってことはないんですかって言葉が、引っかかってね」

 僅かな間を持たせ、似合わない申し訳なさそうな苦笑いを浮かべる。

「気づいたら、会いに行くのが怖くなっちゃったんだ。……高校のときに転校した友達みたいに、もう一度迷惑だって言われるのが、怖かったから」

 少し赤くなった鼻を掻きながら、昔のことを思いだすかのように、栗山さんは話を展開していった。

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