第57話 鶴の恩返しならぬ、古瀬さんの恩返し。

 綾が来てから数日。もともとそんなに病院にお世話になることが少なかった僕は、あっという間にピンピンし始め、入院生活を持て余すようになった。それこそ、家に大量に積んでいた未読の漫画をほぼほぼ消化しきるぐらいには。

 そろそろ病院食にも飽きてきた頃に、退院してもいいでしょうという話が来た。三日後に。

 暇だ暇だと言うけれども、毎日誰かしら会いに来てくれるもので、母親は毎日、綾もなんやかんや学校が終わるとすぐに寄ってくれる。……綾の高校の近くの病院に入院していたそうで。そして、あろうことかゲーマー島松も毎日来てくれた。多少なりとも、原因があったと感じているのかもしれない。一度きりだが、星置(忘れてない? あのリア充爆発しろって叫んでいた彼)も僕の顔を見に来た。……というよりあれは冷やかしか。

 ただ、古瀬さんだけはこれまで一度も僕の病室の扉を開けることがなかった。彼女の性格なら一度くらいなら来そうなものだけど、余程忙しいのだろうか、島松にそれとなく聞いてみると「……まあ、色々やってるみたいだよ」とやんわり誤魔化される。実際、綾のことを説得というか、僕のもとに連れてきたことからして、相当動き回っているのだろうけど。


 病室に置かれている花瓶の花が八度目の差し替えを済ませた日。僕が、退院をする日のこと。

 荷物を持って、いざ病室を後にしようとしたタイミングで、息を切らせた古瀬さんが僕の目の前に飛び込んできた。

「ふっ……古瀬さん……?」

「よ、よかった……ま、間に合いました……」

 彼女がここまで能動的に慌てていることが珍しくて、目を丸くしてしまう。古瀬さんは僕の顔を見るなり、勢いよく頭を下げた。それは、綺麗な九十度で。

「ごっ、ごめんなさいっ」

 ……え? 何? 僕告白もしていないのにまた振られたの? 二度目だよ?

 控えめなところが節々に目立つ彼女らしからぬ行動に、僕はさらに困惑し、頬をポリポリと掻く。

「ど、どうかした? 古瀬さん……?」

「そ、その……見るつもりはなかったんですけど……上川君のスマホの、ラインの画面を見ちゃって……」

 へ?

「画面が付けっぱなしのまま、倒れていて、指が反応していたのか自動でスリープになる設定になってなかったかはわからないですけど、ラインの画面が表示された状態で放置してあって……見ちゃったんです」

 ……ああ、確かに僕、スマホに自動スリープ機能設定してない。なるほど、こういうときに他人にスマホの中身見られてしまうのね。

「……返信が来ていない、メッセージが二人もあること」

 未だ頭が下がったまま、彼女は話を続ける。

「見ちゃいけないってわかってはいたんです。でも……相手の方から、返事が来なくなった時期と、私が上川君に泣きついた時期が近くて、もしかしたら、上川君が私のことで忙しくなったから、こうなっているんじゃなかって……思って」

「……古瀬さんのせいでこうなったわけじゃ」

「でっ、でも……負担にはなったはずです、確実に、上川君の」

 …………。

「だっ……だから、仲直りのきっかけだけでもって思って……幼馴染の子にも連絡を取ったし、上川君の先輩にも、なんとか会うことができた」

「え……? どうやって……」

「幼馴染の子は、ラインのプロフィールに高校の名前書いていたので、一発でした。会うにまでこぎつけるのが大変でしたけど……」

 まだ頭を下げたまま、古瀬さんは話し続ける。

「あ、あと……上川君の先輩も」

「……ほんとに言っている?」

「……私のせいで、色々ぐちゃぐちゃになっちゃったと思うので……せめて、このくらいはって……」

 しばしの間、僕と古瀬さんの間で無言の時間が流れる。「頭上げてよ、古瀬さん」という僕の一言で、ようやく彼女はこちらをはっきりと向いた。

「……だから、会いに行ってあげてください。上川君。……今日も、企業説明会らしくて、病院には行けないらしいですが、待ってるって……そう、言っていたので……」

「……もしかして、その説得をしていたから……」

「そうです、ね……。一度もお見舞い行かないのは申し訳なくなりましたけど……自分が上川君を頼り過ぎたことで起きたことだったので……どうにかしたくて。それで……ここにはなかなか来れなくて」

 空いた口が塞がらないとは、このことかと思った。

 突然やって来た彼女は、僕にとんでもないニュースを持ち込んできたのだから。

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