第54話 あの無意味なくしゃみも一応伏線。あからさまだけど。

 すぐに近くのATMに行ってお金を下ろしてチャージするなりすれば、まだ間に合ったのかもしれない。でも、追いかけたとて、さっきみたいに拒絶されてしまうのなら、意味がないのではと思ってしまう。

 所詮……僕はただのいいひと、か……。善意の皮を被った偽善野郎で、最終的には自分のことしか考えていない。優しいわけではない。ただの、いいひと。

 きっと、栗山さんと綾に対しては素に近い僕でいられたんだと思う。そこが古瀬さんとの決定的な差だ。だから……二人と喧嘩もとい八つ当たりをしてから、こんなに調子がよくないというか、心が沈んでいるというか。

 券売機横に立ちすくむ僕に、一通のラインが届く。画面をつけて、中身を確認すると、「無事仲直りできました、ありがとうございました!」っていう一緒にゲームに興じている島松と古瀬さんの写真付きのメッセージがあった。

「……終わり、か……」

 スマホを持つ手をだらんとぶら下げ、僕は斜め十五度に目線を上げ、遠くの景色を眺める。

 仲直りさせなかったら……僕にもチャンス、あったのかなあ……。

 そうしたら、もうきっぱり栗山さんのことも、綾のことも考えなくて済んだかもしれないのに。

「まさか……」

 古瀬さんにトドメを刺されるとは、思ってなかったよ……。

 蟻地獄にはまったように、ずるずるずるずる深みに落ちていくのが自分でもわかる。なんとかしよう、なんとかしようともがけばもがくほど、終わりに近づいていて。そして、今、笑顔の古瀬さんにひょいと底へと押された、そんな気分。

 視界が少しずつ、濁っていく。泡と、闇と、砂と、そもそもの視野が狭くなることで、見えるものが見えなくなっていく。

「……帰る、か……」

 色々躓きつつ寒さに震えつつ、失意のもと僕は八王子の家へと戻っていった。


 家のお風呂に浸かりつつ、ぼんやりとこれからのことを思案する。足を伸ばしては入れない程度の広さの湯船、体育座りで顔の半分をお湯に埋めて、しばらく悩む。

 浴室の窓からは、同じ春休みで飲み会終わりだろうか、若い男たちの酔い気味の大きな声が流れこんで来る。

「……ぶくぶく」

 うっさいなあとお湯のなかで呟いた。

 ……綾に、なんて言えば……。

 開き直って……恋愛対象じゃないよ、女として見てないよ見れないよって言えば、なんらかの形で決着はついてくれるのかな……。結末が、どうなるかは知らないけど。それこそ、ナイフで刺される結果になるかもしれないけども……。前科あるからなあ……綾は。

 まあ、綾はそれでどうにでもなれっていうことにしよう。……栗山さんは、居場所がわからないし電話もラインも返らないから処置なしなんだよ現状……。バイト先はわかっているからそこを張って姿を現すのを待つのも手だけど、就活中の栗山さんがそもそもシフトを入れているかどうかも不透明で、張るって言ったら途方もない時間を費やさないといけなくなる。

 現実的ではない……んだよな。

 僕も栗山さんみたいに「えへへー、来ちゃった」的な無神経さがあれば……。こんなに悩まなくてもよかったのになあ……。栗山さんが羨ましい。

 手段がしかし、バイト先と最寄り駅しかないから……これは綾と同様に最寄り駅で待ち伏せが一番当たりをつけられるかな……。

 何日、かかるか……。でも、僕が蒔いた種だし……僕がどうにかしないと。

 とりあえず、明日からは長津田駅で栗山さんを待ってみよう、綾は……一旦冷却する時間を置いてからもう一度会って、改めてさっき決めたことを話そう。

 それでどうにもならなかったら、もう、終わりだ。

「……よし」

 考えることも考えて、湯船から上がりお風呂場を出た瞬間だった。

「あ……れ……?」

 長湯したからだろうか。湯あたりでもしたのだろうか。それとも、立ち眩みだろうか。

 突如視界が真っ暗になって、体を支えることもできずに僕は洗面所に倒れこんでしまう。その際何かを引っかけて落としたみたいで、バタンと鈍い音が重なる。

 そういえば……ここ五日くらい、まともなもの食べてなかったっけ……あのクリームシチューも手つけられてないし……冬とは言え、常温で何日も放置したらアウトかな……。

 おかしいな……立ち眩みなら、二十秒くらいすれば収まるはずなのに……立ち上がれない……? しかも服を着れてないから、バスタオルしか体にかかってなくて寒いなあ……。

 消えた視界とともに、意識もどんどん遠ざかっていく。


 天罰かなあって、薄々感じながら僕は。

 そのまま気を失ってしまった。

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