第49話 募り募った感情が、積もり積もった過去を否定させる切なさったらない。
「……ねえ、よっくん……。いつになったら、私が、何歳になったらちゃんと恋愛対象に入れてくれるんですか? 十六歳? 十八歳? 二十歳? ……それとも、四つも年下だと、ずっと駄目なんですか……?」
僕の目の前に立ちふさがるようにして綾は問いかける。視界の端に映りこむ右手はやはりぷるぷると震えていて、スカートの裾を握る左手には力が込められているのがよくわかる。
「私はっ……! ずっと本気なのに……! 恋に恋してとかそんなんじゃない、ちゃんと……よっくんだから好きになったのに……!」
始めは綾の顔を直視できていた。しかし、次第にそれもできなくなっていく。
綾の表情が、今まで、一番真剣なもので、僕から答えを引き出すまで絶対に譲らない、そんな決心が透けて見えたから。
「なのに……よっくんは全然私のこと見てくれないっ!」
「……そんなこと──」
「あるんです! 見ている振りをしているだけなんです、見てたとしても、それは妹としての目線なんです!」
何も言い返せない。図星だから。
「よっくんにとって、私はもう妹でしかないんですか……? 何をどうやったって……その目線は変わらないんですか……?」
「それは……」
答えに言い淀んでしまう。このまま「うん」と頷いていいのだろうか、と悩んでしまう。
「もし……そうだとするんだったら……こんな立場、幼馴染なんて立場、いらない……」
蚊の鳴くような大きさで綾は呟き、そして続ける。
「私の面倒見るために、同級生と遊ぶことも我慢して、クラスの人にロリコンって後ろ指さされても私の面倒何一つ嫌な顔せずに見続けて、私が反抗期になってよっくんに冷たく接しても何も言わずにそれでも様子だけは見てくれて……! そんな過去、全部……ぜんぶぜんぶいらないです……! だって……そうじゃなかったら……よっくんはよっくんじゃなくて、今頃上川先輩って呼べて……!」
ああ、なんて悲しい叫びなんだろうって。四歳差の僕らが、同じ学校に通えるのは小学校だけだ。共通のスポーツ、習い事もしていない僕らが、先輩後輩の関係になることなんてありえない。
「幼馴染」というか細い糸がなければ、繋がることがなかったのに、綾はそれすらも否定してしまう。否定するほど、思い悩んだんだ。
そして、そこまで思い悩ませたのは、紛れもなく僕で。
「よっくんは優しいから……きっと他の人のことで頭がいっぱいなのかもしれないですけど……それでも……少しは、ほんのちょっとでもいいから……」
部屋中にある空気を思い切り吸ってから、綾は最後にこうぶつけた。
「私のこと、女として見てください……!」
そして、綾は着ていたエプロンを脱いで、台所の隅に置いていたカバンにしまうと、そのまま上着を羽織って家から出て行ってしまった。
バタンと乱暴に閉められたドアの音が、しばらく僕の耳から離れなかった。
綾が作っていたクリームシチューの香りがほのかに漂うなか、おぼつかない手つきで僕はテーブルに放置していたチョコのラッピングを開けた。
五つほど入った型抜きチョコがパラパラと落ちて、それと一緒に折りたたまれた一枚のカードが入っていて、遅れてはらりと僕の手元に舞い降りた。無意識のうちにそれを広げると、
本命ですからね、よっくん
と、形の整った綺麗な文字で書かれたメッセージが、目に入る。
「なんだよ……」
じゃあ、僕が綾と会ってすぐにあのチョコの中に入っていたカードは何? って聞かない時点で、
「僕がチョコ食べてないことに気づいてたってわけかよ……」
なのに、綾は表情ひとつ自然なまま、僕を水族館に誘っていたっていうのか……?
それに気づくと、途端に綾に対して申し訳ない気持ちが生まれ始めてきた。
震え出す手で僕はチョコを包んでいるラップを外し、ひとつ口に含む。大事に大事に嚙みしめていくと、僕の好みの、少し苦い風味がほどよい感じに広がっていく。
「しかもさ……美味しいしさ……」
ここずっと……ほんと酷いよ……僕。何もかも酷いよ。裏目に出たとか、上手くいってないとか、そんな庇うようなニュアンスを含む言葉で形容できないくらい、酷いよ……。
僕はポケットからスマホを取り出す。ロック画面には、綾からの「何時に帰ってきますか?」「今日はクリームシチューですよ」という連絡の通知が並んでいて、ますます僕の心を締めつける。見てもらえるかどうかわからないけど、「今日は……ごめん」とだけ送る。
「……でも……じゃあどうしろって……僕はどうするのが正解だったんだよ……」
一人ぼっちの部屋、僕の気分は間違いなく、最低最悪に近かった。
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