第48話 導火線引火準備よし。
家に帰ると、もうすでに綾は僕の家に来ていてご飯を作っている途中だった。
「あ、おかえりなさい、よっくん。今日も……またコーヒーの香りがします、最近喫茶店行き過ぎじゃないですか?」
「ただいま……ちょっと色々あってね……」
靴を脱ぎながらそう返す。……何気にご飯を作ってくれるのはこのタイミングではありがたい。もうコートについた香りから綾が僕の出かけ先を当てるのに驚きもしなくなってしまった。きっとこうやって人は慣れていくんだろう。
慣れ……か。
栗山さんと会わなくなってからもう二週間以上が経過した。ここ数日は古瀬さんの対応で全然栗山さんのことに触れられていない。
あの少し間が抜けた緩い声と、ふわふわとした緩い笑顔、雰囲気が恋しい、というか。
洗面所で手を洗い、うがいをして、ここ最近使われていないコップとピンク色の歯ブラシをチラッと一瞥する。頻繁に泊まるようになってから「紙コップいちいち使うのももったいないし、わたしの歯ブラシとコップ、置いちゃうねー」と言い勝手に僕のコップの隣に置いたものだ。
いつも通りなら栗山さんのその行動ひとつにイラっと来たりもしたけど、今となってはそれすらも微笑ましい光景だったんじゃないかって思えてくる。
「……でも、今はまず古瀬さんと島松の問題をどうにかしないと……」
栗山さんは個人の問題だけど、古瀬さんの件は僕の過失で起きた他人の問題だ。これを放っておくことは絶対にできない。島松とのトーク画面を呼び出して「明日、家に遊びに行っていい?」と連絡を送る。少しして「いいよ、何時くらいに来る?」と返信が来る。「じゃあ午後の二時に向かうね」とだけ送り返して僕は画面を閉じる。
ふう……明日のアポは取れた。これであとは、島松から話を引き出すだけ。
小さくため息をつき、部屋に飾ったフィギュアを眺める。
そもそもの出会いは、あのフィギュアが届いたときだっけなあ……。
「なんか、最近何か思いつめていません? よっくん」
僕がそう感慨にふけ始めると、台所からひょこりと綾が顔を覗かせこちらを向いている。
「……火の元見なくていいの?」
「クリームシチューなんですが、もう完成なんで大丈夫です」
「そっか」
「……それより。……大丈夫ですか?」
「……そう見える?」
「何年間よっくんの幼馴染やってると思ってるんですか? ……それくらい、わかります」
「……綾には、敵わないな……」
「最近、栗山さんここに来ていないですよね? 何かあったんですか?」
気づかれている。何も言っていないのに。
「だって……あの人の香水の匂い、二週間くらいしないんです。気づきますよ」
うん、それは単に綾の嗅覚が凄いだけだと思うけど、突っ込むのは無粋だと思うのでしないでおく。
「まあ、あの人がよっくんから離れるならそれはそれで好都合なのでいいんですけどね。そうだ、よっくん、明日一緒に品川に水族館行きませんか? 先週部活の大会があって遊びに行けなかったので今週はどこか行きたいんです」
明日……は無理、なんだよなあ……たった今予定作ったから……。
「どうせ品川まで行くならお台場とかスカイツリーとか色々見て回りたいなあ、とか。あっ、よっくん、もんじゃ焼き食べたくないですか? もんじゃ焼き──」
「ごめん、明日はどうしても外せない用事があって……」
楽しそうな様子で行きたいところ食べたいものをつらつらと並べていた綾を遮り、僕は告げる。
「……だ、だったらその用事が終わってからでも、夕方からでもちょっとは遊べますし──」
「多分、午後はずっと埋まっているし、明日は……無理なんだ」
僕と綾の間に、気まずい時間が流れる。
「その用事、栗山さん関係なんですか?」
「……違う」
「じゃあ、何ですか?」
「……綾には、関係ないよ」
「関係ないって……それは……ずるいです、よっくん」
氷より冷えた、綾の声が、僕に差し向けられる。
「それ言われたら……もう、私何も言えなくなるじゃないですか……」
顔だけ出していた綾が部屋に座る僕にゆっくりと近づいてくる。彼女は、テーブルに放置されたチョコを見て、悲しそうな声でこう言った。
「チョコ……食べてくれてないんですね」
「それは……色々、立て込んでて……」
「別に、言い訳聞きたいわけじゃないんですっ!」
金切り声、と描写するのが相応しいだろうか、綾は右手をギュッと握りつつ、そう叫んだ。僕はもしかしたら綾すらも、怒らせてしまったのかもしれないと、そのとき思った。
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