第45話 間違いは誰だって犯す。でも、それを絶対にやってはいけないときにやってしまうと悲劇になる。

「……え? どういうこと?」

 言われた状況が理解できずに、僕はスマホの向こう側にいる古瀬さんに尋ね返す。

「き、今日……島松君の家に行ったんですけど、出掛けているみたいでいなくて、ちょっとくらいならって思って待っていたんです……」

 涙で濡れているような、そんな調子で彼女は続ける。少しして、電車の接近音が豪快にマイクに拾われて、一瞬スマホを耳から離してしまう。

「──そしたら……この間行った喫茶店で見た店員さんと一緒に家に戻ってきて……すごく、仲良さそうにしていて……」

 かき消された部分を聞き取ることはできなかったけど、大体の事情は察した。

「もう……どうすればいいか……私……」

 僕はギュッと唇を嚙みしめる。

 ……また、僕はやらかしたのか? ゲームのためじゃなかったのか? 目当ては、そっちだったのか?

 今にも消え入りそうな古瀬さんの声。

 いてもたってもいられなくなった僕は、上着とマフラーをひったくって家を飛び出す。

「いっ、今どこにいる? すぐ行くからっ!」

 転がり落ちるようにしてアパートの敷地内を出て、八王子駅へと駆ける。

「……立川駅の、南口です……」

「オッケ―、待ってて!」

 コートのボタンも閉めず、マフラーも適当に巻いて、僕はひたすら走り続けた。徒歩十分の八王子駅が、五分で着いたのは、どうでもいいけど新記録だったと思う。


「古瀬さんっ……!」

 多摩都市モノレールの立川南駅と、JRの立川駅を繋ぐデッキに彼女は立っていた。いや、立っているというよりは、そこに根が張って動けない、そんな様子にも見えた。

 金曜日の夜、多摩地域ではトップクラスの人の数を誇る立川の街は、様々な人が歩いている。彼女の姿を見つけ、僕は人垣を縫うように近づいていく。周りから奇異な目で見られるけど、そんなこと気にしてはいられない。

「だっ、大丈夫……?」

 古瀬さんの目の前に駆け寄り、俯いている彼女にそう声を掛ける。

 ……大丈夫って何だよ、大丈夫じゃないから電話掛けてきたんだろ。

 それに。僕がきちんとした判断をしていたら、こうならなかったんだから。

 僕は古瀬さんに目線を合わせるようにしてしゃがみ込む。

 次のとき、目に映った光景に僕は息を呑んだ。

 真っ暗な夜空。星なんてひとつも見えないはずなのに。代わりに浮かんでいるのは人工のあかりと、止まることのない車のテールランプ、ヘッドライトの白い、赤い、黄色い、光だけのはずなのに。

 肩口まで伸ばされ透き通るような前髪の隙間から覗く、もうひとつの黒い空から。

 ひとつ、ふたつ。透明な星が降り始めていたのだから。

「ごめんっ……なさい……こんなっ……急に来てくれて……」

 星降る先に視線を移すと、彼女の右手には。

「……っ」

 恐らく今日島松に渡すはずだった水色の袋に赤いリボンで結ばれたチョコレートが、力なくぶら下がっていた。

 みっつ。よっつ。季節外れの流星群のように、星は流れ続ける。

 いつつ。むっつ。たまに大きな波が襲うように、大粒の星が紛れ込む。

 燃え尽きることもできない星の行きつく先には、少しだけ色を濃くしたアスファルトが待ち構えていた。

 時折、泣きじゃくる彼女の涙声が漏れる。

「ほんと……ごめんねっ……上川くん……いつも、迷惑かけてばかりで……」

 いつか見た景色と、同じだ。

 僕は、こうやって古瀬さんを、泣かせてしまった。

 また、繰り返してしまった。

 静かに、だけど確かに涙を落とし続ける彼女は周りの視線を集めてしまうようで、なんだなんだと一瞬立ち止まる人もチラホラ。今日という日付も、きっと影響はしているんだと思う。

「……見世物じゃないんで」

 古瀬さんには聞こえないくらいの大きさで、僕は野次馬に冷え切った声を投げる。

 すると足を緩めた人もさすがに視線を外してどこかに行ってくれる。

 ……結局、僕が泣かせた彼女を、僕が泣きやませてあげることなんてできないわけで。

 せめてもの抵抗で、彼女の泣き顔をさらさせないように、使っていたマフラーを古瀬さんの顔半分を覆うように巻いてあげることしか、僕はできなかった。

 たまに吹き付けるビル風が今日は痛々しく、何も守ることも、助けることもできない、それでいて関係ない人に当たり散らし傷つける無能な男にきつく当たっていた。


 彼女がようやく涙を枯らしたのは、それから時計の長針が一周してからのことだった。

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