第43話 でも普段から明るい人が本気で落ち込んだときはそれ以上にやばいはず。
「ご、ごめんね……きょ、今日はもう帰るよ、じゃ、じゃあね」
ぎこちない作り笑いをこちらに向け、栗山さんは煙から逃げ出すようにそそくさと家を出ていった。
……あんなにさっさとここを出て行く栗山さんは初めて見たかもしれない。
ぽっかりと空いた一人分のスペースを見つめながら、僕は天井を見上げる。別に空も何も見えないただの天井を。
何も今言うべき言葉ではなかったかもしれない。言えるタイミングはもっと早くにあった。出会いのときは「お友達」という人質を取られていたから無理、初めて泊まった日も状況が状況で言えなかったにせよ。
……栗山さんと綾が僕の部屋で対峙した、あの日には「迷惑だ」って言えたはずだった。むしろ、そこしかタイミングはなかった。その日、僕は栗山さんにお茶をかけるっていう負い目を背負うことになるのだから。それ以降、きっと「迷惑」っていう言葉を僕が選べるはずなかったのに。
「終電で帰るよー」っていう栗山さんに「さっさと帰って下さい迷惑です」って言えば、こうはならなかったのかもしれない。じゃあ、なんで言えなかったんだって話だけど。
ひとつ。終電で帰るという大きな要求をされたことで僕が譲歩してしまったから。
ひとつ。綾とのいざこざの直後で、そこまで思考が回らなかったから。
ひとつ。栗山さんの緩い雰囲気に当てられてしまったから。
ひとつ。直前に古瀬さんとの相談が一段落つく目処がついて、気持ちの区切りがつきかけていたから。
恐らく、全部正解で、全部不正解だ。この四つをまとめてしまえばいい。そうすれば、答えになる。
……なんやかんや、栗山さんがここにいる時間が、楽しかったのかもしれない。
でなければ、今この瞬間。さっきまで栗山さんが座っていたスペースなんか気にしない。
ぎこちない笑みを作らせたことに罪悪感なんて抱かない。
たった今、「あんなこと言わなければよかった」なんて後悔、しない。
「やっちまったのかなあ……僕」
ポツンと零れる言い訳。部屋に充満していた煙は、栗山さんを追いかけるようにして消え去っていた。おかげで、僕は今、息苦しくない。その代わり。
「……今更迷惑だなんて、言われるほうがよっぽど迷惑だよな、これだけ家に入れといて。それに……いくら栗山さんだって、あんなきつい言いかたしたら、怒るよな……ははは……」
どこか心のどこかが欠落したような、そんな感覚がした。
ガランと広がる部屋に、乾いた声が響き渡る。それをあざ笑うかのように、ベッドに積んでいた漫画が一冊、音を立てて落下する。落ちかたが悪かったようで、漫画の背表紙が少しだけ折れてしまった。
「やば……」
僕は慌ててそれを拾い上げるも、結局そのまま枕元にそっと置くにとどめる。後ろ髪を引かれるように後頭部がベッドのシーツに吸い寄せられていき、栗山さんのいた空間から目を背けようとする。
ここまで失敗したって思うのは……高校のとき、失敗した相談の案件以来かもな……。
「……ほんと、やっちゃったなあ……」
それから、週に最低一回は顔を出していた栗山さんが僕の家に来ることはなくなった。ほぼ毎日送られてきていた栗山さんからのラインの連絡も、完全に途絶えた。
あれから二週間くらいが経った。金曜日。頭を冷やした僕は、どうやって彼女に謝ろうか、それだけを今日まで考えていた。
いや、そもそも謝らせてくれるのか?
会ってくれるのか?
色々な前提条件が頭に浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返し、肝心の謝りかたが思いつかない。
「なーにがいいひとだよ……これじゃただの自己満足野郎じゃねーか」
……手が届く距離にいた人を傷つけたのは、これが二回目だ。
一度目は、僕の勘違いが生んだ、本来起きるはずのなかった事案だった。
そのせいで、一人の先輩を、転校にまで追い込んでしまった。
嫌な記憶っていうのは、どうも現在の状況と紐づけされているようで、現在進行形でどうしようもなくなると、思い出したかのように過去のそれが脳内を駆け巡る。
「二度も同じ間違いしないって……あのとき誓ったはずなのに……僕の……バーカ」
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