第42話 いいひとにだって我慢の限界はある。そして、その解き放ちかたは、大抵下手くそだ。

「いやー、ひさしぶりな気がするよー上川くんの家に来るの」

 部屋でだらんと手足を伸ばして座る栗山さん。それだけでもこの家に染まったことがわかるけど、この発言もなかなかヤバい。

「久しぶりって、日曜日に来たばかりじゃないですか」

 ちなみに今日は木曜日だ。そんな、付き合っている二人とかでないんだから、「ただ」の大学の先輩後輩ならむしろ多いほうだとおもうけど。

 それに慣れてしまった僕もついさっきまで現れていたんですけどね。っていうか、もう部屋着で中に入れちゃったし。

「もう、そんなこと言わないでよー。企業説明会とか色々回っていて忙しくて全然来れなかったんだからー」

 あ、ちゃんと就活しているんだ。安心安心。

 栗山さんの話にホッと一息つくと、その緩み切った警戒を待ってましたとばかりに二の句を継いできた。

「……結構、さみしかったんだよ? 会えなくて」

 テーブルに頬を合わせて、僕に横顔を見せつつ彼女はそんなことを言う。

 ……救急車一台、呼ばないといけないかもしれない。

 ここ最近、栗山さんの言動に萌え殺されそうになっている。自制を保たねば。

「く、栗山さんは寂しかったかもしれませんが僕は全然、むしろ平和な時間をこれでもかと享受してましたので」

「……午前中からお風呂入るくらいだもんね」

 あ、あれ? ちょっと声色に元気がないというか、伸びやかさがないというか、緩くないというか。

 ……少しふくれっ面している。これ、嫉妬? やきもち? 栗山さんもそういう感情持つんだ……。

「はぁ……そう怒らないでくださいって。で、今日は何しに来たんですか? 冷やかしなら帰って下さい」

「えー? そんな悲しいこと言わないでー。一緒にダラダラしようよー」

 ここ、僕の家なんだけどなー。ダラダラするなら自分の家でやって欲しいなー。

 栗山さんはするとテーブルから身を離して、ベッドの側面に背中を預けている僕の隣にやって来てはスリスリとすり寄って来た。

「ちょ、なんで近づくんですか、栗山さん?」

 僕は彼女が近づいた分だけ距離を取り、そう返す。

「えへへー、だめー?」

 ……そんな某アイドルなマスターに出てくるような十四歳みたいなこと言わない。

「駄目です。ただの先輩後輩なんですから」

「じゃあ付き合おうよー、わたし上川くんのこと、好きだよー?」

 じゃあってなんだよ、じゃあって……。

 言葉尻に紡がれた「好き」という単語に反応してしまう。僕は、しばらく押し黙る。

「あ、ちゃんとライクじゃなくてラブのほうだからね? 勘違いしないでよー?」

 そんなことわかってますって……。

 今はそういう話、したくないなあって……思っていたからだ。黙り込んでしまったのは。

 お風呂に入って、燃えかすは全部鎮火させたはずなんだけどな。どうやら、まだ僕のどこかに諦めの悪い、線香の端に走る程度の火が残ってしまっていたようだ。

「ねえ、上川くんったらー」

 栗山さんはシャンプーの香りを振りまきながら、僕にもう一度近づいて来ようとする。

 僅かな火でも、そこに燃料を──例えばガソリンとか、油とか。例えば、ガスのような気体だとか──注いでしまえば、瞬く間に引火して、炎は広がってしまうもので。

「い、いい加減にしてください」

 いつかのお酒のときほどではないけど、はっきりと意思を示すために僕は拒絶の言葉を栗山さんに放った。

「へ?」

 言われた当の栗山さんは、何が起こったのか理解していない。そりゃそうか。

 ……これから僕がするのは、八つ当たりに近いことだから。

 もはや突っ込みでもない、ただの中傷。

 いつもの突っ込みに、ギアが一段、踏み込まれる。

「僕は別に、誰彼構わず彼女になって欲しいとか、そういうこと思っているわけじゃないんです、正直迷惑なんです、こうやって押しかけられることもっ、今こうしていることも」

 ……ほら、目一杯の毒が入った、煙が出来上がった。

 一体いつの気持ちぶつけているんだよ。僕は。

 確かに最初は弱みぶつけさせられて強引に関わりを作られた。迷惑だとも思っていた。それを、ちゃんと伝えることはしなかったけど。

 エアコンの送風が、出来上がった焦げ臭い煙を無抵抗の栗山さんに投げつける。

「……今まで言いませんでしたけどっ。……ほんと、迷惑なんです」

 彼女は、いつになく呆然としたような顔をした。やがて、困ったような笑みを浮かべこう言ったんだ。

「そ、そっか……迷惑、だったんだね。上川くん、そう、言うんだね……」

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