第37話 たとえやましいことが無いにせよ、彼女に秘密の行動をとるのはよほどのことでない限り危ないと思う。
コロコロと転がり床に落ちてしまった赤鉛筆を拾い上げてから、僕は急にきた古瀬さんのラインに返事をする。
いいけど、どうかした?
……島松のことで、ちょっとって。それ危険信号じゃないですか? 付き合ってそろそろ一か月ですよねお二人、もう倦怠期っていうか、危ないんですか?
まあ、この感じから見ると島松が何かやらかしているとか、そんなもんだと思うけど。
少しして、また古瀬さんから返信がくる。
ら、ラインじゃ言いにくいので、直接でいいですか……? 土曜日の午後四時に、立川駅の南口にある喫茶店に来てもらっていいですか?
……相当重たい内容だと見た。島松、お前何やらかしたんだよ……。
オッケー了解。
とだけ簡単に返しておいて、僕はまた意識を採点に戻した。
しかしまあ。……なんか年度末にややこしそうな案件がやって来たなあ……。
それから土曜日まで、どこか古瀬さんのラインの一件が頭から離れずにいた。
バレンタインまであと三週間くらいとなった約束の土曜日。僕は約束の五分前に指定された喫茶店に到着した。店の前にいないということは、先に入ったってことなのかな。古瀬さんからもう着きましたっていうラインは来ていたし。今日も寒いしね、外で待ちたくないよね、うん。
カランカランと音が鳴るドアを開けると、コーヒーのいい香りが僕を歓迎してくれた。視界の端に、テーブル席で小さく手を振る古瀬さんの姿が見える。
「いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」
ああ、この台詞、聞くだけでナイフが刺さる。見ればわかるだろとか思うときもあるけど店員さんも仕事だし、実際今回はひとりじゃないから仕方ないよね。
「あ、友達がもう先に来ているみたいなので」
「失礼しました、奥側のテーブル席でお待ちかと思うので」
僕はどうもですと言い、古瀬さんの待つ席へと移動する。コートを脱いで椅子の背もたれにかけ、座る。
「すみません、わざわざ来てもらって……」
恐縮そうにペコペコ頭を下げる古瀬さん。彼女の目の前には手が付けられていないホットココアが置かれている。
「いいよいいよ、休み中ほとんど家から出ないし」
そう言って僕はメニューを開き、注文するものを決める。
「すみませーん」
近くを通りかかった店員さんに声を掛け、
「ホットのドリップコーヒーひとつ、お願いします」
「かしこまりました」
注文を済ませる。改めて古瀬さんと向かい合い、
「それで……島松について聞きたいことって……?」
少しだけ声量を絞って、僕は尋ねた。お店の雰囲気も落ち着いていて、キッチンでコーヒーを作る音が奥のここまで聞こえてくるくらいだから、普通に話していても周りの人の耳に入ってしまうだろう。古瀬さんが好きそうな雰囲気のお店ではあるけど。
「……あ、あの……島松君って……め、メイドとか、そういうの、好きだったりします?」
「……ほへ?」
やべっ。思わず変な声でちった。
め、メイド? ……あの家でゲームすることにしか興味がない島松が?
「こ、この間島松君の家に行ったら……秋葉原のメイド喫茶のレシートが落ちていて、それも二・三枚……」
「さ、さいですか……」
「それまでそんな素振り全然なかったんです。ただ、急にどこかに出かけることが増えて来たなあって気はしていて……。でも島松君は私に対してそんなに変わらずにいるから、よくわかんなくなってきて……」
ややもすれば泣いてしまいそうな雰囲気で彼女は話していた。
ただの喫茶店なら古瀬さんもこうはならなかっただろうけど、メイド喫茶ってなると不安にはなるよなあ。
……おーい島松―。泣かせてるんじゃねーよー、嫉妬しちまうじゃねーかこのやろー。
島松が、浮気をするような奴とは思えないんだけどなあ。良くも悪くもあいつゲームしか興味ないし、浮気なんて危険なマネしたがらないだろうし、一緒にゲームしてくれる彼女の古瀬さんから乗り換える理由がないだろうし。
なんかあるんじゃないか……? 理由が。
「ま、まあさ。島松がメイドの女の子に浮気したとか、決まったわけじゃないし、とりあえず、その喫茶店に二人で行ってみよう? 何かわかるかもしれないし」
「い、いいんですか……?」
……あのー、そんな信じられないような目で僕を見ないでもらえます? 僕は神でも仏でもなく、ただの人間なんで。それに相談は最後まで受けるのがポリシーなんで。
僕は、彼女の言葉に小さく頷いた。
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