第28話 いいひとの定義って、ちゃんとしないとわからなくなりそうで怖い。
何時間が経っただろうか。いつの間にか暖かくなっていた部屋の温度と、毛布の端をつかんで栗山さんを見ていたからか、僕もいつの間にかうたた寝をしてしまったようだ。
スマホの時計を見ると、時刻は三時。閉め忘れていたカーテンからは、墨を落としたように真っ暗な黒色の景色が見える。
「……日をまたいだのか……」
まだ、栗山さんは起きていない。ふと、脇に挟んだ保冷剤を確認すると、もう溶けてしまっているようだ。柔らかくなったそれを抜き取り、また冷凍庫に行って新しいものと交換する。顔にかいている汗の量も増えてきていて、僕は再度新しいタオルで顔を拭いてあげた。
「……かみかわ、くん……あり、がとうね……」
急に、彼女のか細い声が、聞こえてきた。起きたのかと思いきや、寝言だったようだ。
「夢のなかでも、僕に会っているのかよ……」
ほんと、僕のことどれだけ気に入っているんですか……栗山さん。
いいひとって言われることが多い僕に、初めて僕のことを「好き」と言ってくれた女性だった。綾は、態度では示しているけど、まだはっきりと「好き」とは言っていない。
「僕の、どこがいいんだか……」
人より話を聞く機会が多いだけ。それで人のために何かをすることが多いだけ。
それだけ。とりえなんてないし、誰かに好かれるような要素なんて、僕にはない。
いいひとは、誉め言葉であると同時に、関係を限定的にする力がある言葉だ。
つまり、それをよく言われる僕は、恋愛対象にはならないよって、そういうことで。
いいひと、イコール、優しいではない。別のベクトルを持った、人を形容する言葉なんだ。
「……ほんと、わかんないなあ、栗山さんのことは」
「……上川くんの匂い……? あれ、わたし……」
僕のベッドで眠っていたお姫様が目覚めたのは、夜明けが近づいた五時半のことだった。
「起きましたか。……体はどうですか? 何か調子悪いところとか、ありませんか?」
「う、うん、大丈夫……って、保冷剤? それに……冷えピタ?」
起き上がった拍子に、保冷剤が落っこちて服に当たったのだろう。彼女はぬるそうなそれをつかみ、まじまじと見つめる。
「……これ、上川くんが?」
「……不快だったら謝ります、ただ、別に脱がしたりはしてないんで……。見てもなければ、触ってもないんで……熱、あったので」
僕の言葉に、栗山さんは首を横に振る。
「ううん、ありがとね、上川くん……また、助けられちゃった……えへへ……」
嬉しそうに保冷剤をぎゅっと握りしめる栗山さん。……いや、あの、それはあまり触らないほうが……。
「汗、すごいと思うので体拭くならタオル持ってきますよ、あと、この間のジャージも」
「あ……ほんとだ、というか、ごめんね、ベッド借りて、シーツ汚しちゃって……」
「……別にいいですよ、年末の掃除のいい機会になるので。持ってきますね」
僕は洗面所のバスタオルと、栗山さん用にあげて別にしまっているジャージを持ち出す。
「どうぞ、体拭いている間、台所にいるんで、終わったら声かけてください」
「……上川くんに拭いてもらいたいなあ、なんて」
「……馬鹿なこと言わないでください、じゃあ」
全く、病み上がりでも栗山さんは栗山さんだ。
台所に移動し、僕は戸棚からココアの素を取り出す。冷蔵庫から牛乳を出し、鍋に注ぐ。
ホットココアを作ることにした。
マグカップに出来上がったココアを注いだタイミングで、
「上川くん、もう入っていいよー」
とあったので僕は部屋に戻る。
ジャージ姿になった栗山さんはベッドに座り、足をパタパタと動かしている。……ちょっぴり可愛い。
「これ、どうぞ。ココア作ったので」
「え? いいの? わーい、ありがとう上川くん」
ツインテールを解いて髪を下ろしている彼女の姿に少しだけ胸が跳ねる。……いや、これはあれだ。たまに違う一面を見ると特別に見えるヤンキーと子猫の法則みたいな奴だ。
「た、タオルとか脱いだの、洗濯しちゃいましょうか、持っていきますね」
僕は恥ずかしくなったのを誤魔化すために置いてあった服を持っていこうとする。
「あ……」
が、持ち上げた服のなかから、服とかの「とか」が落ちた。上のほう。
「…………」
栗山さんんん……それも脱いだなら言って下さいよおお……そうと言ってくれたら注意したのに……! 白を基調とし、花柄のなにかが見えたなんて思ってない。僕は何も見ていない。
無言で僕はそれを拾い上げ、機械じみた動きで何も見ずに洗濯機に放り込んだ。
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