第12話 悪いことは言わない。ドアチェーンは忘れるな。
忸怩たる思いでだけど、綾は僕の家の鍵を持っている。事情は単純かつ明快。
綾の通う高校と僕の家が近いから。
もし学校に行って電車が止まったとか、帰りが遅くなったっていうときに、拠点があるのとないのでは大違い。特に東京の雪国八王子と呼ばれるこの街は、年に一度はとりあえず雪が降る。そうなると電車は止まるから、ここに知り合いの家があると便利だよねと。けど、僕が大学生で色々出かけたりすることが多いと思われているからか、そういうときにでも問題なく家に入れるように、僕の親は綾に鍵を渡してしまったんだ。
このときばかりはそれを恨むよ。
「よっくん、お邪魔しまーす……」
開きかけた玄関のドアを体ごと当てて閉じようとする。ああ、なんでドアチェーン買わなかったんだろう。男子大学生の一人暮らしなんか襲う人いないからなくていっかはははって笑っていた去年の僕と母親よ、考え直せ。
「ちょ、よっくん? どうしたの? 開けてください……! 痛いです!」
扉の外からそんな悲鳴が聞こえるが気にしてられない。今はとりあえず時間を稼がないと。半ドアに綾の足だけが家の中に入った状態で、攻防が続く。
このまま綾を家の中に入れたら間違いなく僕は社会的に死ぬ。いや、社会的にはぎりちょんセーフかもしれないけど(一応同じ大学生だし、どっちも成人しているし)、この間家に泊めるのを拒否した綾からしたら……。
「っっっ」
想像しただけで肝が冷える。
「あ、綾―? 急にどうしたのかなー? 今日は土曜日じゃないぞー?」
「明日が学校の創立記念日でお休みなので、ちょっとゆっくりしていこうかなって思いまして……」
「うん、そっかー。その創立記念日、明後日にはならなかったのかなー?」
……何言っているんだ僕? 日本語が死んでいるぞ?
「と、とにかく、とりあえず中に入れてください、足が痛いです……!」
「わかった。わかったから。一旦三分間だけ待ってくれないか? そしたら中にいれてあげるから……!」
「何か隠さないといけないものでもあるんですか? も、もしかして……そ、そのエッチなものでも見ていたとか……」
「違う、違うから、そんなんじゃないから何も言わずに三分だけ、いやもう三十秒でもいいから待って下さい、マジで!」
やばいやばいやばい。なんか事態がぐちゃぐちゃになってきている。綾に要らない誤解されるし、このまま入られても誤解されるだろうし、締め出しても誤解されるだろうし。
あれ? これ、俗に言う詰みって奴なのでは?
ああ神様、どうか、どうか来世は僕に平穏な学生生活をお与え下さい。何か罪を犯したというのなら悔い改めるので。
「よーし、おーけー綾。一旦その足を外そうか。僕だって綾の足を痛めつけることに興味はないし本意でもない。開けるから、絶対に開けるから一度その足を引くんだ。あーゆーしゅあー?」
とうとう頭のネジ外れたかなあ。これ、使い方あってるよな?
とまあ、下手くそな英語も交えつつなんとか綾を完全に外に追い出し、慌てて鍵をかける。……まあ、意味はないと思うけど、これだけでも五秒は時間を稼げるはず。
よし。覚悟を決めて僕は、全身に力をかけて押さえていたドアから身を離し、部屋の隅に置いてある「紙袋」の回収に走り出した。
玄関前の台所を通過し、部屋に繋がる扉を通過したタイミングで、再びガチャという音がした。
はやくない? ねえ、鍵開けるのはやくないですか? 綾さん。まだ僕紙袋持ってすらいないんですけども。
「よ、よっくんがそこまで必死になって何かを隠すなんて、絶対いかがわしいものに決まってますっ、幼馴染として矯正しないといけませんのでっ」
……まあ、(紙袋の中身自体は)いかがわしくはないけど、それが置かれた状況を想像するといかがわしいよね。
玄関先から聞こえてきたその台詞にいくばくかの冷や汗をかきつつ、僕は紙袋を素早くベッドの下に隠す。いや、もう定番だけど、仕方ないじゃん。しょうがないよね……?
「あ、綾? いけないなあ、絶対開けるって言ったじゃないか、待てもできない子を僕の家に上げたくないなあ」
とりあえず誤魔化すために、部屋中を歩き回って僕が隠したものを探している綾に適当に言ってみる。
「あれ……別にいつもとそんなに変わりないじゃないですか……? もっと大掛かりに何かやっていたのかとてっきり……」
いや、大掛かりって。
「……とりあえず、手洗いますね」
そう言い、綾が洗面所に手を洗いに行ってホッと胸を撫で下ろしたのも一瞬。次のとき。
「ねえ、よっくん。これ、何ですか?」
綾のこの台詞で、僕は本日何度目かの緊張を迎えるのであった。
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