悪鬼

 ヘッドライトに照らし出される舗装路の一部と、光に偽装した死へと次々に突撃してくる虫たちを眺めていた私は、疲れや眠気もあいまって夢か幻でも見ているような心地になり、この蛇行した山道に終わりはないのかもしれないと馬鹿げたことを考えはじめていた。


 順調に下っていた坂道も鹿を避けたあとに何度かカーブを曲がっているうち、いつの間にやら上り坂へと転じてしまっていた。


 本当に町へ向かっているのか少しばかり不安ではあるものの、来るときに乗ったバスもアップダウンを繰り返していたことを考えれば、そこまで心配する必要はないのかもしれない。何より今は隣で車を運転している男に頼るしかないのだ。


「まあ、息子の話は置いといて、秘祭のもとになったのが禁術の人身御供だという話に戻りますけど」


 男がそこで言葉を切ると、エンジンのモーター音がやたらにやかましく聴こえはじめた。気づけば車内で鳴っていた民族的な音楽が止んでいる。


「今でも祭りではオクリといってですね、清めた木材で建てた櫓に子供を閉じ込めて、神への供物として生きたまま焼き殺す儀式があるんですよ。信じられます?」


 男に意見を求められて出かかった声を唾とともに飲み込んだ私は、天高く炎を上げて燃えていた櫓と、その周辺一帯に漂っていた肉の焼ける香ばしい匂いを思い出して気分が悪くなってきた。


「小さい櫓に八人の子供を無理やり押し込んで、梯子はしごを外して火を放つんですよ。窓はないし、唯一のドアは外から鍵を掛けるしでね、煙と熱で中は地獄でしょうよ」


「なぜ、そんな」


「言ったじゃないですか。悪鬼を封じるためだって」


 そうではない。それは悪鬼を封じたときの犠牲だろう。私が言いたいのは悪鬼がいないはずの、なぜそのような儀式が継続されているのか、ということである。対象となるはずの者が不在であるのに対価だけが支払われ続けるという、悪い方向に形骸化が進んでしまっているではないか。


「でも封じるといってもですよ、オクリは言わばただの供物を捧げる儀式で、悪鬼を封じる儀式は文字どおりフウジといってまた別にあるんですけどね」


 オクリもフウジも聞いた覚えがある。


「祭りではオクリ用の櫓の他に八つの焚き火を用意するんですよ。それはフウジとシズメという二つの別な儀式用でね。こっちは大人を八人、たいていは恋人や配偶者のいない独身男性がおさないさんに選ばれることになっていて。ほら、ふらっと消えても周りに騒がれにくいから都合がいいんですよ」


「おさない」


「違いますよ。『おさないさん』じゃなくて『おそなえさん』といって、この辺りではお供え物のことをそう呼ぶんです。つまりは悪鬼への供物くもつという意味でしてね」


 右に大きくカーブを曲がると道は再び下り坂へと変わり、反動で左へと身体を振られた私は、男の口にした単語が以前どこかで自分に向けて発せられたことがあるのを思い出し、背中をシートへ落ち着けてからもう一度唾を飲み込んだ。


「供物となる人間は香草でいぶられたりでられたり。その前に香草を食事に混ぜて食べさせたりもしてね。身体の外側の汚れと内臓の臭みを取るわけですよ」


 知らぬまに私は己でもうるさいと感じるほど大きな音で、まるで全力で走った直後かのように、震えながら「はあはあ」と激しく浅い呼吸を繰り返していた。


「でね、この禁術で封じた悪鬼というのが巨大なクモだったと言われていて、だから脚の数に合わせて八人の子供が必要だったらしいんです。でもそうなると大人のほうもなぜ八人、気分が悪そうですけど大丈夫ですか?」


 男の問い掛けには答えず、私は中身がまだ半分以上は残っている水のペットボトルへ口をつけた。


「クモの脚は八不浄という八匹のバケモノに変わって、まあバケモノといっても実態は自然の罠も含まれているんですけどね。それに巨大グモが母グモで八不浄はそこから産まれた子グモという説も。ともかく、その八匹のバケモノを大人しくさせる目的で選ばれた八人の独身男性が、フウジの儀式に供物として捧げられるわけです」


 秘祭に外部の人間が関われないのは、風習にかこつけた忌まわしい犯罪行為の外界への漏洩ろうえいを防ぐためらしい。


「どうです、面白い話でしょう? 一度の祭りで十六人もの人間が死ぬんですから、そりゃあ門外不出にもなりますよ。だって誰かに知られたらまずいですもんねぇ」


 男は一人で笑い声を上げていたが、私の期待していた面白い話とはだいぶ違う。


「それで、先ほどおっしゃっていた山にある村ですけど、名前はともかく、なにか他に覚えていることはないんですか? なんでもいいんですよ。例えば、こんな見所があったとか、興味深い建物を見たとか、のどかな風景を写真に撮ったとか」


「櫓、燃えてた。きっと、秘祭の」


「本当ですか? キャンプファイヤーなどの見間違いではなく?」


 男が黙ると己の息遣いと走行音だけが車内を満たし、これまでとは違った空間にいきなり放り込まれたような、なにやら異様な空気が漂いはじめたのを私は感じ取っていた。

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