先ほどと同じく黒いビニール袋を片手に男が縁側へと戻ってきた。袋の中にはもう一羽の雉を入れてあるらしい。


「このキジは神様への?」


 私は雉目的のいやしい気持ちからではなく、それが振る舞われると思い込んで動こうとしない、未だ薬物の影響下にあるらしい中村を目覚めさせるつもりで訊いてみた。


「いんや。こいづらはベづだ」


 男の言葉を聴いた中村は「ほらぁ、やっぱりぃ!」と言って勝ち誇ったような顔を向けてきたが、まだこれらの雉肉が我々の口に入ると決まったわけではない。


「キィジ刺し、キィジ刺し」


 手を叩きながらキジ刺しコールを始めた中村を私は、「ちょっと、静かにしててください」と強めに叱ってその行為をやめさせ、「すいません。それで、見ませんでしたか? こんな感じの変な人」とほうけた顔で中空を見ている同僚を指差して男に訊ねた。


「見でねぇなぁ」


 男は首をひねってそう答え、「あんだらぁ、スマホ持っでねぇのが? それで探せっぺよ」とあまりにも現代的で常識的な助言をくれた。


 マツナカ巡査の携帯が二つ折りのタイプだったことで、この辺りの住民はスマートフォンなど知らないのだろうと見くびっていたのだが、むしろ情報にうといのは彼らではなくそういった偏見を持った私の方なのかもしれない。


「それが、持ってるには持ってるんですけど」


「とごろであんだぁ、だいじょぶけ?」


 ぼんやりしたままの中村に向かって訊ねたのかと思い、私が代わりに「あぁ、彼、毒キノコ食べちゃったみたいで」と誤魔化すと、「あ? そっぢのあんちゃんじゃねぐって、あんだだよ、あんだ」と男が空いている右手の人差し指を向けてきた。考えてみれば本当に毒を飲んでしまったのは中村ではなく私である。


「えっ? あぁ。これは途中で」


だっぺ」


 聞き違いかと思った私は「毒水、ですよね?」と訂正してみたものの、男はまた「んだ。ソグ水」と同じように言い、「おっがねぇ水だよなぁ、ったぐよぉ」とさも解決のめどが立たない厄介事でも抱え込まされてしまっているかのような調子で呟いた。


「んでぇ、あんだらぁ、河童ぁ探しん来だっつってたっけが?」


 同時に他のことをやっているせいなのか、それとももとから忘れっぽい性格なのか、男は急に何かを思い出したかのような表情を作るとそんなまるで見当違いのことを口にした。


「探しているのは人ですよ」


「んだっけが? あー、んだんだ。おれは見でねぇわ。んまぁ、ひど探すんだったら駐在がいっがらよ。そいづに頼んだらよがっぺよ。な?」


「はあ、駐在さんですか」


 マツナカ巡査から受けた酷い仕打ちを思い出した私は、適当に言葉を濁して「わかりました」とうなずき、続けて「もうひとつ、うかがってもいいですか?」と話題を変えた。


「なんだっぺ」


「あのですね、僕ら、分岐のところで迷ってしまいまして。それで、『みだまや』という宿泊所への道をお訊ねしたいんですけど」


「みだまやぁ? あー、そっがそっがぁ。あんだらぁ、あー」


 男はうんうんとうなりながらしきりに頷きだし、「つぢで迷っだのがぁ。あー、そっがそっがぁ」と納得したように言った。ようやく私たちの事情を理解してくれたらしい。


「ええ、お恥ずかしい限りで。携、スマホも電波が悪いというか、その、訳あって使えないというか」


「つがえねぇ? おがしいな。つぢんとごは抜けでっからよ、電波いいはづなんだけんどな」 


 言われてみれば私たちは分岐の場所で電波状況の確認はしていない。中村がカッポギ氏のスマホを持っているせいでGPSでの探索ができないとわかり、役に立たない機器の電波の良ししのことなど私はまったく気にしていなかった。


「おう、あんちゃん。そっぢのふぐろ貸しでぐれ。んでよ、今度こっぢのふぐろ持ってでくれっが? あー! 開げんなよ」


 男は中村とビニール袋を交換すると、縁側から下りて断頭に使った切り株の前に立ち、そこへ袋を置いて中の雉を引き出して横たえ「あっぢ! あっぢぃな、おい」などと言いながら羽根をむしりはじめた。


「お忙しいようですし、僕らすぐおいとましますんで。それであの、みだまやへはどの道を」


 作業の新しい工程に男が入ってしまい、こうなるとまた話が分断と結合を繰り返して再構築されるという複雑怪奇な現象が起こる恐れがあり、これ以上ここで時間を浪費しないためにも私はなかば強引に会話を再開させて道を訊ねようとした。


「どのみぢっで、あんだ、あそごにゃ看板も立ってっぺよ」


 男は「よぉぐ抜げるわぁ」と独りで言いながら、雉の羽根を毟り取っては己の背後へと無造作に放り投げていた。


「看板ですか? みだまやの? いえ、僕たちが通ったときにはありませんでしたけど」


 それに関しては中村と会う前の時点で探してみたが何も見当たらなかった。そもそも、そんなものがあることに気がついていれば私だってこんな質問はしない。


「あぁ? ありませんってこだぁねぇっぺよ。でっけぇ看板があったっぺっつうの」


 透明な素材でできていたり男が思い違いをしていたりするのでなければ、そのでっけぇ看板とやらは何者かによって撤去されてしまったのだろう。たとえ正確なサイズはわからなくとも、巨大な看板が自然と消えたり自律歩行してどこかへ行ってしまうようなことなどあるはずないのだから。


「でも、僕は今日、もう二度もあの場所を通ってるんですけど、最初に通ったときにも看板なんてどこにも」


「んぢゃあ、誰がが持ってったんだっぺな」


 やはりそういうことになるのだろう。誰がどんな目的で看板を持ち去ったのかなど私の知ったことではない。ただ私は、無駄に歩かされたり乱暴な駐在に手錠をかけられたりと散々な目に遭わされた大本おおもとの原因が、得体の知れない人物のほんの些細ささいな迷惑行為のせいだとわかって段々と腹が立ってきた。


「そういうわけで、もう看板がないからわからないんですよ。日が暮れる前にみだまやへ着きたいんで、どの道を行けばいいのか教えてもらえませんか?」


 腹立ち紛れに早口で一気にまくし立てると、それまで大人しくしていた中村がなぜか、正午に鳴るサイレンのように少しずつ声のボリュームを上げながら泣き出した。


「ちょっと、いきなりどうしたんですか?」


「なんだぁ? 腹でもいでぇのが?」


 私はどうせまたドラッグで情緒が不安定なだけだろうとたかくくり、雉の羽根を毟りながら心配そうに声を掛ける男に、「すいません。たぶん、毒キノコのせいだと思うんで」と中村の代わりに詫びた。


 憐れな同僚をなだめようと私がその肩に触れようとした瞬間、「カッポギ、死んでるじゃないですかぁ!」と空気を震わすような大声を張り上げた中村は、持たされていた袋を放り投げるなり脈絡のない言葉を叫びながら表の山道の方へと駆けていってしまった。

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