河童

 男は首を落とした獲物を持って家屋へと近づき、そばにあった金盥かなだらいを足で引き寄せると、その真上に位置するフックのついたひさしに脚を縄でくくった鳥を逆さまにして吊り下げた。


 最初は中村の巨体が邪魔で見えなかったのだが、身体をずらして男の行動を目で追った私は、同じく悲しき運命を辿った先客が軒先で揺られているのに気がついた。こちらも同じ種類の鳥のようで、頭の失われた首元からはまだ血液が筋を作ってしたたっている。


「キジ鍋ですよね! キジ刺しですか?」


「あんちゃん、よぉぐ知っでんなぁ」


 赤だったり緑だったり紫だったり、きじとはこんなにも派手な色をした鳥だっただろうか。私は神社でのことが頭に焼きついているせいで、「猟銃で仕留めたんですか?」と思わず男に訊ねていた。


「あぁ? んなこだぁしねぇ。こりゃあ、まぁづりんために許可もらっで獲っだやづだぁ。なづに鉄砲ふりまわしだらダメだがんなぁ。ほーりづで決まっでっがらよぉ」


 マツナカ巡査はどうなのだろう。もしかしたら熊が出るような地域では警官なら免許さえあれば猟銃の携帯を許されるのかもしれない。


「あの、お訊ねしたいことがあるんですけど」


「キジ刺しんこどけ?」


「それも気になるんですけど、僕の友人が連れとはぐれてしまったらしくて」


「あ! ちょおっど待っでろ」


 そう言って男は先に吊ってあった方の雉を下ろして脚の方をつかむと、畳に血の跡がつくのもお構いなしに、首なし鳥を引きずって縁側から家屋の中へと消えてしまった。


「キジ刺しぃ、楽しみぃ」


「恥ずかしいんでやめてくださいよ。誰もご馳走してくれるなんて言ってないじゃないですか」


 無駄だろうとわかってはいながらも、これ以上の恥をかかないよう私は気の毒な同僚をたしなめた。たしかに小腹が減った感じはするが、夕食の時間にはまだ早すぎるし、この雉だって明日の祭りのために準備をしているのだろう。こんな高級食材が今晩のおかずとして我々に振る舞われるとはとても思えない。


「えー、そんなご無体むたいなぁ」


 嘆く中村の声を聞きつけたわけではないだろうが、ほどなくして座敷の奥から手ぶらで戻ってきた男は「えーっど、まづりの話だっけがぁ?」などととぼけたことを言いつつ裸足はだしで裏庭に下り、私が否定する前に「あんだらぁ、おやしろさんさぁもうまいったげ?」と言葉を続けた。


「それって神社」


「そごのみぢ上がってぐどあんだけどよ。あぁ、ふだぁづあんだけどな。かだほうが間賀津まがづさんつってよ。まぁ、言っだらあれだ、こごいらの守り神っつうやづだわな」


 男に発言をさえぎられてしまったが、お社さんというのは私が賽銭を投げた神社で間違いなさそうだ。


「守り神っつってもよ、もどもどは間賀津なんとがひごっつうお侍さんでよ。あ? ただの百姓だっけがな? まぁそんでよ、その間賀津さんつうのは偉いひどでよ。ほんどかどうかは知んねぇけんど、はぢをたぐさん使つがって」


「キジ刺しは鮮度が命ですよぉ!」


 ずっと黙っていてくれたらいいものを隣で再び中村がわめきはじめた。薬物の効果とは一体どれくらいの時間で消えるものなのだろうか。


「心配しなぐでもササミはもう取っであっがら」


 男はそこでもう一羽の雉をフックから下ろし、先ほどのように脚を掴むとまた座敷の奥へと引っ込んでしまった。


「キジ刺しっ!」


「祭りだのキジ刺しだのって、カッポギさんのことはもういいんですか?」


 中村を甘やかしても事態は好転しないだろう。こんなところで油を売らずに、さっさと男にカッポギを見ていないか確認し、知らないのであればせめて『みだまや』への道順だけでも訊ねて行動せねばなるまい。


「カッポギとはぐれちゃったんですよぉ」


「そうですよ。だから探しに行くんですよね? 今はキジなんか食べてる場合じゃないでしょ」


「じゃあ誰がキジを買いにいってるんですかぁ?」


「誰も行ってません。あとでカッポギさんと食べに行けばいいじゃないですか」


 できる限り中村の反応に合わせて説得を試みたつもりだが、奴はそれでもまだ「鮮度が」などと呟き、ふたつの金盥に溜まった雉の血液を未練がましく眺めていた。おそらく今の中村にはほとんど本能しか残っていないのだろう。


 しばらくすると今度は大きな黒いビニール袋を左手に持って男が戻ってきた。袋の口から飛び出した脚で中には鳥が入っているのがわかる。男は縁側に仁王立ちとなって「んでよ、どごまで話しだっけぇ?」と言い、「ベづなこど始めっどよぉ、いっづもさぎにやってだこど忘れっちまぁ」と独り言のようにぼやいた。


「あぁ、そっが。の話しが」


「スズメも珍味ですねぇ」


 中村が口を挟むと男は「あんちゃん、鳥きかぁ!」と言って二人で声を上げて笑いだした。このまま下手に意気投合でもされて、その上どうでもいい話で盛り上がられたらさらに足止めを食らってしまう。


「すいません、あの、お祭りのお話も興味深いんですけど、さっきも言ったように」


「んだんだ、話のつづぎな。そんでぇ、その間賀津さんつうのはたいそう真面目なひどだったらしいんだけんどよ。あれ? なぁんだっけがなぁ? あれはなぁんで、まぁいっが。んでよ、間賀津さんのなにが偉いがっつうどな」


 残念なことに男はあまり優秀な語り手ではないようで、ところどころ記憶の欠落もあってか話の歯切れも悪く、私にはすでにそれが祭りに関するものなのか間賀津という人物の説明なのかすらもわからなくなってきていた。


「カッポギ知ってますぅ?」


「あぁ? 河童かっぱぁ?」


 こういうときには中村の唐突さも役に立つ。私は男が話しへ戻る前に畳みかけるようにして「いえ、カッポギです。僕らが探している人の名前です」と簡潔に説明し、「見かけませんでしたか、様子がおかしい人」と付け加えた。


「様子がおがしい河童ねぇ」


「河童じゃないです。カッポギです」


割烹着かっぽうぎねぇ。あぁ、あんちゃん、ちぃっとばかしよ、こごんとご持ってでくれっが? そう」


 男は中村に黒い袋を押しつけるなり、またもや奥の暗がりへと足早に姿を消してしまった。せわしなく男が動いているのは私たちが雉の解体作業を邪魔してしまっているせいだろう。早く要件を済ませてこの場からおいとました方がよさそうだ。

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