駐在
「はい、110番、警察です。事件ですか? 事故ですか?」
四回コール音が鳴ったところで回線が繋がり、子供番組で見る体操のお兄さんのような柔らかい口調の声がスマホのスピーカーから聴こえてきた。
「もしもし、警察ですか? あのですね、銃が目の前で、男が銃でですね」
おかしなもので、私は銃を向けられているこの状況よりも、普段から苦手意識を抱いている警察と話すことの方に緊張しているらしい。
「はい、大丈夫ですので、落ち着いて話してください」
スピーカーの声は丁寧な調子でそう言い、「事件ですか? 事故ですか?」と先ほどと同じセリフを繰り返した。
「殺されそうです」
銃を向けられて脅迫されているからか、私の口をついて出た言葉はそれだった。スピーカーの男は「はい、事件ですね。あなたは当事者ですか?」と私の返答を自然な形に訂正し、さらに事務的に質問を続けてきた。
「助けてください!」
「はい、当事者ですね。怪我はしていませんか?」
どこか間延びしたようにも聴こえるスピーカーの声に「今にも撃たれそうです」と強く訴えると、「怪我はしていませんか?」とまた同じことを訊かれた。おそらくマニュアルがあってその通りに進めないといけない規則でもあるのだろう。
「していません。今はまだ」
「はい、何がありましたか?」
「えっと、男が銃で、僕を、撃とうとしてて」
こんなセリフを実際に言うことになろうとは夢にも思っていなかった。自分で口にしながらも現実感がまるでない。日本は法治国家のはずではなかったか。いつから一般人が銃を向けられるような物騒な国になったのだ。
「それはいつ頃ですか?」
「たった今です」
「あなたは今、群馬県の
そう問われても困ってしまう。おそらく相手はGPSでこちらの居場所を割り出したのだろうが、私の認識としてここは『かむらた山』であり、位置情報としては谷川岳付近と同じだとしても「はい、そうです」と答えることはいささか
「あの、それが、かむらたという山で」
「はい、相手の特徴を教えてください」
不意に、緊迫した場にそぐわない安っぽい電子音で、数年前に
しばらく私を睨んだままだった男は舌打ちをして「ったぐ」と面倒そうに呟くと、銃を下ろしてポケットから二つ折りの携帯を引っ張り出し、「はい、ごぐろうさまですぅ。マヅナガですぅ」と電話に出た。
スマホのスピーカーからは「もしもしぃ? どうしましたかぁ?」と返事がないことを心配する声がしていたが、目の前の男が銃を下ろしたチャンスを私は逃すわけにはいかなかった。
ところが、男が私から目を離したのはほんの一瞬だけで、耳に当てた携帯を器用に右肩で挟むなり、すぐにまた両手で銃を構えると私に銃口と刺すような視線を向けてきた。男の手際の良さからして格好だけではなく本物の猟師なのだろう。
「はい。はい、ええ、りょうがいしましだぁ」
丁寧な口調で電話の相手との会話をしつつも、男は鋭い目つきで私を睨み続けており、とても隙を突いて逃げ出すようなことはできそうもない。警察と電話が繋がっているとはいえ撃たれたら一巻の終わりである。殺された後で事件が解決しても私には何の得もないのだ。
「もしもしぃ? どうしましたかぁ?」
スマホのスピーカーから繰り返された言葉に「あの、銃、あの、早く助けてください!」と私が
「相手の特徴を教えてください」
「マタギです」
スピーカーの男は「猟師ですね」と確認するように言うと「相手は何人いますか?」と続けて質問を投げてきた。
「今がら
マタギ風の男がそう言って通話を終えたのを聴いた私は、携帯をしまうときに逃走のチャンスがもう一度巡ってくるのを察知し、右手のスマホに注意を向けているように装って銃が下ろされるのを待った。
「もしもしぃ、相手は何人いますかぁ?」
次の瞬間、猟銃を片手にどすどすと近づいてくる男が視界の端に映り、まったく予期していなかった展開に私は文字通り度肝を抜かれた。
「あぁ! あぁっ!」
恐怖から私は足が
男はあっという間に距離を詰めるやいなや、熊のような巨大な手でスマホを持つ私の右手首をむんずと掴み、「もしもしぃ、ごぐろうさまですぅ」と話しはじめた。
「マヅナガ巡査、たった今、
そう言って男は持っていた猟銃を己の身体に預けて空いた右手で通話を切った。聞き違いかと思って男の顔を見上げると、「だがらぁ、意味ねぇっつったっぺよ」と言いながらズボンのポケットをごそごそとやり、掴んだままの私の右手に取り出した手錠をかけた。
「午後四時三十三分、被疑者、かぐほ」
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