穢れ

 マヅナガ巡査に手錠をめられた右の手首を引っ張られながら、なかば引きられるようにして入り口の鳥居に向かっていた私は、「あの、すいません。ちょっと、聴いてます?」と先ほどからずっと同じ言葉を繰り返していた。


「えっと、おまわりさん?」


 鳥居の手前でマヅナガ巡査は急に立ち止まると、こちらを振り返って「マヅナガだ」と私を頭上から見下ろしながら訂正した。鍛えている同僚の中村もかなり大きいが、このマヅナガという男の体躯たいくは巨大なだけでなく、都内のクラブなどで見かける外国人のバウンサー並みの威圧感がある。


「話を聴いてください、マヅナガさん」


 私の言葉に男は「マ、ヅ、ナ、ガ!」と一文字一文字を強調して発音した。これはおそらく『タマコ』のときと同じ法則だろうと思い、私は「僕、何もしてないんですよ、さん」と訂正して己の無実を訴えた。


「しづがにしろ。ツァシサマの御前ごぜんだぁ。話は署で詳しぐ聴ぃでやっがら黙ってろ」


 黙っていろと言われたそばから私は、巡査が再び口にした聞き慣れない単語に反応し、つい「その、ツァーシサマって、ここの神様ですか?」と訊ねていた。


「ハッ! なぁにが『神様ですが?』だ。しんらじらしぃ」


 巡査はそう言って手錠の繋がった左腕の拳を天に衝き上げ、「しゃんと立でぇ」と背中を丸めていた私を引っ張り上げて叱りつけた。最前のマツナカ氏の言葉から察するに、どうやら私をネットで情報を調べてやってきた神社マニアのたぐいか何かだと勘違いしているらしい。


「何か誤解されてると思うんです。僕は本当にただの旅行者で、ここに神社があることすら知らなかったんです」


 マツナカ氏の私を見下ろす目は冷たく、これまでにも似たような言い訳をするやからを何人も捕らえてきたのか、最初から信じる気など毛頭ないという頑なな拒絶感がその瞳ににじんでいるように見えた。


「それどころか、かむらた山を知ったのだって今日で、車掌が、あの」


 相手が警官だとわかっていながらも、マツナカ氏の仁王像におうぞうを思わせる射竦いすくめるかのような目つきに気圧けおされた私は、すべてを言い切る前に言葉尻を濁して口を閉じた。


「車掌だぁ?」


 聞きたくない言葉を耳にしたかのようにマツナカ巡査は片眉を釣り上げ、「ぢゃあ、おめぇ、アレが、あっ?」と上半身と顎を引いて雑草に隠れた私の下半身へと視線を下げると、全身を舐めるように見まわしてから再び目を合わせ「こんなとごでなぁにしでんだ、おめぇ」と驚いたような声を上げた。


「だから、さっきも通りかかっただけって言ったじゃ」


「シッ!」


 マツナカ氏は私の言葉を遮り、「おめぇ、ひどりが?」と言うが早いか右手にたずさえた猟銃を振り上げ、傀儡宮くぐつぐうの方へ銃口を向けて何かに狙いを定めた。巡査の太い腕の強い力に振りまわされて踊るように身体を反転させた私は、視界のどこにも撃つべき対象が見当たらないことで不安になった。


「マツ」


「黙れ。なんがいる」


 巡査は何をどうやって察知したのだと私が不思議に思っていると、風が吹いて草葉がこすれるのとは明らかに違う、意思のある何者かが一定方向へ進行するガサガサという音が前方のどこかからか聴こえてきた。警官といえどパトロールに猟銃を携行するぐらいなのだから、やはり熊やイノシシといった危険な動物が出たりするのだろう。


 どこからそういった脅威が襲いかかってくるかわからないという恐怖だけでなく、もしこのまま猟銃を発砲されたら反動で繋がれた右手が怪我をしないだろうかという不安もあり、私はいなされるのを承知で「手錠、外してもらえませんか?」と右肩越しに巡査を見上げて小声で頼んでみた。


「さいぎんのヤヅらぁ、スタンガン持っでっかんなぁ」


 正面を睨んだままマツナカ氏が不愉快そうに言い、「注意するに越しだこだぁねぇ」と続けて銃口をわずかに下げた。巡査があまりにも私を警戒する理由がようやく理解できた。この様子だと過去に痛い目に遭わされたのは一度や二度ではないようだ。


「さっき調べ」


「来だ」


 その声に合わせたように大きな葉擦れの音が聴こえはしたが、先ほどから私が見ている景色には一向に変わったところはない。例えばこれが熊であればその巨体がもうどこかに見えているはずである。


 接近する者の姿ばかりを探していた私は、蝉の鳴き声に混じって音程の外れた電車の発車ベルのようなものを耳にし、答えを求めるように右隣で銃を構えるマツナカ巡査の顔を見上げた。


けがれだ」


 何のことかと思っているとマツナカ氏は銃を下ろし、「さ、行ぐぞ」と言って私の右手首をまた引っ張り上げた。手錠が手首に食い込んだせいで私は「痛っ」と声を上げ、さらに「痛いですって!」といちいち動きが荒っぽい巡査に対して強めに抗議した。


「あの、何かいるんじゃ」


「あぁ? おめぇが入れだんだろが」


 きびすを返して歩きだそうとする大男の後頭部へ「それって、猫のことですか?」と訊ねた私は、ちょっと前まで遠くで鳴っていた発車ベルが急に足元付近から聴こえてきて咄嗟に下を向いた。


 視線の先にはまばらに生える雑草の中を右側に傾くようにして歩く茶トラの背中があり、タマコはずいぶんと変わった鳴き方をするのだなと暢気のんきなことを考えていると、突然、私の二歩先ほどを行くマツナカ氏の隣で横ざまに倒れて四肢をぴんと伸ばしたまま動かなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る