無作法者

 バッグが地面に着地するなり男が銃の先端を突っ込んで中身を探りだした。


 私が何を盗ったと思っているのかは知らないが、男の雑なやり方は少なくとも繊細なものを探すそれではない。銃を向けてくるくらいなのだから、よほど大事なものではあるはずなのに、そのわりにはずいぶんと探し方がぞんざいな気もする。


 さらに男は銃を使ってバッグを自分の手元に引きずり寄せると、無情にも逆さまにして中身をその場にブチまけはじめた。おかげで着替えが地面に落ちないよう注意深く扱っていた私の努力は無駄になってしまった。


「何するんですか。中身が」


 やんわりと抗議の声を上げると、男は素早くバッグから銃を引き抜いて私に狙いを定め直し、「どごへかぐしだ」と地鳴りのような低い声で詰め寄ってきた。まさか服を脱げなどと言い出すのではあるまいな。


「だから、なにも盗ってないし、隠してもいませんって。ほら」


 ポケットからスマホをゆっくりと取り出した私は、男に何かを言われる前に自ら布地を裏返しにし、中がからであることを見せて両手を挙げた。それでもまだ疑っているらしく、男は銃を構えたまま私をつらぬかんばかりの目で睨み続けている。


 これ以上どうしろというのだ。男は盗っただの隠しただのと騒いではいるが、そもそもそんなに重要なものであるのならば、何故なにゆえこのような誰にでも入れる場所に保管してあるのだろうか。もしかしたら盗みというのは難癖なんくせをつけるための口実で、本当はただ単純に余所者よそものを排除したいだけなのではないか。


 張りつめた空気のなか息の詰まるような長い時間が流れ、ひょっとすると私はここで撃たれて死んでしまうのではと悲観的な考えが浮かびはじめたところで、「おめぇ、そごでなにしでやがった、あぁ?」と男が唐突に口を開いて沈黙を破った。


 声を出そうとして上手くいかず、唾液を飲み込んで何度か軽く咳払いをした私は、「なにもしてません。たまたま通りかかっただけです」とできる限り感情を抑えた声になるよう気をつけて答えた。


 ただでさえこれなのだから、今よりももっと男を怒らせてしまった場合には会話が成立しなくなるのは明らかであるし、もしそうなれば身の潔白を証明するどころか命が助かるかどうかさえ怪しくなるだろう。


「嘘こげぇ、んならなんで裏がら出でぎだ。あ?」


 語気は強いままだが男の声にはもう怒りは含まれていないようだ。それでもここはこさか氏のとき以上に慎重に言葉を選ばないと死に直結ということも充分にありうる。


「それはあの、タマコ、猫についていったからで」


けがれぇ入れやがっだのが」


 男は苦々しげな調子でそう言い、「たたられらぁ」と聞き慣れない名称と不吉な単語を続けて口にした。私には『』と聴こえたのだが、もしかしたら男は『八ツ橋様』と言ったのかもしれない。この神社に祀られている神様の名前だろうか。


「穢れって、猫がですか?」


「くんの無作法ぶさほうもんがぁ」


「え、猫ですよ? それで神様に祟られるってことですか?」


 猫が神社にとって穢れになるかどうかはともかくとして、タマコは私が連れてきたのではなく、私が彼女の後についてきたのだ。だから私が祟られるいわれはない。そうなったら言い掛かりならぬである。


「まさかおめぇ、カクシにゃ入ってねぇだろうな?」


 私は馬鹿みたいに「カクシ?」と男の言葉を繰り返し、スマホを持った右手で隣にある傀儡宮くぐつぐうを示しながら「このお堂のことですか?」と訊ね、相手が返事をするよりも早く「入ってません」と答えた。


 言葉の真偽しんぎを判断しようとしているのか、男は胸を狙っていた銃口を顔面へとわずかにずらし、そのまましばらくのあいだ私の目をまばたきもせずに片目で睨みつけてきた。


「ハッ、おめぇ、泥水どろみずぅ飲みゃあがったな」


 まったく予想だにしていなかった言葉に、一体どこからそんな話が出てきたのだと困惑していることを伝えるつもりで、私はわざとらしく眉根まゆねを寄せて男の顔を見返した。毒水は飲んだが泥水など飲んではいない。一二三ひふみ宅で出された茶だって真っ黒ではあったが流石さすがに泥は入っていなかった。


「泥水なんて飲んでませんよ」


「あ? おめぇ、気ぃづいでねぇのが」


 怖いことを言う。気づいていないとは何のことだ。それこそ脅しに違いない。


「顔が死んだみてぇんなってらぁ」


「これは、泥水ではなく、湧いていた毒水を飲んだせいらしくて」


そう言うわなぁ」


 ますます意味がわからない。この極限状況において相手と会話がまともに成立しない場合はどうすればいいのだ。今こそ国家権力に頼るべきではないだろうか。


 手に持ったスマホの電源をさりげなく入れた私は、首をわずかにひねりアンテナの状態を見て通話ができることを確認し、「いい加減、警察、呼びますよ」と男に反撃した。


「けいさづだぁ? んなもん意味ねぇ」


 男の強気な様子からすると、警官が駆けつけるまでに相当な時間を要するか、あるいは来たところで私の助けにはならないかのどちらかだろう。ドラマや映画じゃあるまいし、体制側ではなく地域住民に抱き込まれている警官なんかが実際にいるとは思えないが。


「銃、下ろしてくれないと、本当に警察を呼びますよ」


 電源の入ったスマホのスクリーンを向けて私が言うと、男は少しもひるんだ様子を見せずに「ぢゃあ、呼べ」と短く言い放った。そこまでいうのなら呼んでやろうじゃないか。


 私は片手でスマホを操作し、画面の緊急通報ボタンをタップしてスピーカーホンに切り替え、呼び出し音が男にも聴こえるよう音量の設定を最大にして電話が繋がるのを待った。

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