メホジリ

「メホジリ」


 ウサギを見ていた私は「え?」と顔を上げ、「このウサギの名前かい?」と少年に訊ねた。少年は首を横に振り、顎を引いてウサギへ視線を落とすと、何か言いたげな目をして再び私を見てきた。


「メホジリ」


 少年はもう一度そう言うと困ったような顔でウサギを見て、それから今度は私を見ながらギュッと目をつぶってみせた。私は自分でも「メホジリ」とゆっくり発音し、少年と同じようにしてウサギの目を見ているうちに、ようやく彼の言わんとしていることを理解した。


「目、穿ほじり?」


 はじめは少年のなまりとアクセントでわからなかったが、自分で口に出してみてその意味がわかり、何とおぞましい言葉なんだと身震いしそうになったところで先ほど藪の中で見た眼球を思い出した。


 聞きたくなくとも確認しなければならないことがある。このウサギの目の怪我けがと藪に落ちていた眼球の関連性を、だ。


 どういった答えが返ってくるのかある程度わかっていながらも、「それは、メホジリがやったのかい?」とウサギの目を指差しながら私が訊ねると、少年は黙って頭を縦に振って肯定の意を表した。


 メホジリなどという生き物なんぞ聞いたことがない。おそらくはこの辺の地域だけでの呼び名なのだろう。それにしても、目だけを狙うようなえげつない習性を持つ動物などいるのだろうか。


「その、メホジリはさ、動物の目をどうするのかな?」


 残酷な表現を使わないよう慎重に言葉を選んで訊ねたのにも関わらず、「メホジリに目ん玉ぁ、みーんなほじぐり出されっちまぁ」と少年が直球を投げてきたので、私の方が面を喰らってしまって少しだけ身体を引いた。


 私は「恐ろしい生き物だね」と平静をよそおい、頭の中ではすでに藪の中で見つけた眼球をメホジリの仕業しわざとして結びつけてはいたが、「それで、メホジリは目を取って、それからどうするんだい?」と少年に訊ねてみた。


 少年は私の問いには答えず、ただ首を横に振って再び腕の中のウサギへと視線を落とし、「ほじぐり出されっちまったなぁ」となぐさめるように声を掛けた。ウサギのほうは己の身に起きた事態の深刻さがわからないらしく、眼球の失われた顔を斜め上に向け、暴れることもなくひくひくと鼻を動かしているだけだった。


 野生の動物が狩りをするのは生命を維持するための生存本能からであり、人間のように趣味や利害で相手を傷つけたりあやめたりすることはないはずだ。


 たとえ互いの縄張りを主張するあらそいや個体間での小競こぜり合いで勝負がついても、勝者が戦利品として敗者の肉体の一部を持ち去るなどの蛮行ばんこうをするのは、やはりこれも人間ぐらいしか思い当たらない。


 では藪の中に落ちていた眼球はメホジリとは関係がなく、光る物を集める習性のあるカラスとか、獲物を保存する習性のある百舌もずなどの猛禽もうきん類の仕業なのだろうか。そこまで考えて「もしかして、メホジリって大きな鳥だったりするのかな?」と少年に訊いてみたが反応がない。


 これでは要領を得ないと思っていると、突然「しゅ」と少年がうつむいたままで呟いた。何かを言いかけたのだろうと次の言葉を待っても少年は黙ったままだった。


「ねぇ、何を言おうとしたんだい?」


 言葉の続きが気になった私は、少年を萎縮いしゅくさせて口をつぐませてしまわないよう、できるだけ優しい口調になるよう努めて訊いてみた。


「しゅ」


 少年は再びそう繰り返し、先ほどと同じようにそれ以上は口を開こうとはしなかった。私が「しゅ?」と鸚鵡おうむ返しに問うと、少年は頭を大きく縦に振ってこっくりとうなずいた。


 口数の少ない少年の言葉から察するに、これが私の質問を受けての答えなのだとしたならば、メホジリは大型ではない『しゅ』と呼ばれる鳥類か、はたまたメホジリという動物の種類という意味での『しゅ』なのだろう。どちらも私にはピンとこないが、そうとしか考えられない。


 私は己の無知を少年に悟られたくないがために、無意識ではあったが「しゅ、か。そうか」とまるで知っているかのような口振りで答えてしまっていた。どうも子供というものは扱いがわからないせいか苦手である。


 さて、私が欲する情報を得るには少年に何と言って訊ねればいいのだろうか。話の切り口を変えてみるのもありかもしれない。


「うん、じゃあ、メホジリは危ない動物なのかな? 人を襲ったりもするのかい?」


 すると少年は顔を上げ、「目ん玉ぁ、ほじぐり出されっちまぁ」と私の目を見つめて言った。そう言う少年の両目にはしっかりと眼球が収まっているので、彼の言葉は人間を襲うという意味ではなさそうである。それともという意味がわからなかったのだろうか。


「えっと、つまり、人の目ん玉も取られちゃうのかな?」


 わかりやすいように言い換えても少年は何も答えず、ただジッと私の顔を見返してくるばかりだった。答えは「イエス」か「ノー」かのどちらかしかないではないか。


 しばらくふたりで見つめ合っていると、おもむろに「あがめばぁほじぐり出されっちまぁよぉ」と少年が呟き、私が「あがめ?」と上げた大きめの声に反応したのか、それまで大人しくしていたウサギが後ろあしをバタつかせて激しく暴れだした。

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