子供

 もう二十分は走っただろうかと腕時計を見ると針は一時三分を指していた。バスに乗ったのが一時くらいだったはずなので不思議に思っていると、秒針が止まっていることに気がついた。駅で確認したときは確かに動いていたし電池を替えたのもまだ記憶に新しい。


 代わりにスマホで確認しようとポケットへ手を突っ込んだところで、ポーンという小気味良い音が鳴り、「次ぃ、とまりますー」という運転手のなげやりなアナウンスが聞こえてきた。


 顔を上げて行き先表示器を見ると『漁火いさりび』とLEDが点灯しており、続いて右から平仮名とローマ字の表記がそれぞれ流れてきて表示された。


 山の中で漁火とは変わっているなと思っていると、速度を緩めたバスが道路の左端へ車体を寄せて停車した。外へ目をやっても特徴的なものは何もなく、走行中に見ていたものと同じような景色があるだけだった。


 こさか氏のもとへ行こうと通路へ出ようとした私は、右後方から小さな人影がすうっと前に出てきてぎょっとした。前方の三人と私の他にも乗客がいるとは思わなかったのだ。おそらく二人掛けの席で横にでもなっていたのだろう。


 見ていると、小学校の低学年くらいとおぼしきその子供に、前にいる三人がかわるがわる話しかけていた。私は彼らの会話が終わって子供が降車口へ向かうのを待ってから席を立った。


「あの、先ほどは、何か失礼があったようで、怒らせてしまったのなら謝ります」


 こさか氏と連れの二人が見上げてくるなか、私は率直に詫びを入れた。


「あぁ? なに言っでんだ、おめぇ」


「はい、バス発車します。危ねぇがら吊りがわかなんがにつかまっが、シートにおがげください」


 車内アナウンスが聞こえて、私は咄嗟とっさに彼らの向かい側に位置する、通路を挟んだ一人掛けの席に腰を下ろした。ドアが閉まる音に続き、運転手が「しゃおう、れいっ」と声を上げるとバスが動き出した。


「てっきり僕に怒っているのかと思ったもので」


「ベづにおごっぢゃいねぇよ」


 こさか氏が「なあ」と連れの二人に同意を求めると、彼らは「んだんだ」などと言ってお互いの顔を見ながらうなずきあっていた。さっきまで私に向けられていた、招かれざる者を扱うようなこさか氏の態度が若干やわらいだ気がする。


「あいづも急ぎだったんだっぺ」


 連れの二人はこさか氏の言葉を受けて「しゃあねぇ」とか「上等だっぺ」と口々に言った。どうやら『あいづ』とは車掌のことで彼らと顔見知りのようだ。


 私は彼らのやり取りから想像し、これはこういうことなのではないかと考えをめぐらせた。


 かむらた山は地域住民だけが知る穴場的な場所であり、旅行者には入ってきて欲しくないというのが暗黙の共通認識になっていた。ところが、困っていた私を見て彼らの知人である車掌が口を滑らせてしまい、私という余所者よそものの介入を許してしまった。私へ向けられていたいきどおりは情報源の車掌へ移ったが、彼も慌てていたのだろうと寛大にゆるすことで古顔のこさか氏の怒りは収まった、といったところだろうか。


「それならいいんです。でも宿が潰れてしまっているのには弱りました。それで、かむらた山の近辺で他に宿泊施設をご存知ではありませんか?」


 失礼のないようなるべく丁寧に訊ねたつもりだったのだが、誰も何も答えてくれないどころか私と目すら合わせようとしてくれなかった。態度がやわらいだと思ったのは勘違いで、ただ相手にされていないだけらしい。


「その、電波が拾えないのでインターネットも使えませんし、潰れたというかむらたの宿の他に泊まれる場所のあてがないんです。ですので、もしご存知であれば」


 私が「教えていただけませんか」と続けようとした言葉は、こさか氏の舌打ちと「ったぐぅ」という溜め息をつくような声に遮られた。こさか氏の隣に座る男が誰にともなく「あっついのぉ」と声を漏らし、彼らの前の席から身体をよじって身を乗り出している男が「カミさんがよぉ」と二人に話を振る。


 怒っていないと言ったそばから無視はないだろう。いくら排他的だといってもほどがある。これでは彼らとの会話は諦めるしかなさそうだ。

 

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