僕は部屋に戻った。

 部屋に入った僕は、まず最初に窓を開けて空気の入れ替えをする。

 秋の涼しい風が部屋に入ってくる。

 僕が書類を一から書き直していた30分程に日はすっかり暮れてしまい、雲は晴れて、綺麗な月が窓から僕を覗き込む。


 大丈夫、今日は溜め込んでない。


 普段なら、僕は夜は電灯をつけないと生きていけないのだが、なんだか今夜は電灯をつけてしまうと、せっかくの下弦の月が台無しなってしまうような気がした。


「今日は、電灯をつけなくても良いか」

 少し暗くてよく周りが見えないが、この位の暗さならば問題あるまい。むしろ普段よりも周りに気をつけるようになって、怪我なども減るだろう。


 次に、帰ってくると僕はすぐに掃除洗濯を済ませることにしている。


 といっても普段から浄化魔法を使っているのですぐに済んでしまうが……

 逆にすぐに済んでしまうから人間は「まぁ明日でもいいや」となってしまうのだろうか。あぁ、だから前に先輩の部屋に呼ばれた時先輩の部屋が軽く地獄絵図……いや、何でもない。

 

 僕は戸棚から『掃除用魔法陣・ワンルーム用』と『洗濯用魔法陣・お一人様用』を取り出す。


 こんな便利な現代魔法科学を80年前に生み出した魔工技術者には感謝しかない。

 これらと同時に人工的に生産可能となった魔石と魔力ブースターによって、魔法が従来実用的レベルで使えなかった人でも魔法の恩恵を受けることができるようになった。

 また、その約40年後に人工魔水が開発されたことにより、自動車や魔力機関車La locomotive magiqueができて、交通革命が起こった。

 電気設備が不要となり、従来の電気機関車では採算が取れないとされていた地域にも鉄道が走るようになったのだ。

 要するに、カッコいいじゃん?


 どちらにせよ、僕は魔法が使えるので魔法陣を使うのに魔石や魔水が必要なく、両方に自分の魔力を流しこめば話は全て解決するのだが。


 それにしても『お一人様用』って……

 開発者の悪意しか感じられない。

 全国、いや、世界中の独身に喧嘩を売っているようだ。


「ふぅ……」

 僕は一つ息をはいてから、掃除用魔法陣に自分の魔力を流す。流れる魔力によって魔法陣が作動し始め、エメラルドグリーンに魔法陣が発光する。この光の色は一人一人違う。例えばジャンヌ先輩は橙赤色に光る。黄色や、紫の人もいる。因みに、魔石や魔水は白色だ。

 

 次に、僕は洗濯物を畳んだ上で洗濯カゴに入れ、その洗濯カゴの上に洗濯用魔法陣を載せて魔力を流す。魔法陣が発光する。うん、多分上手く行った。

 僕は一番上に載せておいた制服を取り出し、これには電気アイロンを使う。アイロンがけの仕方は国防大学にいた頃に叩き込まれたのでもうお手のものだ。

 そういえば、教官が小銃の整備の手際が悪かった僕に、

「どうしてお前はアイロンがけは上手なのに小銃の整備はまともに出来ないんだ」

 と本気で不思議がられたことがあったっけ。 

 なんでって僕に訊かないで欲しい。

 今となってはいい思い出だ。

 僕の友人は区憲兵に配属された奴が多かったが、それこそ戦闘部隊の魔法中隊に配属された奴は一体どんな生活を営んでいるのだろう。そういう奴と関わりはあまりなかったが、今になって少し気になる。まぁもれなく脳筋野郎と化しているだろうが。


 靴はこれまた靴用の浄化魔法陣があるので、同じ手順で綺麗にしておく。


 果たして未来の魔法はどうなっているだろうか。現在の魔法陣は使い捨てだが、半永久的に使用可能な魔法陣が登場するのだろうか?

「ま、先にさっさとお風呂に入っちゃうか」

 ここであれこれ未来のことを考えても仕方がないので、僕はお風呂に入ることとする。この答えは多分50年後くらいに分かるだろう。


 実際には浄化魔法で入浴の代替は可能だが、緊急時にしか使われているのを見たことがない。

 みんなお風呂に入りたいのだろう。

 そんなことを考えながら、僕はお風呂に入っていた。

 僕もお風呂に入りたい。


 



「あ、晩ご飯どーしよ?」

 僕は気づいてしまった。

 まだ風呂上がりで濡れている髪は夜風に当たって冷え、そして晩ご飯のことを何も考えていなかったことに気づいて背筋が凍った。

 なんかあったっけ?僕は冷蔵庫を開ける。

「何もないじゃん……あ!」

 そう、昨日の夜に食べたアヒージョの余りがあった。

「アヒージョか……温め直せば食べれるかか」

 いや、そうするしかないでしょ?


 

 僕は夕食に魔法で温め直した昨日のアヒージョを食べた。それしか方法もないしね。オリーブオイルが爆発仕掛けて少し焦った。そこで一気に魔力を流し込んで温めるのではなく、徐々に温めることにした。これがまた大変で、細かい調節が難しかった。いや、別にこだわったところで2日目だから美味しくなるってわけでもないが……普通のアヒージョだが……

 うん、おいし。ニンニクがしっかりと効いている。あーでもちょっと味が濃いような気がする。結構からい。塩入れすぎたか? でも昨日はこんなにからくなかったような……


 食べ終わってお皿を片付け終わる頃には外はだいぶ冷え込んできて、窓から入る風も冷たいので、僕は窓を閉めてラジオをつけた。

 ラジオからは陽気な音楽が流れてくる。どうやらジャズといって、海の向こうから渡ってきたらしい。

 サックスの響きは、何と形容しようか、ピカピカに磨かれたグラスのようだ。

 ピアノの音色は、これはまさに音符が踊っているかのようだ。

 最も残念だったのは、ラジオをつけた頃には番組は終了に近づいてしまっていて、どっぷりとそのジャズの音に浸かることが出来なかったことだ。

 ジャズ番組は司会の「また来週お会いしましょう。それでは皆さんさようならAu revoir, tout le monde」という言葉で締められた。

 そしてチャイムが鳴り、「皆さんこんばんはBonsoir, tout le monde」という、静かというよりはどちらかというと無機質なアナウンサーの声でニュース番組が始まった。

 ニュース番組を聴かない訳にはいかない。社会の情勢を知ることは基本中の基本だ。

 実際、最近のニュースはレスプブリカ絡みのテロや事件と赤狩り、後は再びきな臭くなりつつある南方サローナ王国の話題だ。

 ことは南方に至っては、数ヶ月前に小規模な武力衝突があったために大きく報道される。レスプブリカの方がよっぽど問題だと思うが…

 今日のニュースは『王都クラーナ区でのトラック暴走テロ』と『数ヶ月前の軍事衝突の責任を巡って行われたサローナ王国の議会総選挙で左派与党が議席を減らしつつも政権を維持』の二本立てだった。アナウンサーがニュースを読み、それについてコメンテーターが一言、という流れはいつも通りである。

 僕はそれを窓の外をぼうっと見ながら聴き流す。どうも最近のコメンテーターは現在の保守政権批判に持っていきたいようで、やっぱり今日もダメだなぁ、というのが感想である。サローナ王国の選挙云々は何とも言い難いが、トラック暴走テロは保守政権の所為には出来まい。左派政権であっても十二分に起こり得る話だ。レスプブリカは国家体制そのものの転覆を計っているのだから。そうしないと共産主義は成立しない(とレスプブリカは言っている)のだから。

 そんな政府にもレスプブリカにも得にならないニュースを聴き流すうちに段々と眠くなってきた。

 今日は疲れたので早めに寝よう。このままだと完全に寝落ちしてしまいそうだ。

 僕はラジオを切って、電気を消した。カーテンからは街の灯りと月明かりが入ってくる。僕は窓の外をちらりと見てからベッドに入った。

「今日はカーテンを閉めなくてもいいか」

 おやすみなさい。


 

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