#1 A gray girl


 今日も新聞の1面は最悪だ。

 僕の気分が新聞紙の色と同化し、グレーになって行くのを感じる。

 天気も新聞紙みたいな色だ。このままでは今はカラフルな通りの建物の壁も新聞紙の色になるのは時間の問題だろう。

 また、自分の眉間にまだ若いとは思えぬ程の皺が入っているのが分かる。

 王都南シアル区でまた警察署が襲われたらしい。新聞によると大陸東方の共産主義国家『レスプブリカ』、若しくはその思想の影響を受けた者の仕業の可能性が高いらしい。国民と国王陛下に奉仕する憲兵として全く理解できない。正当な選挙によって政権を得るなら別だ。だが彼らは暴力的手段に出た。しかも数年前から普通選挙が導入されたのに。

 何が『共和政』だ。レスプブリカ自体ただの独裁国家だろうとも思うが、まぁどちらにせよ南シアル区憲兵の仕事になるのだから我々クラーナ区憲兵には関係ないといえばそうだが……


「いつクラーナ区で起こってもおかしくないから嫌なんだよなぁ……」


 つい出てしまった僕のその言葉に一瞬ポカンとしたような後ろ姿を見せる長い銀髪の女性が一人。


「まーたそんなこと言い出して、いい加減その癖直してよね」


 おっと声に出ていたらしい。

「すみません。でもやっぱり気になるんですよねぇ」

「生真面目なのはシャルルの良いとこだけどさ。そんなのばっかりじゃあ……いつか精神病むわよ?」

 先輩……ジャンヌ先輩はミニキッチンから本気で心配してくる。顔は見えないが声でわかる。

 勿論僕だって頭では良くないと分かっている。少し前にストレスを抱え込んでしまって先輩に迷惑をかけたこともある。だが頭では分かっているが、感情的というか、理性を超えた部分がどうもそうはさせないようだ。


「あと年がら年中眉間に皺を寄せてるから『過労気味の五十路のサラリーマン』ってあだ名を学校でつけられるんでしょうが。そんな難しい顔してないで少しは微笑ったら?」

「ええ、微笑いたいですよ。ですがこれでも先輩の前では出来るだけ笑顔を見せるようにしているんですよ?」

「本当?」

「もちろん。前に元カノに年がら年中難しい顔してるってフラれたことがありますし」

「えっ!?」

 先輩の手がブレる。お湯をこぼしたりしませんように。ましてや火傷なんてありませんように。

「そんなに驚くことですか?」

 先輩はまるで言葉を選んでいるかのように頬に長い人差し指を当てる。

「シャルルと付き合う物好きもいるのね。」

「ちょっと失礼過ぎやしません? 僕にも過去の恋愛くらいありますよ」

「ま、まぁとにかく、火属性でありかつ『ロミュの魔女』の二つ名をもつ私が淹れたこだわりの紅茶でも飲みなさいよ」

 一体全体どうしたのだろうか。先輩は話を無理矢理切って、紅茶をお盆に載せてやってくる。


 え? そういえば普通紅茶やコーヒーは後輩が淹れるだろって?

 僕に紅茶コーヒーが淹れられる訳ないではないか。一度淹れたら

「これからは私が淹れるからシャルルは座ってなさい。シャルルの紅茶は飲めなくはないけど普通に安っぽい。最高級の茶葉でも安っぽくなるから」

 って言われた。

 要するに、不味かったのだろう。普通に淹れたはずだが。結局僕は紅茶係をクビになったのだ。


 先輩は僕の前にやってきて、目の前のテーブルに紅茶を置いた。若干危なっかしい。動揺しているようにも見えるから尚更だ。どこに動揺の要素があったろうか。過去の恋愛くらい普通あるだろうに。どちらにせよこのまま「こてっ!」って感じでこけられても困る。あの時はアイスティーで本当によかった。というか先輩は僕の3つ上だったような気がするから……25?とは思えない程の危なっかしさだ。

 ところで今日は……アールグレイだろうか。

 ベルガモットの微かな香りが香ってくる。

 しかも本人曰く、先輩の淹れる紅茶はアングレーズからわざわざ輸入しているらしい。

 流石先輩、四女とはいえ侯爵家なだけあって高級品を惜しみなく振る舞ってくださる。

 そんなこと言ったら絶対殺されるけど、特に侯爵云々のところは……

「ありがとうございます」

「ん」

 余計なことは言わずに礼を言うと、先輩は澄ましたような顔でとても侯爵令嬢とは思えない返事を返してくる。

 さて、冷める前に僕も頂こうか。僕は紅茶に口を近づける。


「熱っつっっぁ!」


 何これまだ口つけてないのにすでに熱気が凄いんだけど……ってことは


「熱っつっっぁ!」


 僕は慌ててカップを置いた。


 熱気が凄ければカップも熱いわなそりゃ!人間って意外と鈍感なもんだよ全く!


「何バカみたいな声出してるの? そんな古典的なコントみたいなことって実際に起こり得るの? もしかして本当にバカなの?」

 若干ニヤニヤしながらとても軍人かつ令嬢とは思えぬ言葉で僕をからかうのは、やっぱり先輩だ。熱くないのだろうか。平然と紅茶を飲んでいる。

「いやぁ猫舌だったの忘れていました。夢中になっちゃうとやっぱり良くないですねアハハ……」

 

 じーっ……


 いやぁそんな軽蔑と憐みを含む目で見ないで欲しい。

 まるで僕がアホな子みたいではないか。先輩はカップをゆっくりとテーブルに置く。

「やっぱりシャルルってアホの子よね。まぁそれはそれで可愛いし、その辺の野郎共とは違うから許すけど」

 お願いだから侯爵令嬢がそんなこと言わんで欲しい。あと、人の思考も読まないで欲しい。


「じゃあこうすればいいんですか?」

 僕は魔法でカップごと紅茶を冷やした。僕の属性は無属性なので精神干渉といったのは得意だ。まぁだからといって冷やしたり、温めることが出来ない訳でもない。魔法理論は苦手なので良く分からないが、どうやら魔法は全員が4属性全て使えるらしい。だが人によってうまく使える属性が違うそうだ。だから実用的なレベルで魔法をを使えない人もいる。僕の場合は無属性だった。先輩は火属性。

 因みに無属性とは全てが使えるオールラウンダーとこれらに属さない魔法を使う者だ。


 その魔法で僕はカップの紅茶を冷やす。

 少し冷やし過ぎたので少しだけ温め直したのは内緒だ。

 猫舌でも飲める温度になったところで、僕はもう一度口を付ける。うん、おいし。

 一応位だけは貴族? というかジェントルマン? とはいえ、『位だけ』で舌の肥えていない僕には安物も高級品も区別が付かないが。

 飲み干してから僕はカップを置いて一言。

「僕はアホの子ですか?」


「うん。アホの子」

 先輩は間髪入れずに答える。真顔が怖い。


 えっ?


「私がこだわって淹れた紅茶を冷ますなんてアホの子、いや、それ以下よ。もはや人間かどうかが怪しいわね」


 えぇー?

 ていうかそっち?僕の魔法とか猫舌云々じゃなくてそもそも温め直すことについて?



「シャルルのアイディアに期待した私がバカね」

「はぁ、そうですか。やはり僕はアホの子ですか」

 ここで折れるとしよう。それが一番傷つかないはずだ。今度首から『アホの子』って書いた札でも下げて来ようか。いや、そもそも「アホの子」って男子に使うのか?


「ところでさ、さっきの話に戻るけど……」

 先輩はふと思い出したような顔をする。

「どの話ですか?」

 僕がアホの子か否かか、あるいは紅茶を温め直すことの是非か、それとも紅茶の品種の話か。僕は先輩の次の言葉を待つ。

「テロ云々の話ね? シャル君は自分の仕事に専念すべきだよ? 南シアル区の事件がなんであろうとシャル君はクラーナ区憲兵なんだから。クラーナ区しか見てはいけない。ましてやシャル君には手の出しようがないんだから」

 いつも話している話題だった。上3つのいずれでもなかった。

「はぁ。頭では分かっています。でも、心とか感情が追いついていないといいますか、それでもやっぱり気になるんです」

「シャル君ってやっぱりアホの子よね」

 どういうことだろうか。あとシャル君とは?

「さぁ、仕事に戻るわよ。片づけくらいしなさいよね。私は本当に自分が憲兵なのかわからなくなるようなただのデスクワークに戻るから」

 先輩は自分のデスクに戻る。

 私は空のカップを2つ、お盆に載せた。 

 ミニキッチンへと向かう前に窓から外を覗いてみる。窓の外には活気がない。人々は互いを警戒するかのように距離をとって足早に歩いていく。

 通りの向かいを母娘が歩く。娘は6〜7歳からだろうか。手を繋いで足早に歩く母娘の表情は対照的で、娘は年相応の明るい表情だが、母の表情は暗い。

 なんだか見ていられなくなった僕は、窓の外の現実から目を背けるように、キッチンへと向かった。

 

 

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