第5話 神鳥ガルーダは、神を乗せて天を駆ける
校舎から出て、再び闇の中へ入って行こうとする私に、彼女は、前々から考えていたことを切り出すように言った。
「ホテル行こう」
ホテル?
彼女の声の調子は、東京でラブホテルに入ろうと言うのと同じだった。バリ島にそんなものあるわけない。
それでも彼女は私の手を引いた。その力から、何かあてがあるにちがいないと感じた。彼女はよく知った道順を行くように、人家と人家の間をぬって歩いた。やがて一軒の民芸品屋の前に着いた。
暗くなるとほとんどの店が閉まってしまうこの島で、その店はまだ薄暗い電球を点けていた。八畳間ほどしかない店内には、木彫りの人形や面に混じって、ミッキーマウスや自由の女神像が渾然と並んでいた。アメリカ製のものは、バリの若者の間では憧れの的だ。きっと、観光客だけでなく、現地の若者も相手にしている店なのだろう。それにしても、ブッダ像とミッキーマウスが隣り合わせに並べられている様子は妙な眺めだった。
どこからか、店主らしき男が現れた。腹の突き出た巨漢で、浅黒い肌をしていた。厚ぼったい唇の端に唾が白く泡立っている。彼は野卑な目付きで私たちを見ると、小馬鹿にしたような笑いを浮かべて私たちを奥に案内した。やはり、甘ったるい花の匂いが充満していた。
短い階段を降りると、濃いえんじ色のカーテンが先を塞いでいた。店主がそれを開けると、今にも蝶番が外れそうな、合板の安っぽい扉が現れた。扉を開けた時、奥の方にベッドがちらりと見えた。やはりここはそういう店なのだ。
彼は片手を扉の枠に突いて行く手をふさぐようにし、「さあ、入れ」と顎で合図した。入るには男の腕の下をくぐらなければならない。私はそれがいやだった。この男は、一刻の猶予もできないほど発情したカップルを、いつもこんなふうに馬鹿にして楽しんでいるにちがいない。だからこそ、卑屈な態度に出たくなかった。
私は、男の腕にぶつかるのも構わず胸を張って歩き始めた。すると彼は、ポケットから二つ繋がった鍵を取り出し、その一つを外して私の足元に放り投げた。それを持って入れ、と、手振りで言う。もう一つの鍵はスペアキーに違いない。
私は、スペアキーがこの男のところに残るのが不安だった。男はさっきから、彼女をぶしつけな視線で視姦していたからだ。私たちが裸でいる所に押し入って来られたら、この大男を組み伏せる自信は無い。私は、鍵を二つともよこせ、と言おうとした。しかし、私の口から出て来た言葉はそれとは全く違ったものだった。まったく、今思い出しても、自分の人格を疑ってしまう…。
私はこう言ったのだ。
「もう一人女を連れてこいよ。そうすれば入って来てもいいぞ」
男は呆れたような表情をして階段をあがって行った。あんな顔をしていたが、本当に連れてくるかもしれないな。ちらりとそう思った。それならそれで、いいじゃないか。
鍵は二つ残った。私たちは部屋に入って中から鍵をかけた。
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