第44話 最後の『依頼』

「お前に謝っておかなきゃいかんことがある」

「は?」


 球技大会も終盤へと差し掛かり、俺達のチームが決勝進出を確定させ、あとは他ブロックの結果を待つばかりという時に、ふいに伊藤がそんなことを言う。


「どうした? それは俺がお前をぶん殴らないといけない話か」

「場合によっては――いや、そういうことになるな」


 半分は冗談で言ったつもりだったのが、思いの外真面目な表情でそう返されてしまったので、俺は少し面食らってしまう。


 ただ、何となくこいつは疚しい気持ちがあるんじゃないかとは、ここ最近ずっと思っていたのは事実である。


 何せいつも飄々としていて、人の話もまともに聞かず、二次元の嫁ばかりに恋をする男が、最近はゲームもせず険しい表情ばかりしていたのだから。


 だがそれを訝しんでも問いただすつもりはなかった。何故か? 伊藤自身が訊いて欲しく無さそうだったから、それだけ。


「――取り敢えず、時間もあまりない、単刀直入に聞こうか」


「そうだな……まあ簡単に言えば俺は崎山先生のスパイだ」


「進行形か?」

「いいや、もうここまで来たら『だった』の方が正しいな」


「目的は――俺達のチームの戦術を全て把握する為か」

「御名答。よく分かったな」


「練習に美冬さんが乱入した日にな、部長さんが彼女は別チームを指導すると漏らしていたんだが、そこから音沙汰がないから妙とは思っていたんだ」

「そうか、お前なりに勘繰ってはいた訳か」


「そしたらお前の様子がおかしいときた。大方弱みでも握られてなにかされているんだろうと想像はしていたよ」

「……驚いたな、お前がそこまで鋭いとは思っても見なかったぞ」


「失礼な、まあ流石に最初は分からなかったけどな」

「何処で気づいたんだ?」


「核心なんてのはねえよ。そもそも美冬さんがいなかったらこいつガチャで爆死して凹んでるんだろうなと思ってたしな」

「ひでえこと言いやがるが間違ってねえ。だがお前そこまで言うってことは崎山先生のことを警戒していたのか?」


「そんなことする必要がない。前にも言った通り彼女は年上の幼馴染ってだけで、それ以上でもそれ以下でもないんだ」

「ならどういう――」


「美冬さんほど長い付き合いのあった幼馴染はいない、つまり彼女がどういう性格なのかってのも知ってるってこった」

「……恐ろしいもんだな、幼馴染ってのは」


 そう石榮いしえさん以上に、俺は美冬姉のことを知っている。


 だから、別に行動に示さなくても、何となくは分かるのだ。


 すると、伊藤は観念したかのようにふうと小さく息を吐いた。


「――正人。俺は穏やかに過ごしたかっただけなんだよ」

「おいおい、探偵に全て暴かれた時の犯人みてえな顔をするな」


「いや、その通りだ。俺は過去を暴かれるのを嫌がったせいで、皆の邪魔を――」

「気にすんな。俺がお前だったら俺も同じことをしてる」


 リア充の最前線をひた歩いていた男が、最後列でゆっくりと歩きたいと思うというのはそれぐらいのことくらい、俺にだって分かる。


 ただまあ、と俺は付け足すとこう言った。


「決勝は全力で美冬さんのチームを叩き潰せ、あと石榮いしえさん達に嘘をついてもいいから戦術が漏れているとことを伝えておけ」

「正人――何だかお前がいつもより格好良く見えるんだが」


「悪いことをした癖に口だけは減らない奴だな」

「あ、いや――わ、悪い……」


「いいさ、変に凹まれてプレーに支障が出ても困るからな――それにあんまり俺は気にしてないっていうのもあるんだよ」

「……? どういう意味だ?」


「俺は、今のチームがその程度で負けるとは思えなくてな」


       ◯


「えええええええっ!!!?」

『ゆかっち! 静かに! 皆に怪しまれちゃうよ!』


「あ、ご、ごめん……で、でも……」


 夏目さんが悲鳴にも似た、狼狽えるが如くあげた声を、隣りにいた同じクラスのバレー部の女子生徒が小声で嗜める。


「……とはいえ、伊藤くんの情報が定かなら、対策を練られているということになるわ、厳しい戦いになるわね」


 私が放った言葉に、チームの間に沈黙が流れてしまう。


 とはいえ、私自身危機感を抱いている、ということは実はなかった。


 何故なら私は油断せずに崎山先生の動向を注視していたし、何なら別クラスのチームを指揮するというフェイクも見破っていたから。


 そこから鑑みて分かったのは、彼女は自分が指導するチームに私達ほどの熱量を持って接していないということ。


 ただ、それでも私達のクラスの別チームは、私達同様バレー部を数人抱えているし、スポーツ経験のある男子生徒もいる。


 スポーツ自慢の男子生徒の多くがサッカーに興じる中、実力者揃いなのは間違いない。結果を残しているのが何よりの証拠。


『まさか身内が一番強大な敵だったとはね……』

『優勝する為にそこまでするのもどうかと思うけど……』


「でも私達は地獄のような練習をしてきたんだし、絶対勝てるよ!」

「そうね。単純な戦力差で言えば間違いなく私達に分があるわ」


 圧倒的な結果とはならないかもしれないけれど、練習通りに戦えば必ず勝機はある、必ず優勝と、そしてMVPをもぎ取るのよ!


 そ、そしたら私は――――あれ……?


「……? せおりん大丈夫?」

「えっ! え、ええ勿論よ……」


 お、おかしいわね……MVPが目前と思った瞬間、急に震えが……。


 い、いえ駄目よ! 今未来のことを考えても何の意味もないの! ただ試合に勝つ、それだけに集中するのよ。


 第一この勝負に負けたからって季松すえまつくんと離れる訳じゃない。


 それに所詮噂は噂、過度な期待を持つ方がよっぽど良くない。


「で、でも……遠のいてしまうのは……」

石榮いしえさん……?」


 もし、これが崎山先生の戦略の内なのだとしたら、私は完全に術中に嵌ってしまっているのだろう。


 急激に襲いかかってきた不安に、あれだけ機敏に動いていた身体がふいに硬直し始める、まずい、このままじゃ……。


 そう思った時だった。


『あっ、良かったぁ! まだ始まってないみたいだよ!』

『流石に決勝を見逃さない訳にはいかないからねー』

石榮いしえ先輩ー! 応援に来させて頂きましたー!』


「え……?」


 突然の事態に、周囲にいた誰もが困惑した表情を見せる。


 でもそれは無理のないことだった。体育祭よりも、文化祭よりも遥かに劣る、たかだか球技大会の決勝戦なのに――


 同級生だけでなく、下級生の生徒までもが、バレーの決勝戦を観戦しようと、応援しようと、駆けつけ始めていたのだから。


「まさか……これって――」


 ただ私にはその理由が分かっていた。


 何故ならその生徒達は皆、私が秋ヶ島先輩の『依頼』を受けて訪問していた部活の部員達だったのだから。


 同時に、私だけが、それが恋愛相談を辞める秋ヶ島先輩の、最後の手土産だということに、気づいていた。



 身体の震えは止まっていた。

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