第40話 前髪長女

「ふぅ……今日も疲れたな……」


 ちょっとしたバレー事件から約2週間後。


 俺は今日も今日とてバレーの練習の帰宅途中だった。


 というのも少し肩に力が入っていた石榮いしえさんは、あの日以来調子を取り戻すと、更に力を付けていったのである。


 今や向かう所敵なしとでも言うべき圧倒的バレー技術を身に着けた彼女は、それこそ部長に本気で口説かれるまでの様相となり始めていた。


「普通に考えれば優勝は間違いない……そう思うんだけどな」


 何と言っても石榮いしえさんが考える戦術は球技大会のお遊びの範疇を容易に超えたものであり、俺達チームはそれを必死に頭に叩き込んだのだ。


 まあとは言っても俺以外は皆スポーツ経験者なので、一番大変だったのは間違いなく俺ではあるのだが……。


 だが石榮いしえさんに見ていて欲しいと言われた以上、俺も恩を返す為にかつてないレベルで必死に食らいついたものだった。


 それに、チームが誰一人『なに球技大会如きで必死になってんの?』とは言わなかったので空気も悪くなかったし、お陰で助け合いながら練習が出来ている。


「ただ……唯一心配事があるとすれば、やはり美冬姉か」


 美冬姉はあのバレー一件以来、一度も顔を見せていないのだ。


 見せていないと言っても勿論クラスにはいる。教育実習も終盤に差し掛かりクラスメイトとも大分馴染んでいるし、順調な教師生活を送ってはいる。


 しかも忙しいのか、最近は殆ど会話もしていない。


 言ってしまえば、チーム指導などしている暇があるのかという話である。


「そもそも指導をしているなんて噂すら聞いていないのが――うん?」


 そんなことを漫然と考えながら歩いていると、ふと目の前に見覚えのある顔が飛び込んでくる。


 並んで仲睦まじそうに歩く三人組の女子の中央、右に左に笑顔を振りまいているのは石榮いしえさんの妹、桜織さおりさんだ。


「制服……学校の帰りなのか」


 彼女とは石榮いしえさんの家でしか会ったことがないので、疚しい気持ちは一切ないが、制服姿というのは新鮮だった。


「――ん? あっ」


 すると俺の視線に気づいたのか、彼女は何やら二人の女の子に話をするとさっとその間を抜けて俺の元へとやって来てしまう。


 凝視していたつもりは全くないのだが……何だか俺のせいで空気を乱したような気分になり妙に気まずさを覚える。


季松すえまつさんこんにちは、ご無沙汰してます」

「久し振り、桜織さおりさんも元気してた?」


「はい勿論。受験勉強が大変なので元気満点とはいきませんけど」

「ああそっか、三年生なんだっけ、受験は宝明高?」


「一応私立も考えてますけど、親からは学費の安い公立にしなさいって言われてます。でも偏差値高いんですよね、宝明高」

「あーそういえば俺の入学した次の年から単独選抜に変わったんだっけか」


「はい。私姉より頭は良くないので自信はないですねー。ただ徒歩で行けるのは宝明高だけなので、頑張りたい気持ちはありますけど」

「俺も頭は良くないから、タメになるアドバイスは出来そうにないな」


「あはは。大丈夫ですよ、それは前の中間考査で分かってますから」


 悪気はないんだろうが、妹さんのストレートな馬鹿認定がグサりと刺さる。


 まあね……妹さんでも分かる問題俺解けなかったからね……。


「それより、さっきのお友達は大丈夫なのか? 先に行ったみたいだが」

「ああ全然大丈夫です。寧ろ一緒にいるのに疲れていたんで」


「疲れ――?」

「別に誰が悪いとかじゃないんですけど、やっぱり受験シーズンなんで、皆ピリピリしてるんですよ。だから自然に愚痴が増えるというか」


 なるほど、中学受験をしていなかったら実質初めての受験になる訳だもんな、しかも高校も友達と一緒になれるかの瀬戸際でもある。


 悪口の一つや二つ言わないとやってられないということか、まあ俺はそういうのとは無縁の高校受験だったのでアレだが。


「なんつーか、大変だな、お疲れ様」

「いえ、聞き手側に回るのは慣れているので――それに私も季松すえまつさんにお話したいことがあったんですよ」


「ん? 俺に?」


 はて、妹さんとは石榮いしえさんの家庭教師の件でそれなりに話をすることはあったが、取り立てて込み入った話をした記憶はない。


 ま、まさか……? と、阿呆くさい妄想を掻き立てた自分を必死で振り払っていると、俺より2歩前に先行した妹さんがくるりと振り向いた。


 必然的に俺は道を塞がれた形になり、足を止める。


 すると彼女は微笑んで軽く頭を下げると、こんなことを言うのだった。


「うちの愚姉の側にいて下さって、ありがとうございます」


「へ……? いやいや、お礼を言うべきなのは俺の方だよ、ホント色々して貰い過ぎて申し訳ないと思ってるくらいだし」

「でも、あんな変な姉の側にいるのって疲れませんか? いくら顔は美人と言っても奇行が多いんじゃないかと思うんですけど」


 うーん……それは……そう言われると突拍子もない行動に出る人だなあと思ったことは何度かあるけども……。


 でもそれは誰かの為にしていることなのだと気づいてからは全く気にしたことはない、だから俺も彼女の為に出来ることをと考えるようになったのだし。


「でもお姉さんは不器用だとしても優しい人だと思うよ。中々人の為にとあれこれ動ける人っていないしな」

「――ああ、違いますよ。確かに他人思いな所はありますけど、そこまでするのは季松すえまつさんくらいですから」


「……? いやでも、それだと俺だけにする意味が――」

「そうなんです。だから余計なお世話だと思いますし、言ったら怒られるんじゃないかと思うんで姉には黙っていて欲しいんですけど――」


 彼女はそう前置きすると、少し曖昧な表情を見せてこう言った。



前髪長女まえがみながおんなって覚えていますか?」

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