第35話 雲のような蜘蛛

「伊藤くんは学校の生活はどう? 楽しんでる?」

「え? ……まあ……普通ですね」


「そんなんじゃ駄目よ? 青春は一生に一回しかないんだから。それに、今はしなくても後で絶対後悔するものなんだから」

「はあ……」


 まさかこんな与太話をする為に崎山先生は俺を呼び出した訳ではあるまい。


 概ね想定通りに事が運んでいるのだと仮定すれば、考えられるのはやはり正人絡みの話と言うべきだ。


 一週間も俺達のクラスで生活を共にすれば誰が誰と仲が良いかなど大体想像はつく、そこで彼女は俺に白羽の矢を立てた。


「あの……ところで崎山先生、お話というのは」

「まあまあそんなに慌てないで、行けばすぐに分かることだから」


「…………?」


 行けばすぐに分かる、というのは一体どういう意味なのか。


 普通に考えて先生に呼び出されて向かう先があるとすれば職員室か生徒指導室、この二点に絞られるはず。


 だがもし話の内容が正人の関わることなら教師の視線があるような所でする会話ではまずない、大体他愛もない話なら教室で済むのだし。


 徐々に嫌な予感が頭の中で蠢き始める。おいおい……俺は無関係だぞ?


「……因みに先生は教育実習は順調ですか、高校生となれば小学生のような無邪気さはありませんから、中々大変と思いますが」

「そんなことないわよ? 皆私を受け入れてくれて、何よりお利口さんだし、とても恵まれた環境で実習をさせて貰っているわ」


「ふうん……そうですか」


 まあ、そこに関しては実際その通りだろう。美人に加え生徒視点で会話が出来る先生っていうのは、学校において女神的な存在でしかない。


 必然的に皆従順、教師にとってこれ程過ごしやすい環境はない。


 女子とは友達で男からはチヤホヤされる、さぞ気分がいいことだろう。


「……ついでに一つ質問をしてもいいですか?」

「なあに? 何でも聞いてくれて構わないわよ、どうしたの?」


「いや、崎山先生の学生時代ってどうだったのかと思いまして」


 少し踏み込んでしまったが、俺もこのままいいように扱われるのは気分が良いものではないので、思い切って質問をしてみる。


 それに、崎山先生はまだ俺が何処まで勘付いているかはまでは分かっていない筈、惚けたフリをして核心をつけるならばそれに越したことはない。


「んー? そうねえ、それなりに楽しい青春を送らせて貰ったわよ?」

「学校行事や部活に励んだりといった感じですか」


「そりゃ学生の代名詞といえばそれ以外にないじゃない。んん……? もしかして伊藤くん、私の恋愛遍歴が気になるのかな?」


 彼女はそう言って俺の方を向くとイタズラに笑ってみせる。


 敢えて避けたつもりだったのだが……随分と見透かした物言いだことで。


 だが彼女を追いかける男子共は皆口を揃えて『雲をつかむような気分にさせられる』と言っていたが、それが今少し分からないでもなかった。


 身近で、そこに確かにいるのにまるで手応えがないとでも言うべきか。


「――……まさか。ですがそれだけ美人な訳ですからさぞおモテにはなったのではないかと、俺は思っていますけどね」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃん。モテるイケメン君にそう言って貰えると戦線としても鼻が高い話ねえ」

「ご謙遜を。俺は別にモテませんよ、学校生活を見ていれば分かるでしょう」


「そう? 女の子の間では伊藤くんの評判は良いわよ~、一見クールに見えるけど、とっても優しくて気が利く男の子だって」

「……変な評判を立てられるのは困りますね」


「嘘じゃないわよ。それに、その性格なら昔はさぞモテたでしょ?」

「どうでしょう。自分ではそういうの、よく分かりませんね」


「かつて学年一の美女、八長やつながさんとお付き合いのあったのに?」


 ……は?


 今……この女なんて言った……? 八長やつながって、そう言ったか?


 待て待て、落ち着け、そんな筈がある訳ないだろ。元カノの話を知っているのは宝明高の中でも正人以外誰もいないんだぞ。


 な、なら正人が言ったとでも……? いやだとしても俺はあいつにさえ彼女の苗字まで教えたことはなかった、なら一体……?


 前振りもなく放り込まれたワードに動揺が出てしまう。まずい……完全にペースを掴まれてしまった、話の流れを戻さなければ。


「……そ、それよりも崎山先生は――」

「あ、そうこう話をしている間に着いちゃったわね」


 しかし、話題の方針を転換したのは俺ではなく彼女だった。


 動揺もあってかその言葉に流されるまま視線を上へとあげてしまう――するとそこにあったのはプレートもなければ人気も感じない、至って普通な教室だった。


 こんな場所となると……二人きりの教室で脅しをかけ、彼女の手足として働くように強要でもするつもりか……?


 そう警戒するが、何故か彼女は普通にノックをする。


「失礼しまーす」

「…………」


 そして挨拶をして扉を開け中へ、無論俺に拒否権はないのでその後に続いた。


 仕方ねえ……こうなった以上俺も刺し違えるくらいの気持ちで行かなければならんな、正人に有益な情報を一つくらいぶんどって――


「――――え?」


 だが。


 そこにあった景色は俺の想像の遥か斜め上を行くものだった。


 おいおい崎山先生よ……たった一週間でこの行動力は普通じゃねえだろ……一体何をどうしよっていうんだよ……。


 いや……悪いな正人……どうやら俺はここで終わりらしい。


「ふう……また崎山教諭かい。いくら『依頼』をこなすからといって頻繁に来られても私もそこまで暇では――おや、そこにいるのは伊藤優馬くんじゃないか」



「秋ヶ島……先輩……」

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