第31話 美冬姉は酔っている?

「さて……これからどうしたものか」


 などと格好をつけ椅子に腰掛け思案をした所で何も思いつくことはない。


 そもそも何に悩めばいいのかという話である。数年ぶりに美冬姉と再開して、彼女が教育実習生だったとして何か起こる訳でもあないのだ。


 約1ヶ月程度実習を行い、その約1年後には新米教師となり宝明高かそれ以外の高校に赴任し、教師としてのキャリアを進めていく。


 そんな彼女の道すがらでほんの少し道中が一緒になったというだけ。懐かしく過去を振り返ってもそれ以上何が起こるというのか。


「でも何か嫌な予感がするんだよな……」


 嫌な、というよりは何かが起こりそうとでも言うべきか。


 ここ数ヶ月起こった怒涛の出来事を背景にすると、どうにも美冬姉の存在も他人事のようには片付けられない気がする。


 とはいえ、何か積極的に絡まれているとかそういう話ではないのも確か。


 しかも彼女は当たりの教育実習生故に、常に群がる男子女子生徒に囲まれているし、彼女は彼女で日々の実習をこなさなければならない。


 旧知の間柄など学校では何の意味も為さないのである。


「やはり気にし過ぎなのか――――ん?」


 そう思案を巡らせていると、日も落ちて時間が経つ頃だというのに呼鈴が鳴る。


 両親は本日帰りが遅いので不在、必然的に俺が対応しなければならないので椅子から立ち上がり玄関に向かうが、何やら外が騒がしい。


「おいこらー! 扉をあけろーい!」

「は……? な、何だ……?」


 一瞬騒音トラブルかと身を固くしてしまったが、過去も現在も取り立てて騒がしくした覚えはないので恐らく違うはず……。


 というかこの声って……まさか……。


「まさくーん、いるんでしょー? 居るんだったら返事しなさーい!」

「み、美冬姉……?」


 噂をすれば影がさすとでも言うべきか、その声は明らかに美冬姉だった。


 近所迷惑に成る程の煩さではないが、扉を貫通して聞こえてくる彼女の止むことのない呼び出しに俺は堪らず扉を開ける。


 するとそこには案の定、薄ら笑いを浮かべる美冬姉が立っているのだった。


「へっへっへー、やあっぱりいるじゃないのー」

「美冬さんもう夜ですよ、何やってるんですか……」


「えー……? 何ってそりゃあ……」

「酒臭っ……まさか飲んでましたね……?」


「だーいせーかーい! 実習生仲間とそこの居酒屋で親睦会? しててさー……でも二次会はブッチしてまさくんに会いに来てやったんですよお」

「う……そ、そりゃ、どうも……」


 漂うお酒の香りというのもあったが、それ以上にそんなことを言われるとは思ってもいなかったので顔をそむけてしまう。


 約7年の時を経て再会したお姉さんは、更に大人の階段を駆け上っていたのであったが、それでも全てが変わった訳ではない物言いに妙にむず痒くなる。


「ていうかさー……その美冬さんっていうのは止めなさいって言ったでしょー? 生徒と良い関係を作るのも教師の責務なのに、隣人の少年に壁を作られていたら商売上がったりじゃないー」

「わ、分かりました、分かりましたから取り敢えず中に入って下さい」


「あとその敬語もだめー――って、あらあら~? 手をグイグイ引っ張るなんてまさくん積極的じゃない~」

「め、めんどくせえな……」


 大人の階段を上って飲酒を覚えると人はこうも変わってしまうものなのか。


 少なくとも、今の彼女に当時のお節介な面影は微塵もなかった。


       ◯


「んっ……んっ……ぷはー! いや生き返るわぁ、ありがとねー」

「ビールを飲んでるんじゃないんですから……」


 ひとまずリビングへとあがり、麦茶を飲み干した美冬姉は何ともおっさん臭い声をあげてそんなことを言う。


「というか玄関であんな不審者極まりないことしないで下さい、俺でしたから良かったものの、親が出てきていたらどうするんですか」

「あーその辺大丈夫、ちゃんと親御さんに確認済みだったからねー」


「え? もう挨拶していたんですか」

「実習が始まる前にちょっとね、そしたら週明けは帰宅が遅くなるって言うもんだからその時は是非まさくんに挨拶させて貰いますって」


 酔っている割には随分としたたかなことを……まあ酔って暴走をした結果ではないだけマシなのかもしれないが。


「それにしても全てが懐かしくてつい浮かれちゃうわね。宝明高のOGだったらもっとワクワクの止まらない実習生活だったんだろうけど」

「そういえば中学3年で引っ越したんでしたっけ」


「それくらいかな? まあ大阪での暮らしはそれはそれで楽しかったけど、人生の半分以上はここだったし、やっぱりこっちの方が地元って気はするかな」

「そうですか……」


「まさくんももう高校生な訳だけど、学校生活はどう? 楽しんでる?」

「ううん……ぼちぼちですね、可もなく不可もなくって感じです」


「いやいや、まさくんそれじゃあ駄目よ、青春を謳歌出来る学生時代はたった6年しかないんだから、もっと楽しまないと」

「いやー……あんまりそういう性格でもありませんから……」


 きっと美冬姉は学校内外に関わらず全イベントを全力で楽しんで来たような、そんな青春謳歌人なのだろう。


 昔の俺がそのまま大きくなればそうだったかもしれないが、そういうのを斜に構えて見たがるのもまた高校生の裏青春なのだから仕方がない。


「そんなこと言ってると大きくなってから後悔するもんだからね――ってあれ、でもさー今彼女はいるんじゃないの?」

「へ? いる訳ないじゃないですか、何でそうなるんですか」


「あれ? 違うの? えーっと名前は……そう、石榮いしえさんだっけ」

「はいっ!?」


 まさか美冬姉から石榮いしえさんの名前が出てくるとは想定している筈もなく素っ頓狂な声を上げてしまう。


 何で石榮いしえさんの名前を美冬姉が……いや実習の上でクラスの名前くらいは先に覚えるものなのか……だ、だとしても――


「ち、違いますよ、面識はありますけど付き合っているとかでは――」

「? 違うの? 本当に~?」


「ほ、本当に違いますって……」

「ふう~ん……?」


 美冬姉の酔っているせいか、ジトりとした視線が俺を突き刺してくる。


 だがそこに嘘はない、何ならこれ以上否定すれば逆に嘘臭くなって石榮いしえさんに迷惑がかかってしまうぐらいだというのに……。


「…………」


 美冬姉の品定めでもするかの如き目つきに、俺は精一杯無言の抵抗を続けていると、ややあってようやく表情を戻してくれるとこう口を開いた。


「――……そ。違うならいいんだけどね」

「ご、ご理解頂けて幸いです……」


「んじゃ、まさくんの身の上話も聞けたし、そろそろ帰ると致しますかねー」

「え? もう帰るんですか?」


「ん~? なになに~? もしかしてまさくんはこの酔っぱらいの相手でもしてあげようとでも申し上げたいのかな~?」

「い、いやそれは……」


「ふふ、冗談よ。それに今は同じクラスの先生と生徒なんだし、暫くは毎日会えるしね、別に遠慮なんかしないで学校でもじゃんじゃん話し掛けて頂戴ね」

「ぜ、善処します……」


「それじゃまたね~、あ、お母さんに宜しく伝えておいてね~」


 そう挨拶をされると、酔っているにしては中々軽快な足取りでさっさと帰っていってしまう美冬姉。


 相変わらずマイペースな人だが、それに振り回されてばかりの俺もまだまだ精進が足りないとでも言うべきか……。


「美冬姉の実習成功のためにも、下手に絡まない方がお互いの為だな……」


 ……にしても伊藤はまだしも、どうして美冬姉まで石榮いしえさんの話を持ち出してくるなど、どういう腹積もりなんだ……。


 こんなことを言われては石榮いしえさんを直視なんて到底出来そうにない……。



 何なら本気で勘違いさせて、俺の玉砕する姿を肴にしようとでもいうのだろうか。

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