第30話 姉妹会談

「……桜織さおり


「うわっ! びっくりしたぁ……」


 いつもならゴキゲンに家の扉を開け放って騒ぎ出す筈の姉が、今日は不覚にも忍び足で私の背後に回っていたものだから、思わず声を上げてしまう。


 騒いでどうこうされるならまだしも、この手法を何度もされたら流石に寿命が縮まるから――勘弁してくれないかな……。


 私は国語の過去問を閉じると、ため息混じりに椅子ごと後ろを振り向く。


「……なにお姉ちゃん、季松すえまつさんのテストの点数でも悪かったの」

「だとしたら私は今頃地面でのたうち回って泣いている頃よ」


「それを見ずに済んで何よりでやんすよ」

「でも事はそう易しという話ではないの」


「はぁ……」

「いい桜織さおり、今から姉妹会談をするわよ」


「えっ!? い、今から……?」


 たかだか姉妹で話をするくらいで何をそんなに慌てる必要があるのかと思うかもしれないけど、姉が腰を据えて話をする時は大体長くなるのだ。


 要するに一定の決着がつくまで話が終わらない、最近ではノックせずに勝手に部屋に入っていいか否かで日を跨いだこともあるくらい。


 しかも家庭内の問題でないとすれば会談内容は間違いなく季松すえまつさんに……ヤバいって、徹夜で学校に行く羽目になるよ。


「お姉ちゃん……せめてその会談休日にズラすこと出来ない……?」

桜織さおり


「な、何……?」

桜織さおり、前にりんごジュース飲んだわよね」


「え、あ、あれは――」

「あれはナイスプレーだったとは思うわ。私がお風呂上がりに飲もうと買ったちょっと良いりんごジュース季松すえまつくんに提供出来たのだし、そのついでに桜織さおりが飲んだくらいで怒ったりはしない」


 でもね、とお姉ちゃんは前置きすると顔をずいっと寄せてこう言った。


「その後そのりんごジュースをさも自分の物のように、私が一杯も飲むことなく全部飲み干したのはどういうことかしら」

「お姉ちゃん……か、顔が近い――あと怖い」


桜織さおり、私はそれを姉妹会談でチャラにしてあげると言っているの、それともその血肉となったりんごジュースを身体から絞り出してくれるのかしら」

「わ、分かったから! 分かったからそんなサイコなこと言わないで! 女の子がそんな狂気を出すものじゃないから!」


「そう。分かってくれればいいのよ、じゃあ早速始めましょうか」

「はい……分かりました……」


 これは会談というよりただの脅迫なのでは……? まあ元はと言えば私が悪いから従うしかないんだけどさ……。


 日に日に減りつつある勉強量にそろそろ家族会談の必要性を訴えたい私ではあったけど、それでも椅子から立ち上がると姉の部屋へと足を運ぶ。


 そして座布団に座り一息、夕飯までの拘束は覚悟の上……か。


「……それで? 会談内容は? どうせ季松すえまつさんでしょ?」

「そうと言いたい所だけれど、正確に言うと違うわね」


「? てっきり喧嘩でもしたのかと」

「私が季松すえまつくんに喧嘩を仕掛けるようなことがあればそれは最早季松すえまつくんではない別の何かよ」


「全然意味分かんないけど」


 ふーん、でも揉め事になったとかそういう話じゃないのか。


 まあでもよくよく考えたら姉にそんな意気地がある筈もないか、寧ろ『私の悪い所全部直すから!』とか言い出しそうな気がするし。


「……桜織さおり、私と季松すえまつくんの関係を端的に言えば何になると思う?」

「へ……? うーん、知り合い以上友達以下?」


「せめて友達以上恋人未満にしてくれないかしら」

「じゃあ今はまだ友達ってことでいいんじゃないの」


「違うわそうじゃないの。そんな短くじゃなくて長いスパンで見た場合よ」

「そういうこと……まあ、一応、幼馴染ですかね」


「Bull's eye(正解)」

「Thanks a lot(そりゃどうも)」


 まあたった1ヶ月しかなかった(それが姉にとって大きな転機となったとはいえ)関係性を幼馴染というのは微妙な気もするけど。


 あくまで姉がそうだと言うのであれば特に否定をする理由もない。


「で、その幼馴染という立ち位置が会談と何の関係があるの?」

「私はね……幼馴染というのはone on oneだと思っていたの」


「このお姉ちゃんは何を言っているんですかね」

「でも冷静に考えてみればそんな筈ないのよ。私にとって季松すえまつくんは唯一無二でも、彼にとってはそうではない可能性があったのよ」


「えーと……つまり……あれね、季松すえまつさんにはお姉ちゃん以外にも女の子の幼馴染がいたっていうことね」


 事実を認めたくないからか、あまりに回りくどい説明過ぎて理解に時間がかかったけど、なるほどね、そういうことか。


 確かに言う通り季松すえまつさんに姉以外の幼馴染が存在していたとしてもおかしな話じゃない。


 ただそれを事実として認識していかどうかは別の話、そんな話が急に舞い降りて来たものだから姉はパニックになったと。


「しかもその幼馴染は私達より5つも年上で、悍ましいことに今日から私達のクラスの教育実習生になったの、こんな笑えない状況ある?」

「幼馴染のお姉さんが教育実習生ね……そりゃ手強いですな」


「故に対策立案は急務、一刻の猶予も残されていないの」

「それでこの会談なのね……でもさ、そのお姉さんにしても季松すえまつさんにしても、好きかどうかなんて分からなくない?」


「勿論私だって最初はそうだと思っていたわ――でもその幼馴染はね、私を見るなりほくそ笑んで鼻で笑ったのよ?」

「え? 出会い頭に……?」


「そうよ。つまり彼女に季松すえまつくんとの距離は私の方が近いと余裕のアピールをされたの、だから悠長にしている暇は――」


 ええ……そんなことあるのかな? だって普通に考えたら姉とその幼馴染さんは面識がない筈だと思うんだけど……。


 幾ら何でもそれは姉の勘違い、だから様子見が最善手と言いたいけど――姉の表情は焦燥にかられているから素直に聞き入れてくれるとは思えない。


 勿論姉の気持ちを汲んで協力したいのもあるけど、私は受験生だし何より高校生じゃないからなあ、どうしたらいいんだろ……。


「あれ、そういえば……」

「? 桜織さおり? 何か思いついたの?」


 きっと姉のことだから変な勘繰りをして内緒にしているんだろうけど、これだけ露骨なら多分知っていてもおかしくないよね……。


 ふむ……ちょっと欺く感じにはなっちゃうけど、姉が変な気を起こさない為にも、試してみるのも悪くはない……か。


「――……分かった。姉の窮地に妹として何もしない訳にはいかないし、ちょっと思いつきそうなアイデアもあるから、一旦ここは終了して後日報告でもいい?」

「……いいわ。迷惑をかけて申し訳ないけれど、お願いしてもいいかしら」


「いいってことですよ。私もお姉ちゃんには上手くいって欲しいしね」

桜織さおり……ありがとう」


 恋敵を増やさないよう、周りに味方を作らないせいで誰に相談したらいいか分からなかったのだろう、緊張した面持ちだった姉の表情がようやく弛緩する。


 ――ま、面倒だけど、季松すえまつさんとの恋路が失敗したらこちとら日常生活に大きな支障をきたしかねませんからね。



 全てが事実なら、私が幼馴染さんの好きなようにはさせませんよ。

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