第28話 姉弟のような関係

「あれ、あれあれ? 本当にまさくんなのね、久し振り~!」


 美冬姉――いや崎山美冬さきやまみふゆさんのことを話すとすれば、それはほぼ小学生の頃にまで遡る。


 大体1年生から5年生くらいの期間だったと思うが、彼女は昔俺が住んでいたアパートの隣の家に住んでいた女の子なのだ。


「お、お久し振りです……美冬……さん」

「大きくなって――ってそれも当たり前よね、もう7年位前になるのかな」


 年齢差があるから当然なのだが、まさにTHEお姉さんといった感じなのが彼女の特徴で、昔から変わらない優しい目元は妙な安心感を覚えさせる。


「そうですね……もうそれくらいになりますか」

「だよね~――って、美冬さんって言い方はちょっとよそよそしくない? 昔みたいに美冬姉って言ってくれればいいのに」


「へっ? い、いやそういう訳にはいかないでしょう……」

「え~なに? もしかしてまさくんまだ思春期とか? うりうり~」


「ちょ、や、止めて下さい……」

「かわゆい奴め、おりゃおりゃー」


 彼女からすれば俺はいつまで経っても青二才のガキンチョなのかもしれないが、流石にこの歳で礼儀を欠くなんて真似普通はしない。


 長い黒髪をローポニーにした姿は昔とは少し面影を変えるが、美人で大人びた雰囲気は健在であり、そんな彼女に俺はよくお姉ちゃんぶられたものだった。


 とはいえそれも仕方がないというか、今にして思えば考えられない程ヤンチャだった俺は要するに美冬さんに面倒を見て貰っていたのである。


 故に友達という感覚でもなかったし、幼馴染、という言い方もまた違うように思える、それこそやはり姉弟だったのかもしれない。


 そのせいか、どうにも喋り方がぎこちなくなる――いや、まあ発育した大人のお姉さんが昔と同じ感じで接してきたらぎこちなくならん方がおかしい。


「それにしてもまさかまたご近所さんになるなんてね~。あ、そうだ、お母さんは今家にいるの? ご挨拶させて貰わないと」

「え? あー……多分夜には帰ってくると思いますけど」


「そっか、まー手土産もまだ買ってないし、後日改めて――」


『崎山さーん、この荷物は何処に置いたらいいですかー?』


「あ! すいませーん! 今行きますー! まさくんごめんね、また落ち着いたらご挨拶に行かせて貰うから」

「あ、は、はい……」


「それじゃまた学校で、またね」

「こ、こちらこそ……」


 何かを口にする余地など一切与えないと言わんばかりの勢いで、なすがままにされていた俺は、業者の呼び声のお陰でようやく解放される。


「ヤバいな……これからずっとあんな感じでこられたらおかしくなるぞ……」


 ドッと訪れる疲労感に思わず漏れそうになる溜息。


 かつてはあんな接し方も鬱陶しいくらいにしか思っていなかったのに、小っ恥ずかしいやら、しゃんとしなければやら、ちょっと自分をよく見せようといった様々な感情が一挙に訪れ、実にみっともない会話になってしまった。


「成長すると増えるのは雑念ばかりと言うべきか……」


 とはいえ、今でもガキの俺が何を言っても虚勢にしかなるまい、それよりも今考えるべきはこれから先の話であろう。


「『また学校で』……か、予想がついていたことではあったが――』


 やはり美冬姉は、宝明高の教育実習生の一人と見て間違いなさそうだ。


       ◯


 それから休日を挟んで、梅雨も序盤へと入った頃。


「ほー、まさか冗談で言ったことがマジで当たるなんてな」

「嘘こけ、お前秋ヶ島先輩の親戚だろ」


「だとしたら俺は5股デスマッチからの巴投げはされてないな」

「言うじゃねえか、ハーレム王になっていたとでも?」


「ハーレムってのは二次元でしか成立しない至高の楽園だよ、現実は嘘と暴力が介在する地獄絵図さ、ソースは俺」


 ……まあ俺も流石に伊藤が秋ヶ島先輩と親戚とは思っちゃいない。


 第一元カノとの悪夢のようなSNSのやり取りは俺も見せて貰ったし、そこまで嘘と言い出すと伊藤との信頼性にまで話が及んでしまう。


「――だが偶然とはいえお前の予想は当たっていたんだよ。お陰で少なくとも1ヶ月くらいは面倒な時期が続きそうだ」

「確かに昔のお隣様が実習生ってのはやり辛いものがあるな。にしても何でその崎山さんって人は途中で引っ越したんだ?」


「ん? 何だったかな……多分親の都合だったと思うが、ただ引越し先は大阪だった筈だからそこまで遠くはなかったんだけどな」

「だが子供からすれば永久の別れみたいなものだよな」


「悲しいと言えば嘘になるが、小5ともなれば多少我慢はしてたような気がするぜ、別れの挨拶はしてなかったと思うし」

「ふーん――もしかして好きだったのかお前?」


「……いや、どうだろうな」


 好きな相手というよりは姉弟に近しい関係の方がやはり正しい気がするので、その辺の判断は難しい所ではある。


 ただ幼少期の恋心など安っぽく単純で、しかし純粋なものではあるので、もしかしたらそんな瞬間もあったかもしれないが――


「回答に迷う程度ならそれでいいさ。もし本気だったら――――!?」

「本気だったら何だよ、って――――!?」


 刹那。俺と伊藤は硬直する。


 この感覚、実に久しく忘れていたと言う外にない。


 まさに地獄のような2年生の始まりを象徴付けたと言ってもいい、その視線で人を殺るんじゃないかという鋭い眼光。


 だが――それは俺に向けられたものではなかった。


 というよりこれから訪れる決闘を前に自らを昂ぶらせている、そんな風にも見えなくもない、背中から夜叉でも浮かんできそうな鬼気迫る表情。


「皆、おはよう」

『『お、おはよう……ございます……』』


 果たして当人に自覚はあるのだろうか、少なくとも彼女が教室に入った時点で周囲にいた生徒はモーセが海を割った時の如く道を切り開いた。


「おい正人……あれだけ良好な関係だったのにまた何かしたのか?」

「してる訳ねえだろ……そもそも石榮いしえさんは俺を睨んでいない」


「それもそうだな……じゃあ何だ……彼女は一体何を睨んでいるんだ……?」

「分からない……分からないがしかし……」



 担任の教師が代わり、教育実習生こと美冬姉が登壇するこの日が、晴れ舞台とならないことだけは確かである。

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