第14話 雪織と桜織のとある日常

「たっだいま~!」


 姉は実に単純だ。


 外ではどうなのか知らないけど、家ではウザったいぐらい喜怒哀楽が激しい、大体帰ってきた時の挨拶のトーンで機嫌が良いのか悪いのかが分かる。


 なので私はノートに書き連ねていた数式を途中で止めると、天を仰いだ。


「…………チッ」


 そして一つ舌打ちを打っておく。どうやら今日は格別に機嫌が良いらしい、こうなると必然的に何が起こるか分かっているので、先に苛立ちを抜いておく。


 あー……折角調子よく問題を解けてたのに、こんなのが万が一毎日続いたりでもしたら志望校合格出来る気がしない――


桜織さおり! ただいま! お姉ちゃん帰ってきたよ!」

「…………おかえりない……お姉ちゃん……」


 わざわざ私の部屋まで入ってきて、真夏に照りつける太陽みたく眩しい笑みを私に見せつけて来るものだから、否が応でも眉間がひくついて来る。


 こりゃ……相当良いことがあったに違いなさそうだ。ちょっと前も大概煩かったけど、今日はその比じゃないくらい声がデカい、少し黙れ。


 お淑やかにしていれば我が姉ながらこれ程美人で完璧な女性もいないのに……と溜息が出そうになるが、別にいつもこうという訳ではない。


 まあ割りかしお喋りな方ではあるけど、とりわけとある人が絡むと姉のテンションの振れ幅はぶっ壊れるのだ。


桜織さおり聞いて! 今日ね、季松すえまつくんとお話出来たのよ! それも二人っきりで! もうね! どうにかなりそう!」

「あーそうですか、そりゃめでたいめでた――グエッ」


 私が適当な相槌で濁そうとした瞬間、姉がその肉付きの良いおっぱいを私の頬にぐいっと押し当て、そのまま私の頭を抱え込むものだから変な声が出る。


「お、お姉ちゃん……や、止め……」

桜織さおりが冷たい態度するからでしょ! お姉ちゃん悲しい!」


 ウザい、果てしなくウザい。


 そう。姉はどうも父親の仕事の関係で海外に行く前に、季松すえまつくんという男の子を好きになってしまったらしいのだ。


 今はこんな感じだけど、当時は私でも心配になるくらい超絶根暗だったもので、海外に行くのが不安過ぎて、引っ越しの話になる度姉は学校そっちのけで家出することがしばしばあった。


 そんな日々の中で、私は見たことないんだけど、まさに白馬の王子様的な男の子に出会ったらしく、大いに救われ、そしてべた惚れしたそうな。


 にしても乳でけえなこいつ、何でこう姉妹でここまで差が出るかね。


「分かったお姉ちゃん、私が悪かったからちょっと離れて」


 明るめの茶色のミドルヘアをぐりぐりと掻き乱してくるので、流石に鬱陶しくなった私は自分の非(何の非だ)を認めてお姉ちゃんをぐいと引き離す。


 ふー……こうなると晩御飯までか、いや下手すると夕食後もひたすらその季松すえまつくんが如何に素敵かという話を延々されるだろう。


 こりゃ……今日の勉強は諦めるしかないな、というかもう、自習室借りて勉強しようかな、姉の惚気で志望校落とされるわ。


「……で、その運命の再会を果たした王子様がガラスの靴を……だっけ」

「他人から見れば極めて些細なことかもしれないけれど……でも私からしたら凄く、凄く大きな一歩だったのよ……これ程幸福なことはないわ……」


「……うん、まあ、最近まで見てるだけって言ってたしね」


 まるでお祈りでもするポーズをしながら瞳を輝かせる姉に、私は少し呆れながら返答する。


 しかも煽ったつもりなんだけどスルーだし、ホント乙女やね……。


「……というかさ、デレデレなのは構わないけど、まさか学校でまでそんなノリでやってないよね? いくら女友達でも流石に引くよ」

「当たり前じゃない、あんまりベラベラと季松すえまつくんの良い所を口にして他の女に目を付けられたらたまったものじゃないもの」


「いやそれは無いと思うけど……」

「何なら桜織さおり以外には誰も話したことないわよ? 季松すえまつくんへの想いなんておくびにも出さず、品行方正、八方美人を常に演じて見せているわ」


「え」


 おいおいマジか、通りで頻繁に話を聞かされると思ったら……。


 誰か姉のデレっぷりに気づいてくれ……私は受験生なんだよ……。


「大体桜織さおりだって余所行きの顔くらいするでしょう? それと同じよ」

「それとこれとは話が違う気はするけど……」


 確かに余所行きというか、私だって学校ではここまで素っ気ない態度は取らない、臨機応変にはするけども基本的には明るく振る舞っている。


 だとしても、季松すえまつさんとやらはこの素の姉を見てどう思うのかな……。


「それにね! 何と明日から毎日季松すえまつくんとお話する時間を得たのよ!」

「……え? 何それ怖い、普通に話すれば良くない……?」


「だ、だって、それだと二人っきりでお話が出来ないじゃない……」

「会話だけなら二人っきりである必要はないと思うけど……」


「う……桜織さおりの意地悪……」

「はいはい……お姉ちゃんが頑張ってるのは分かっていますから」


 要するに友達からお願いしますの「と」の字すら言えなかったってことね、お姉ちゃんらしいと言えばお姉ちゃんらしい。


 ……ま、鬱陶しいけど、季松すえまつさんのお陰で姉が変わっていった様を知っているし、何より引っ込み思案のままだったら海外で暮らせた保証はなかったから、正直感謝はしている。


 ただなぁ……どっちでもいいから押せば絶対付き合えるから、早くしろっていうのが私の本音ではあるんだけど……。


雪織せおりー! 桜織さおりー! 御飯よー!』

「「はーい」」


 なんて思っていると母親から夕食の呼び出しがかかったので、私達は話を途中で打ち切ると、美味しそうなハンバーグの香り漂うリビングへと足早に向う。



 それにしても季松すえまつさん……か、一回、会ってみたいかも。

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