第8話 秋ヶ島先輩はラブコメがお好き

 季松すえまつくんが覚えていてくれた!


 もしかしたら、もう人生の内たった1ヶ月の間にあったことなんて、記憶の片隅にもないなんて思っていたけれど、彼はちゃんと覚えてくれていた。


 嬉しくて思わず泣いてしまった。二人だけの秘密の時間がまだ共有されていたことが強く胸を締め付けて涙がこぼれてしまった。


 帰ってからは、それは大暴れして喜んだ。妹にうるさいって怒られたけど構わず叫んでた、季松すえまつくんの中にまだ私がいるんだって。


 だから彼を見ると思わずニヤけてしまう、もうこの気持ちが爆発するのを抑えるには小出しでニヤけていくしかないくらいには。


「でも……私の馬鹿阿呆クズ……」

「せおりん?」


 何で逃げてしまったのかしら……逃げずに「あの時話し掛けて頂いた前髪長女まえがみながおんなです」って言うだけだったのに、亀でも言えるのに私と来たら……。


 でも多分話をしていたら何も喋れなかったように思う、泣き落とし……じゃないけれど、そんなので情を持たれたくなかったし、彼を困らせたくない一心で気づいたら逃げ出してしまっていた。


 お陰で願いが叶うと友達から貰った御守りも落としてしまったし……彼の前だとどうして私はこんなに意気地なしなのかしら……。


「でもこれが大事な一歩なのだから……! 頑張らないと……!」

「何の一歩の話?」


「二歩」

「え、いや今のはどう考えても――」


「将棋の禁じ手の一つよ、知らない?」

「知ってるけど今それ頑張る必要ある?」


 つい漏れてしまった言葉をそれっぽいことにして誤魔化していると、ふと私は先日夏目さんに言われたことを思い出す。


 調理実習……そういえば来週にあるって言っていたわよね。


 料理自体は苦手……ではない、寧ろいつか季松すえまつくんに手料理を振る舞う日を夢見て練習をしていたぐらいだから――


 待って……つまり私は季松すえまつくんに手料理を食べて貰えるチャンスがあるってこと……よね、そ、そしてあわよくばお話なんて――


「……ゆかっち、そういえば来週調理実習だったわよね」

「お! もしかしてせおりん調理実習でやる気満々なの!?」


「え? え、ええ……人並みには」


 どういうことか夏目さんは嬉々とした表情を浮かべて調理実習という言葉に大きく反応する、しかも顔を寄せてくるものだから私は仰け反ってしまった。


「いやー楽しみだよねえ! 皆と一緒に料理することなんてないからねえ!」

「そ、そうね……それで作る料理って――」


「皆と作った料理を囲むのもいいよね! お弁当を食べるのとは一味違う楽しさがあるし!」

「は、はい……」


 何だかやけにぐいぐい来るわね……夏目さん、そんなに調理実習が楽しみなのかしら、滅多にないイベントだし気持ちは分かるけれど……。


「で、も!」


 と、夏目なつめさんは語尾に奇妙な強調を込め、寄せていた顔を更にぐぐっと近づけてきたものだから間違ってキスでもしそうな距離になる。


「ち、近いわよゆかっち……」

「一番大事なのは何を食べるかよりも、誰と食べるか、だよね~?」


「そ、そういうものかしら……」

「そういうものだよ! どんなに失敗した料理でも一緒にいて嬉しい、楽しい人と食べるとミシュランのお店みたいな味に変わるんだよ!」


 確かに……私はあまり好き嫌いをしないタイプだけれど、唯一ゴーヤだけは苦手。でもそれを季松すえまつくんと一緒に食べればきっと角砂糖のように甘いだろう。


「…………はぁ」


 ただ……よくよく考えたら私と彼の席は離れているのよね……一緒の班になるなんて皆無に等しいんじゃないかしら……。


 その事実にがっくりと俯き溜息を漏らしてしまってしまう。しかし、ノリノリな夏目さんは私の肩を優しくぽんと叩いてきた。


「ゆかっち?」

「せおりん大丈夫だよ! 何も心配なんていらないから!」

「へ…………?」


 満面の笑みを浮かべ、私に向かって親指を立てる夏目さん。やけに自信満々な感じだけれど、そんなに料理に自信があるのかしら……?


 ただ――その時私は同時に妙な心配を覚えた。


 杞憂だったらいいけれど……何故だか私の頭の中に季松すえまつくんと夏目さんの姿が浮かんでしまったのである。


       ◯


「い、いやーまさかこんなことになるなんてねぇ……」

「ソ、ソウデスネ……」


 週末を目前に控えたある日の放課後。


 俺はどういう訳か夏目さんと一緒にとある教室の荷物整理をしていた。


 どうしてこんなことになったのか、それは1日前に遡る。



「やあやあ、待っていたよ、君が季松正人すえまつまさと君だね」


 秋ヶ島あきがしま凪零なお先輩が所属マスコミュニケーション部に入った瞬間、彼女は第一声でそんな言葉を口にした。


「は……? 俺のこと知ってるんですか……?」

「勿論存じ上げているよ、季松正人君16歳、県立宝明高等学校の2年生でクラスは2組、誕生日は9月23日の天秤座、血液型はA型、好きな食べ物はカレーで嫌いな食べ物はブロッコリー。スポーツ、学力共に平凡で友達も少ないが一番仲の良い友人は伊藤優馬いとうゆうまくんだね。極々普通な学生生活を送っていたが最近編入してきた石榮雪織いしえせおりさんが毎日睨んでくるのでどうしたらいいか分からず困っている――こんなものでいいかな?」


「は、はひ……」


 ……いや怖過ぎだろ、何だよこいつ化物かよ。


 入って五秒で制服を破かれ全裸にされた気分だった、俺……犯されたりしないよな?


 伊藤の忠告をちゃんと聞いておけばよかったと今更ながら後悔をする。噂通りとはいえ、まさかこんな末端の生徒すら完璧に把握しているなんて……。


 何なら俺の隠しているエロ本の位置まで完全網羅されていそうだった。


「ふふ……緊張して固くなっているようだね、それも仕方がないとは思うが」


 下は固くなっていないが、身体は強張るなという方が無理がある。開口一番の台詞が効きすぎていてまともに顔も見ていられなかった。


 しかしそれでも、恐る恐る顔を上げてみると、ようやく彼女の御尊顔を確認する。


 緩いパーマのかかった長めの黒髪に、まるで全てを見透かしたかのような不穏さを感じる顔、身体はスレンダーで胸はあんまりない。


 ただ美人な部類に入るのは間違いないだろう。蒐集癖さえなければきっとモテる側の人間として学園の上位に君臨していたに違いない程度には。


「――ま、気を楽にしてくれ給え。別に私は君を獲って喰おうなんて思っちゃいないんだから、それに君は石榮雪織いしえせおりさんの真意を知りたくてここに来た、そうだろう?」


 自分から説明するまでもなく、秋ヶ島先輩は全てを言ってしまったので俺は黙って首肯すると、それを見た彼女は口角だけを上げて笑みを表現した。


「ということは――勿論『依頼』についても分かっているみたいだね?」

「は、はい……」


 『依頼』、とは対象の秘密を知りたければ秋ヶ島先輩のミッションを完遂しろという意味――それは口外禁止の機密事項らしく、秘密をバラされるの恐れ誰もその内容を話した者はいない。


 一体どんな無理難題を押し付けられるのか……まさか犯罪の片棒を……? そんな恐怖に無意識に唾をごくりと飲み込み、次の言葉を待つ。


 だが――彼女はなんとも奇妙なことを口にするのだった。


「それなら話は早い。ならば早速そこにいる夏目由香なつめゆかさんと一緒に倉庫代わりに使っている教室を掃除して貰うとしようかな」


「……は? な、夏目さん……?」


 前振りなく出てきた馴染みのある固有名詞に戸惑っていると、背後から「えっ!?」と驚いた声が聞こえて来たので俺はビックリして後ろを振り向く。


 するとそこには本当に、いや、どういうことか夏目さんがいるではないか。



「な、夏目……さん?」

「す……季松すえまつくん……?」

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