第3話
アルフォンスは執務中、机の横にあるキャビネットの上に控えめに活けられた真紅の薔薇に目を奪われる。一体あの薔薇は何だ? アルフォンスは薔薇が嫌いなのだ。なぜあんなものを飾るのか。
その事実に妙に苛立って侍女を呼びつける。薔薇が飾ってあることに苦言を呈すと、侍女の口から予想外の言葉が飛び出した。
「恐れ入ります、陛下。ですが宰相様よりあの位置へ飾るようにと言い渡されたのです」
オスカーがなぜ? あの薔薇は一体何なのだ。わけが分からずオスカーを呼びつける。そして薔薇を目線で示しながら腕を組んでオスカーを問い詰める。
「あれは一体なんだ? 俺が薔薇が嫌いなことを知っているだろう? 君が飾れと言ったそうだね」
薔薇のことを問い詰めるとオスカーが淡々と告げる。
「存じ上げております。しかしあの薔薇はルイーゼ陛下がアルフォンス陛下への贈り物として使いの者に持たせたのです。私が姉の意を酌み飾らせていただきました」
「なんだと? 嫌がらせか? 俺が薔薇が嫌いなのを知りながら? はっ。俺も彼女には随分と嫌われたものだね」
吐き捨てるようにそう言うと、オスカーが眉根を寄せてつらそうな表情を浮かべる。オスカーの表情の理由が分からずにさらに苛立つ。
「陛下……それは誤解でございます。姉は陛下が薔薇が好きなのだとずっと思っていたようなのです。私も使者が薔薇を持ってくるまで知りませんでした。今も離宮で陛下のためにと薔薇を育てているようです」
「なぜ……」
アルフォンスの脳裏に遥か昔の記憶がふっと蘇る。十二才のときにオスカーの屋敷を訪ね、薔薇の咲き誇る庭を見て回った。アルフォンスはすでに襲撃者の憂き目にあってはいたが、そのときはまだ薔薇が嫌いではなかった。かといって特別好きというわけでもなかったが。
『どうですか? とても綺麗でしょう?』
『本当だ。とても綺麗な薔薇だね』
エメラルドグリーンの目を細め、花が咲くような無邪気な笑顔をアルフォンスへと向ける少女、ルイーゼ。初めて会ったときの恥じらう表情に心惹かれた。可憐で無垢で表情がくるくると変わるルイーゼをもっと知りたいと、ルイーゼの笑顔をもっと見たいと強く思った。ルイーゼの問いにルイーゼが喜ぶであろう答えを告げると、柔らかな蜂蜜色の金髪を揺らしながら嬉しそうに顔を綻ばせてアルフォンスに告げた。
『一本差し上げます』
アルフォンスよりもまだ遥かに体の小さなルイーゼは、無防備にも薔薇の茂みにか細い手を突っ込み無理矢理バラを手折ろうとした。自分のために無茶をしてくれたのが嬉しくはあったが、薔薇の棘で傷ついたルイーゼの指の血を見たときに焦ってしまった。怪我をさせてしまったと。
アルフォンスはすぐさまルイーゼの手を取り血を止めるべく指を咥えた。ルイーゼはそれを見て驚いたように目を丸くし、真っ赤になっていた。アルフォンスの行動がルイーゼの頬を染め、動揺させたであろう事実に胸が高鳴る。
そしてルイーゼがアルフォンスのために傷を負ってまで薔薇を手折ろうとしてくれた事実が、心から嬉しかった。ルイーゼからは純粋に喜ばせようとしてくれる気持ちが伝わってきた。これまでアルフォンスから何かを奪おうとしても、喜びを与えようとしてくれた者は一人もいなかったのだから。
ルイーゼの心に入り込みたい。そんな気持ちもあったのだろう。指を咥えるなど行きすぎた行為だと分かっている。だがこの行為でルイーゼの心の一部に自分を刻み込みたいという衝動に逆らえなかった。
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