第2話
城の私室の見晴らしのよい窓の傍の椅子に座り、ルイーゼは窓の外をぼんやりと眺めていた。高く結い上げた蜂蜜色の金髪のおくれ毛が風で顔にかかる。公で付けている華やかな宝石も今は身に着けていない。もはや着飾るための宝飾品は公務以外では一切身に着けない。どうせアルフォンスは見ていないのだから。それでもいつ来るかも分からないと思い、化粧だけは手を抜かないが。
ルイーゼの心は限界を迎えていた。婚姻を結んでから二十年間、アルフォンスの心を掴めなかったという現実から逃げるように過去の記憶に思いを馳せる。
まだ学園にいたころ、アルフォンスとモニカは上手くいっているように見えた。ルイーゼから見れば、二人は心を通わせているように思えたのだ。少なくともアルフォンスの心はモニカへ向けられていたと思う。
だが紆余曲折の果てにモニカが選んだ相手は別の男性だった。恐らくモニカ自身が、厳しい王妃教育についていけないと判断したのだろう。一時期モニカに熱を上げていた、オスカー、ギルベルト、ローレンツのうちの誰でもない。全く関係のない平民の男性と結ばれた。
モニカがアルフォンスと上手くいっていたら、今ルイーゼは妃などにはなっていなかっただろう。思えばモニカとの愛がアルフォンスにとっては永遠で、モニカとの愛を失ったために今では誰にも心を傾けることができないのではないか。……そうは思うものの、モニカとの愛を失ったことがルイーゼだけが嫌われている理由にはならないのだけれど。
だがもう何も考えたくなかった。なぜ自分だけがアルフォンスに嫌われているのかも、今より先の自分の未来も。アルフォンスのことは今でも愛しているが、アルフォンスに対して抱いていた希望はもはや潰えてしまった。若いときは自分が愛しているのだから、傍にさえいることができればそれでいいと考えていた。だから愛を返してもらえなくとも構わないと。
「でもやっぱり水も栄養も与えられなければ、薔薇は枯れてしまうものね」
私室の窓の外を眺めて自嘲しつつ、独りごちる。そしてあることを心に決める。
既に前宰相であるテオパルトは引退して、現在宰相の職に就いているのはオスカーだ。オスカーを呼び出し要望を伝える。
「オスカー、私を南の離宮へ移してちょうだい。正妃がアルフォンス陛下の傍にいる必要があるなら第一側妃を正妃にして。お願いです。どうか私を自由にしてくれませんか?」
「ルイーゼ陛下……いえ、姉上。長年の間、貴女が苦しまれているのを知りながらお力になれなくて申しわけありませんでした」
ルイーゼの言葉にオスカーが声を震わせながら答える。真っ直ぐに降ろされた両手は白くなるほどに固く握り締められている。久しく感じたことのなかったオスカーからの親愛の情を感じ取り、思わず涙が溢れてくる。つらいときよりも優しくされたときのほうが涙が出るものなのだ。
オスカーが感情を押し殺したようにさらに話を続ける。
「第一側妃を正妃に、というのは難しいかもしれません。ですが南の離宮に関しては、私からアルフォンス陛下に報告しておきます。早速手配いたしましょう。今私にできるのは、陛下がなんと言おうと姉上の希望を叶えて差し上げることくらいです」
「ありがとう、オスカー」
思わず零れてしまいそうな涙を堪えながら、笑みを浮かべオスカーに礼を告げる。ルイーゼの顔を見て、オスカーは眉根を寄せてつらそうな表情を浮かべたまま一礼をし、部屋を去っていく。
オスカーの背中を見送りながら、今までの長年の侘しさの全てを絞り出すかのように、ゆっくりと深く大きく息を吐いた。そして南の離宮の様子を思い出す。王都から遥か南の町の外れにある王家の所有地に、南の離宮はまるで忘れ去られたように建っている。アルフォンスに忘れ去られた自分にはまさにぴったりの場所ではないか。
できることなら本当はクレーマン家へ帰りたかった。エマやアンナ、そしてフロレンツやヤンがいる。きっと寂しい思いなどしなくて済むだろう。使用人たちはきっと温かく迎えてくれるはずだから。
だがルイーゼは仮にも王妃だ。王妃が実家へ戻るなど許されるはずもない。実家へ戻ることが許されないならばいっそ、絶対にアルフォンスの来ない離宮へと移ってしまいたかった。そうすればもう来ないと分かっているのに、僅かな可能性でもあるならばとアルフォンスを待たずに済む。
アルフォンスが今さらルイーゼが離宮へ移ることについて反対などしないことも分かっている。アルフォンスはルイーゼに関心がないのだ。正妃の不在については、きっとオスカーが病気療養ということにでもしてくれるだろう。そして公務については第一側妃が正妃代理を務めればいい。第一側妃なら無事勤め上げるだろう。これ以上城で公務の責を果たすには、もはや心が疲れすぎていた。限界だ。
ふと一度だけ行ったことのある南の離宮に思いを馳せる。南の離宮の庭園には確か薔薇があったはずだ。アルフォンスの大好きな薔薇が。
「これから私は陛下の大好きな薔薇を愛でて過ごそう。たまに大好きな家族や使用人が会いに来てくれれば、それでいいわ。ふふっ。もっと早くこうすればよかった」
私室の窓際の椅子に座りながら、ルイーゼは結婚してから二十年の間で、初めて心からの笑みを浮かべた。
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