episode22 鏡の戦い

 火の季節ブレンネの盛りだというのに涼しい。海が近いからか。それとも、山から吹き下ろす風があるからか。少し考えて、どちらでもいいと思った。地理にはそれほど詳しくない。国の、これほど東にくることも、もうないだろう。


 ボーゲンハイトという小村にたどり着いていた。


 行軍そのものが調練だから、非常に迅速な移動になっているはずだ。並の者なら移動だけで二十日はかかるところを、探索も含めて同じ日数で来ている。走り、跳び、身を隠しながら、ひたすら東へ向かった。命じられてやっていることではなく、自然と、皆がそういう動きになるのだ。


 率いてきた八十名の部下は三つに分けた。この村に潜んでいるのはヤンを含め十三名である。住民に取り入る者、潜む者とそれぞれだが、いまのところ自分たちの存在を訝しむ者はいない。ヤンも、いまは流れの芸人として路傍に座っているが、芸を見せて食物を与えられる以外に村人とのやり取りはない。


 武器の道を潰すこと。それが自分たちに課せられた任務である。見えなかった道は、確実に浮かんできている。ボーゲンハイトを通る道はそのひとつで、織物の流通経路に紛れていた。ただしそれが実際ではなく、織物を届けさせる、その女らを売る商人がいることまでは掴んでいた。二十日の内に暴いた道のひとつがこれで、いまは、最後の詰めというところまできている。ブラウブルクで潜んでいたときから当てをつけていたもののほとんどが的中していた。わかっている武器の流れは、あと七つある。ヤンが率いるこの小隊はそのうちの三つを担当し、あとの二つを、二小隊が追っている。


 しかしヤンは、どの道を辿っても、ひとつのところに行きつくのではないか、と思いはじめていた。いまのところ、それは推測でしかないが、情報が集まれば確信に変わりそうだという予感がある。ドロゼルの期待に応えられる。


 闇の軍人としての任務に、そんな目標を持ちはじめている自分が、不思議だった。軍での仕事にやりがいをもったことなど、これまで一度もない。生まれた村の近くに“青の壁ブラウ・ヴァント”があった。食っていけるような仕事にありつけなかった。飢えで死んでも、戦で死んでも同じだと思って入隊を申し出た。そうしたら、登用された。それだけだ。志もなければ夢もない。


 ヤンのそういうところを買ってくれたのが、ドロゼルだった。正確には、買われたのはヤン自身でなく、ヤンの持っている変装と詐欺紛いの話術である。


 自分ではない誰かになる。ヤン・クラーではない、別の人間になる。軍に入隊する以前は、そうして人に取り入って生き延びてきた。嘘で身を固め、騙して、暴かれそうになったら、姿を変えて逃げる。特技にもならない技だと思っていたそれを、ドロゼルは武器だと言った。そう言われて以来、ヤンはドロゼルのために技を使っている。


 なり替わるのは軍人のときもあれば、富豪や商人のときもあり、なんでもない者にもなれた。乞食にでも、流れ者にでもなれる。経歴など問われても、まるでほんとうに自分がその者として生きてきたかのように話せる。いまのこの部隊でも、ヤンと同じ程度に扮装のできる者はいない。ただドロゼルは気配そのものを消してしまうから、変装など必要ともしていないが、唯一、自分と同じくらいのことができる男だった。


 剣は不得手だった。嘘を吐き、逃げて生き延びてきた人生である。自分の他にもそういう者は多い。指揮官コマンダントファルクが作りたいのは諜報のできる軍だと聞いていたからだ。しかし実際はその過程で、暗い殺し合いに勝たねばならない。殺し合いをくぐり抜けた先に、知りたい情報がある。だから、この部隊の戦いは常に集団でなくてはならなかった。


 人が集まってきた。立ち上がると、芸を求めてくる。剣を抜いて、ヤンは静かに構えを取った。右手に持った剣を引き、左手を前に差し出す。緩やかな足の運びと合わせて剣を陽光に閃かせる。


 こうして昼間、人の流れが出てきたところで芸をした。剣とからだを遣った舞。剣を左右の手で持ち替えながら、水の流れを表現する舞である。青の壁ブラウ・ヴァントから都へ上った道中で、同じく旅芸人から教わったものだ。見よう見まねでも、村人には受けがいい。彼らも、娯楽には飢えているらしかった。


 舞を終えると、前に置いた椀に、僅かだが食い物が入る。何もせず立ち去る者もいる。食い物を与えられるかはどうかは、ヤンにとってはどうでもいいことだった。人の流れの中に身を置くこと。それが重要だった。まれに、眼を引く者がやってきたりする。佇まいや所作から判断する。決めれば、懐に取り入る。銭を使ったり、同業者として行動を共にしたりした。情報は、そうしていればどこかで掴める。


 視線を感じた。離れたところで自分を見る一団がある。男ばかり数名。眼の動きが、他の村人とは明らかに違っていた。こやつらだ、とヤンは直感した。


 常に自分たちを追ってくる視線があった。なんでもない街道、森、川辺、そして市中でも、それは自分達を追跡してくる。武器の道を護る者たちがいるのだ、と思った。自分たちのように道を潰そうとする者がいるのだから、護る者がいるのは当然だった。目の前の男たちがそうなのかはわからない。ただ、なんにしても障害にはなる。


 村人が去り、ヤンが再びその場に腰を下ろしたところで、男たちが近づいてきた。民家の壁にもたれるヤンを取り囲むように立つ。ヤンは視線を上げないまま、椀に入った麺麭パンに手を伸ばした。


「粗末な芸だな」


 いきなりそう言われ、足を蹴飛ばされた。ヤンがぼんやり視線を向けると、男たちはこちらを覗き込むように顔を近づけてくる。浅黒く日焼けした肌に、黄色い歯が見えた。


「だが、見てくれはいい」


「はあ」


 男の一人が椀を蹴った。入っていた麺麭パンなどが散らばる。ヤンのことを、女だと思っているらしかった。こういうことは度々ある。女か、男か。並の者なら判別を迷うように変装しているので、不思議はなかった。もともと、女のようだと言われる顔付きでもある。好きでも嫌いでもない相貌かおだが、人を欺くのには適していると思っていた。


「銭ですか」


「そうさ」


 ヤンが話に乗ると、男たちはにやりとした。


「ついてくれば、稼がせてやる」


 男の手がからだに触れるよりも先に、ヤンは立ちあがった。それを了解の返答と受け取ったのか、男は背を向け歩き出す。頭領らしい。周囲の男らが、ヤンの脇を固めるように立った。来い、と誰かが言い、それに従う。


「人手がいるのだ。絹を届ける人手がな」


 通りから外れ、家々の間を歩く。先頭の男のほかは、誰も口を利かなかった。


「絹?」


「そう、良い布を持って届ける。それだけでいい」


 脇を歩く男の一人が、肩に手を伸ばしてきた。次の瞬間には、その手が離れ、男はくずおれている。ヤンが、後手で脾腹を刺したからだった。後ろにいた数人が声を上げかけ、倒れる。背後に立っているのは部下だった。


 先頭を歩いていた男が振り返ったとき、立っているのはヤンと部下だけだった。男が悲鳴を上げるよりも早く、ヤンはその口内に小刀ナイフを差し入れる。


「声を上げてもいいが、それが生きているうちに出す最後の声になる。それでもいいな?」


 男は血走った眼をヤンから離さず、首を僅かに横に振った。


「絹の届け先で待っていた者たちは皆、死んでいる。知っているな」


 男の眼が見開かれた。


「売っているのは絹と女、貨物の中に剣があるのは、おかしいな」


 部下が、昨日までに集めてきた情報だった。男の驚愕の表情は、自分たちの知らぬ間に荷を暴かれていたと知ったからだろう。


「剣を受け取った日と場所、相手、そこまでを話せ」


 小刀ナイフを抜き取って男が抵抗するようなら、すぐに殺すつもりだった。ただ男もそれを感じたのか、口内から刃が引き抜かれても、わめくことすらしなかった。


「四日前。リントアウゲン。コレイアという、男。海運もやってる」


「剣は何に使われる?」


「知らねえ」


 そう答えた男の首を、背後から部下が締め上げた。男の顔がみるみる紅潮する。窒息させるために締めているのではなく、首の骨を折るために締めさせている。すでに呼吸はできていないだろう。


「答えなくてもいいが、死ぬのが早まるぞ」


 ヤンは小刀ナイフを男の眼球に触れそうなところまで近づける。部下が、首を絞める力を弱める。


「しらねえ。ほんとうだ。運べと言われているだけだ」


「どこに」


「コルン」


 ヤンらがこの村に至るまでに通ってきた街の名だった。実際、この村を武器が通っているというのも、そこで締め上げた運輸業者からき出したことだ。


「剣を受け取った街の名を、もう一度。どう行けばいい?」


「リントアウゲン。ここから北に、小川に架かる橋、ずっと東に」


「どれほどかかる?」


「二日」


 男がそう言ったところで、ヤンは視線を男から外した。小刀ナイフを下げる。殺気を感じる。それも、ひとつやふたつではない。手で合図を出す。部下を集合させる合図だった。


「誰だ?」


 男に向き直ってヤンは訊いたが、男はなおも首を振る。もうヤンが一度手を振ったとき、男は同じ表情のまま、首をおかしな方向に曲げて死んでいた。


「女どもが消えていました」


 部下が言った。殺した男たちが囲っていた女のことだ。罪もなく、武器の密輸に遣われるだけの哀れな女。そう思って殺さなかった。絹を受け取った相手は死んでいるが、同じように女たちも死んでいたのだ。だから逃がした。それを、利用された。


 だから、汚れきっていないなどと言われるのだ。いつかのドロゼルの眼を思い返した。


「リントアウゲン。すぐに発つ。北、小川に架かる橋、東へ二日」


 その街の名は、ヤンも聞いたことがあった。すでに暴いている二つの道。そのいずれもが、かならずリントアウゲンを経由していたからだ。この街には何かがある。


 散開する。街を出る。纏わりつくような殺気から、一刻も早く逃れなければならなかった。ぶつかり合いはしない。こちらは、ただでさえ小さい部隊を三つに分けているのだ。


 竜の眼を冠する街。駆けながらヤンは、東に向かって立つ前に、ドロゼルから聞いた話を思い出していた。シュローヴという教会の司祭が言っていた、荒唐無稽な伝承。


 地下の遺跡に眠る“獣の王”。伝説の王を封じる聖剣ヴァルムング。失踪した“竜の子”。叛乱は軍を覆すにとどまらず、この国そのものを覆すために謀られる。獣の王の封印を解こうとする者がいる。王を封じるために、銀の髪に青い瞳の女――“竜の子”が必要とされている。


 どこを取っても信用ならない。ヤンは聖職者が嫌いだった。あのシュローヴ司祭がどんな人間か知らないが、教会の人間など皆同じである。青い竜の子は皆同じく守られるべきと言いながら、同じ口で、飢え凍えようとする民から奪った肉を喰らうのだ。かつて飢えて倒れている自分の横を、法衣を着た男どもが見向きもせずに歩いていったのを、ヤンは忘れていなかった。


 銀の風が吹いたのだ、ともシュローヴ司祭は言った。


 都から姿を消した“竜の子”がたしかに存在する。弟子がその居場所を探っている。その“竜の子”はいま東にいる。必ず連れ戻さねばならない、というのが彼の言い分である。ドロゼルや自分を騙そうというのではなさそうだった。嘘を吐く人間の声は、聞くだけでそうと判る。昂奮してはいたが、シュローヴは真剣だった。その彼とは違い、武器の道を潰すことに集中しろと言ったのがドロゼルだった。しかしそれに添えるようにして彼は言った。


 万が一にでもその途上で、銀髪に青い瞳の女などがいれば、かならず確保してブラウブルクに連れてこい。


 ドロゼルは信じる気になっている。それが、ヤンには信じ難かった。

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