野望

 港の周辺だけは焼けなかった。


 水がすぐ近くにあり、消火の作業が手早く進んだからだということになっている。実際は、港だけは残せとヴォルフラムが命じたからだった。それは船を泊めるためであり、他の理由はない。部下には港周辺の消火を手早く済まさせ、あとは海上の残党狩りに戻していた。


 海の向こうには率いてきた船団の一部が見える。一応は、この近海全てを封鎖した形だ。敵船の姿は、視界に入るところにはない。ヴォルフラムは港で、海から吹く風を浴びている。振り返れば黒く焼けた街がある。


 火をつけたのは南方人ズートである。海戦で押し勝ち、街へ船を寄せたところでもう、火の手は方々で上がっていた。計画していたものだと思われた。火が速く回るように仕掛けが施されていたのだというのも、調べて分かった。この港町に滞在して五日になる。やったことは、その調査と、軍営に残されていたものの整理だけだ。


 軍が常駐していた営舎は、半分は焼けてしまっている。残っていたのはかつてのポルト軍が残した資料くらいで、あとのものは炭になっている。そういう焼け方は、普通では起こらない。糧秣庫の火の勢いが最も強かったことからしても、敵が何も残さないようにしたというのがよくわかった。つまり、水軍の戦いで負けることを見越していたか、もしくは、勝とうが負けようがポルトは放棄する算段であったということだ。ヴォルフラムは、後者だと考えている。


 そのくらいは知恵の回る敵だったということだ。この国の内部に強力な部隊を送り込めば、あとは勝手に暴れまわってくれる。青の国という巨人の口に、ただ毒を流し込むだけでよかったのだろう。


 いや。巨人というのは買い被りか。振り返って、ヴォルフラムは焼け跡の向こうの岸壁を見つめた。この向こうに広がる国。国土ばかり広い割に、強さというものは局所的なものでしかない。面での戦いができない。どうしてこうなったのか、わかっている者がどれだけいるのか。


 北から伝令が届いていた。ザラの戦いは青竜軍アルメの勝利に終わったというものだ。ただ、輜重隊が急襲され、糧食のほとんどが焼失した。さらなる北上には二の足を踏んでいる状態だという。ここでも、火だった。


 糧食について、ポルトから応援できることは何もない。何かをしてやるつもりもない。船に積んできた糧食の備蓄から、ヴォルフラムらが全軍でここに留まることができるのも、あと三日というところである。三日後には、一部を残しロヒドゥームに引き上げるつもりだった。


「ヴォルフラム殿」


 ふらりと男がやってきて、ヴォルフラムの背後に立った。


「臭うぞ」


「灰しか残っておらぬもので」


 大隊長オフィツィアシャカール・ゾラである。ヴォルフラムがここを去ってからは、この男が残って指揮を執ることを命じていた。検分にも飽きたのか、つまらなそうな顔をしている。


「カイを残しましょう。俺は、ここに残りたくありませんや」


「船のこと以外、ろくに使えん男を残せと?」


「今となっちゃ、城に残ってるグスタフが羨ましいな、くそっ」


 シャカールは吐き捨てるように言う。言葉は荒いが頭は冴える男で、ヴォルフラムははじめからこの男をポルトに残すつもりで同行させていた。一方で大隊長オフィツィアカイ・リカールは海戦に抜群の強さを見せる隊長だが、その他のこととなると途端に優柔不断になるという悪癖がある。そちらは、戦のためだけに連れてきた男だった。


「おもしろいものならここにあるぞ」


 言って、ヴォルフラムは懐から出した紙をシャカールに見せた。北の青竜軍アルメ、ファルク・メルケルが寄越してきた報せである。


「俺は読みましたよ」


「もう一度、よく眺めてみることだ。それで、少しはここに残ろうという気になるだろうよ」


 シャカールは顔に疑問を浮かべながら、紙に視線を落とす。向きを変えたり、日に照らしたりしながら、やがて彼は紙に鼻が付くほど顔を近づけた。


 ファルクが使ってきた符牒には、二通りの読み方があった。それは一読しただけでは解らず、ヴォルフラムも海辺でぼんやりと紙を眺めていてはじめて気付いたことだった。青竜軍アルメの符牒は絵と文字の中間にあるような独自のものを用いるが、ある方向から見て――縁を持って斜めに持つようにして――通常の読み方から逆方向に読んでいけば、意味の繋がりのある文章になったのだ。


 聡い男だ、とヴォルフラムは改めて思わされた。自分はほんとうに、ただ偶然に発見した読み方であったが、シャカールはほんの僅かな時間で意図的に読むことができたのだ。これで叩き上げの軍人ではなく、もとはロヒドゥーム沿岸部における顔役に過ぎなかったというのが面白い。そういうふうに、思わぬところで力を発揮する男というのが、地方にはごまんといるのだ。


 そのシャカールの表情は、符牒を新たに読み進めていくうちに歪んでいく。そして終いに、ヴォルフラムの顔をふっと見つめた。


「叛乱、とありますが」


「うん?」


「ヴォルフラム殿のことを言っているのではありませんか?」


 ヴォルフラムは海に視線を戻す。背後からはまだ、シャカールの視線を感じた。


 叛乱を企てている。青竜軍アルメの内側に、この国を、軍を打倒しようとか、崩壊させようとかいう気配がある。その動きは都ブラウブルクだけでなく、全土に渡る。書かれてあることは、概ねそんなものだった。都に潜らせた部下が調べ上げた根拠もあるという。


 ファルクが誰に目星をつけているのかは知れないが、少なくとも自分ではないだろう。ただヴォルフラムは、青竜軍アルメという組織がどこかで崩れ去ってしまうことを願っていた。また、今後何も起こらないというのであれば、自分がことを起こそうとも考えていたのだ。


 ただ、おもしろくなかった。


 青竜軍アルメの腐敗は甚だしい。海賊や役人と、表沙汰にはできない取引を繰り返す自分が言えたものではないのかもしれないが、それでもひどいものだった。軍人というのは名ばかりの男たちが軍服を着て、指揮官や隊長には貴族の子弟が名を連ねる。賄賂をどうしたかで人事のすべてが決まる。税は取るだけ取って、どこに消えたのか、すぐに尽きる。敵国に攻められれば、地方軍ばかりが奮戦し、都からやってくる部隊は敵を見て小便を漏らして逃げ出す。


 今の元帥は役に立たない。あれも、名家の出身というから今の座についているだけだ。腐敗を糺すことはしないばかりか、無能な指揮官ばかり登用し、脇に置く。近衛軍ガルドは鍛えられているのかもしれないが、実働したという話は聞かない。


 民のためというわけではない。民は力や財を持たぬことに甘んじて、批判はするが他には何もしない。できぬと言ってしまえば何も変わらないのだ。できぬ、変わらぬと言い続ける人生の、なんと退屈なことか。


 どうせ生きるなら、面白く生きたい。何も変わらぬ日々がそこにあるなら、何かを変えたい。


 それは、つまらぬこの国をひっくり返すという思いに、いつからか繋がっている。当然、軍人にも、役人にも民にもできない。誰にもできない。それなら、自分がやってもいい。そういうことを考え続けてきた。


 自分の軍は精強で、攻めれば都をとせる自信があった。相手が誰であっても怯えないし、屈しない。青竜軍アルメを相手取っても勝つ。そうなるように鍛えたからだ。懸念は強力な“青の壁ブラウ・ヴァント”と、ハイデル軍がどう出るかというところだけだった。ただ、“壁”のファルク・メルケルに国や教皇への忠誠心というものはさほど感じられない。戦をするために生まれたような男で、たまたま青い軍服に身を包んでいるだけだという印象がある。


 面倒なのはハイデルのベイル・グロースで、自分が都に反旗を翻そうものなら、全力でもって潰しに来ていただろう。しかしそのベイルも、死んだ。死にそうにない男だと思っていたが、毒刃で呆気なく死んだ。


 ブラウブルクの鼻先まで敵が迫っている。ファルク・メルケルは猛烈な勢いでそれを追撃している。しかし“壁”は空城で、糧食にも打撃を受けた。都からは最後の防衛軍が出撃し、それと相対するために、東海岸のロヒドゥームまで敵が侵攻してくることは考えられない。


 好機ではあった。


南方人ズートが都を陥とす。ファルクがこの国を奪る。あるいは元帥マルシアルの首が飛び、教皇猊下が身罷られる。どうなってもおもしろいぞ、ここからは。それに、叛乱ときた。やはりこの国を憂いているのは俺だけではないのだよ、シャカール」


「ファルク・メルケルならば、本当にやるかもしれませんよ。あれは、それだけのことができる男なのでしょう?」


「構わん。そうなっても、やつはすぐに放り出す。あれは戦を欲しているだけで、統治者ではない」


「都に兵を向かわせよ、とありますが」


「いいさ、出してやろう。しかし時を待ってな」


「俺は」


「うるさいぞ。ここを押さえろ」


 ヴォルフラムは振り向かないまま、指だけで背後の岸壁を指した。


「“壁”に喰いつくには、ここが最もいい場所だ」


 それをどういう意味で言っているのか、シャカールならばすぐに察するはずだった。視線だけを向けると、シャカールは案の定、獰猛な表情に変わっていた。


「ならば、あの男ともうまくやらねばなりませんな」


 シャカールの言葉を聞き、ヴォルフラムは海に背を向け歩き出した。


「どこにいるのかね、領主殿は」


「軍営でお待ちいただいておりますよ。無論、焼けていない部屋で。何やら私兵のような者たちも連れておりましたが」


 アイリーンの領主レンスヘル、ダリオ・アイリーンがここをおとなうと言って寄越したのは、つい二日前のことであった。街を敵国から取り戻した英雄らと一目会いたい、などと勿体ぶった書簡を送ってきた。無視しようと言ったシャカールやカイを制したのはヴォルフラムである。


 軍営の前には、シャカールが言った通り百名ほどの男たちがたむろしていた。武装した男らではあるが、軍人のように統率された様子はない。全員がこちらに視線を向けてきたが、ヴォルフラムは無視して営舎に入る。執務室に、禿頭の太った男が腰かけていた。


「お会いしたかった。ロヒドゥームの指揮官コマンダント、ヴォルフラム・スターク殿」


 両手を広げ、目尻を妙に下げた表情に、思わずヴォルフラムは失笑する。それを好意の笑みと解釈したのか、ダリオ・アイリーンはさらに笑い声を上げる。


「よくもこのような瓦礫の城にお越しくださった、領主レンスヘル。兵まで率いて」


「なに、ただの私兵です。千名ばかりおりますが」


 対面する位置に座り、ヴォルフラムはさりげなく周囲の男たちを観察した。先刻見た私兵よりはましな顔つきでいる。側近なのだろうが、帯剣しているのが気に入らなかった。


 国土の南端に位置するアイリーン領は、山も森も海も含む一帯にあたり、“青の壁ブラウ・ヴァント”も領内に含む。人の往来も物流も多く、豊かな領地として知られている。領主は世襲されており、ダリオは三代目であるらしい。身につけているのは甲冑だが、余計な装飾が目立った。


「長くここを支え、変革された指揮官コマンダントハンスが戦死され、蛮族どもの手にちたとき、我が領も終わりかと思いましたがね。よもや東海岸の英雄がおいでになって蛮族を蹴散らしてくださるとは。青き竜のご加護でありますな」


「“青の壁ブラウ・ヴァント”に救援要請はなさらなかったのかな」


指揮官コマンダントファルクもまた英傑であるが、怜悧でもありすぎる。このような街は見捨ててもよいとお考えだったのでしょう」


 それは直截ちょくせつの答えになっていない、とヴォルフラムは思った。要請すらしなかったのだろう。この男とファルクの関係が、それでわかる気がした。それでこちらにすり寄ってきている。シャカールが今後この街を管理するにあたって、唾をつけておきたいのだろう。ただ、ヴォルフラムがこの男と会っておこうと考えたのは別の理由である。あとのことはどうでもよかった。シャカールはどのみち、こんな男とうまくやり合えない。


「同胞ハンス・ヴルストがこの街をどう変えたのか、もっとよく聞きたいものですな。交易でずいぶんとポルトを潤した。ロヒドゥームにまで聞こえておりましたよ」


「それは、それは」


 やけに饒舌な男が語ったのは、ハンス・ヴルストがこの街の財政をどう潤したかということだった。漁村に過ぎなかったこの街が、およそ七年ほどで交易を中心とした街になり、南で随一の港湾都市なった。漁師の反発はあるが、そんなものは交易で得られる富に比べれば些細な事であるという。


「ところで、商人はどのようなものを売り買いしておったので?」


「作物、建材、なんでも。あと、多いのは石ですがね。まれに絹なども」


「絹。それは良いですな。石というのは? 宝石の類かな」


「鉱石ですよ。戦であればなおも儲かったのでしょうがね、港がこれでは」


 ダリオは港のある方へ目を向ける。さほど残念そうには見えない。


「港といえば、ロヒドゥームの北にフォルツハイムというところがありまして。まあ、しがない港町ですがね。腕のいい鍛冶屋が多くいたのですよ」


 ヴォルフラムはダリオから視線を外さなかった。


「ちょっとした騒動で鍛冶屋どもが皆、逃げてしまって。我が軍の武具も作らせていただけに、困ったことになった。腕のいいのをご存じであれば貸していただきたいほどだ」


 自分を見つめる視線に気付いたのか、ダリオがふとこちらを見た。


「ところで、その鍛冶屋どもなんですが、どうもここのところ、金まわりが良くなかったようでね。どうしようもない金貸しから返せぬ額の銭を借りたり、その用心棒どもに締められたりと、情けない始末で」


「ほう」


「逃げ出した男どもを何匹か捕まえたんですが、おかしなことを言う。どこからの依頼で、どこに流す武具なのかも分からずに造っていたとか。銭を使わねば北の海を通ることができないとか」


 ダリオの視線が、そこでちょっと動いた。


「鉱石のほとんどはポルトから運ばれていたらしい、とか」


 石の流れが、此度の戦で途絶えた。それでも武具は作らねばならないので、金貸しから借りた銭で石を新たな業者から買っていたというのだ。石の出所はポルトで、港が占領されたのが運の尽きだったようだ。


 陸の業者は使えなかったのかとけば、足がつくから使えないのだと吐いた。陸運はあらゆるところで青竜軍アルメの検閲を受けなければならない。海運は、その辺りが緩い。フォルツハイム以南の海で船を取り締まっているのは軍ではなく、実際は海賊であるからだ。ロヒドゥームの海軍も、そこまで船で巡回させるほど暇ではない。


 つまり、ポルトから石を仕入れ、武具を製造していること自体が隠すべきことだったということだ。しかしそれにしては、大量に過ぎる。だから、闇の金が動き回っている。金の出所は掴めないが、そうまでして武具を密輸せねばならない者がいる。


 正体の解からぬ武器がどこかへ流れていっているというのは、あの海賊の頭領、ハイシュ・ミュラから訊き出していた。海路の通行料を取ることは黙認している。ただ、何かあればすぐに知らせよとも言ってあった。時折、大量の剣が北へ運ばれていくのを見るが、どうやら軍のものでもないらしい。彼らも不審に思っていたようだが、いまはそのままにしてあった。


 武器の流れ、石の流れが、ヴォルフラムの中では繋がった。闇の武器の道ともいうべきものがあって、行きつく先がブラウブルクだというのも、ファルクからのふみでわかった。


「そういえばアイリーンの西の山でも、良い石が採れるのでしたな」


 ヴォルフラムはそこで一度、言葉を切った。


 ダリオの眼はヴォルフラムに向いていた。しかし視線を向けられながら、その瞳からは光が消え失せていることにも気付いた。僅かな沈黙をつくったが、その眼は動かなかった。


「ハンス殿が栄えさせたこの街、ヴォルフラム殿がさらに良い街にされることを願っております」


 何の感情も籠っていない声だった。


「では、我らはこれで。またお話を伺いたいものですな」


 ヴォルフラムはもう、領主レンスヘルを見なかった。部屋を出ると、シャカールが後ろから囁いてくる。


「よいのですか、あれで」


「あの眼を見たか。ああいう手合いは、ここで捕えて拷問したとしても、何も吐かぬよ」


 自分の意思を越えた何かに操られているとき、人はああいう眼になる。ヴォルフラムは北の大地で嫌になるほど見た光景を思い出していた。あの男の背後にあるものは大きいのだろう。そして、武器の行きつく先は軍本部である。


 ふと、その頂点にいる男の顔が、ヴォルフラムの脳裏をよぎった。


「つまらない国を創った男が、その国を喰らうのか」


「はい?」


「なに、ただの妄想さ」


 営舎の外にはまだ私兵らが留まっていた。また、ヴォルフラムは一瞥いちべつもしなかった。


「今夜のうちにおまえの部隊を動かせ。あのご自慢の私兵団と遊んでやれ」


「どこまで」


「千と言うのがまことなら、半分ほど潰してやればいい」


 それで、あの男も理解するだろう。犬がどれだけ数を揃えても、狼の群れには従うしかない。


「ファルクに書簡を送れ。ロヒドゥームは然るべきときに動く」


 やり方は変えない。狼には狼のやり方がある。


 消えかけていた、何か熱いものが自分の中で再び燃え上がってくるのを、ヴォルフラムは感じていた。




(ポルト=ザラ間の戦い  了)

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