剣と死、少女の内側に

 なにが起こっているのか、すぐには理解できなかった。


 目の前で男が倒れた。青竜軍アルメの青い鎧を着た男で、軍人なのだろうが、それを剣で刺した男もまた、同じ鎧を着ていた。刺された男は声を上げる間もなく倒れ、動かなくなった。


 鎧が土の上に倒れる音がして、それがどこからともなく、いくつも聞こえだした。荷駄の向こうでも声が上がった。うめき声のようだった。しかしそれも一瞬のもので、カヤの耳には、ただの音のように入ってきただけだった。


 また目の前でひとり、男が倒れた。剣を抜こうとして、その前に刺されたので、手が柄にかかったままであった。


 からだが反応したのは、剣を持った男がこちらに歩み寄ってきたときだ。ずいぶん緩慢な動きに見え、それでも気づけば男は目の前まで迫っていた。目が合った気がした。くらい眼だった。カヤは、男に背を向けて駆けだした。自分がいるのは輜重隊の最後尾で、何も考えないまま、前列に向かって走る。


 輜重しちょう隊の警護を任された。しかしカヤは、レーヴェンが警護と言ったこの任務が、ほんとうに自分に任されたものだとは思えなかった。荷駄の周囲には、自分のほかにもかなりの数の兵士がいて、鎧から判断するに、彼らが正規軍であったからだ。自分は正規軍に入隊を許可されていない。自分のほかに、この場に義勇兵の身分でいる者はほんの数十人である。そしてそのすべてが、ここへくるまでに負傷したか、病に罹った兵だった。


 だから、警護を任されたのではなく、警護されるのが自分たちであるのだということに、すぐに気が付いた。レーヴェンが自分をだましたのだ、とは思わなかった。自分が、戦場いくさばに出るには足りないと判断されたのだ。調練は、死ぬ思いでこなしている。レーヴェンの剣も受けた。失望などより、歯痒さがまさった。もしかするとそんな思いが視野を狭めていたのかもしれない。


 走っているうちに、思考が戻ってくる。


 歯痒いとか悔しいとか、そんなことを考えるような資格は、自分にはなかった。それが、いまわかった。その証左に、自分はいま、逃げているではないか。からだは、心より先に反応したではないか。


 同じ義勇兵たちと行き会ったところで足を止めた。走ってはならない、と誰かに咎められた気がした。同じ義勇兵の大柄な青年が、驚いた表情でカヤを見つめている。


「敵が」


「なに?」


「兵がやられた。死んでる。何人も」


「おい、落ち着けよ、カヤ」


 声を聞きつけて、他にも男たちが集まってくる。皆、レーヴェンのもとで戦い、負傷してここにいる兵たちだった。カヤのことは皆が知っている。慌てている様子に、頬を緩める者もいた。冗談か何かだと思っているらしい。苛立ちから同じことを捲し立てるように繰り返すと、男たちは互いに顔を見合わせた。


「見ろ」


 ちょうど、青い鎧を身に付けた男が隊の前方から走ってきた。彼はカヤの走ってきたほうを指差し、叫ぶ。カヤも振り返る。煙が見えた。黒煙が晴天に昇っている。


 兵糧が燃やされているのだ、と兵が言った。それで、銘々が声を上げはじめる。カヤをいぶかしんでいた男らも、ようやくその気になったらしい。水だとか、武器だとか言っている者もいれば、誰に知らせるべきかと相談する者もいる。知らせるなら、全隊にだった。ただ、指揮系統はカヤらには知らされていない。


 そこで、駆け出そうとした足が止まった。


 燃えているのは、兵糧なのか。たしかに、輜重が燃えていればそうなのかもしれない。しかし輜重には兵糧以外に武器もあれば、幕の準備もある。カヤは煙を見上げ、なぜか兵の叫んだことを反芻はんすうしていた。燃やされたというが、何者になのか。そんなことももう、誰かが知らせに走ったのか。


 自分より早く、状況を察知した者がいたのか。カヤは青竜軍アルメの兵が斬られたのを見ただけで、火の手が上がっているのは見ていないのだ。誰かが火を付けたのか、そうでないのかもわからない。しかし、兵糧が燃えたと言ったのだ。


 自分が思っているよりも、事態の進行が早すぎる気がした。ただ、気のせいかもしれない。確かめようとして、カヤは走ってきた兵を振り返った。


 白刃が、自分に向かって振り上げられていた。


 咄嗟に、身をよじった。痛みがある。肩のどこか。もしや、自分は斬られたのか。


 地を転がり、兵を見上げた。先刻見た兵士と同じ眼。剣先が迫ってくる。叫び声をあげ、カヤは闇雲に剣を抜いた。打ち合った感触がある。感触があるだけで、何も見えていない。ただ、自分は剣を振るっている。


 レーヴェンと立ち合ったときの光景が、一瞬だけ脳裏をよぎった。殺意が自分に向いている。レーヴェンは、剣は人を殺す道具でしかないと言っていた。その通りだ。カヤは、自分の剣の切先がどう動いているのかもわからなくなった。


 剣が弾き飛ばされた。どう打たれて手から剣が離れたのかもわからなかった。


 剣身が陽の光を返している。ただ、死ぬと思った。


 敵の背に飛びつく者があった。もがく敵兵が腕を振るい、剣がくうを切る。


「殺せ」


 先刻、カヤが言葉を交わした大柄な兵士だった。自分の握りしめている剣で斬れと言われていることが、遅れて理解できた。剣は震えていた。自分の手が震えている。抑えようと思ってもうまくいかない。


「おい」


 男が、必死だった。その声が耳に届いたのとほとんど同時に、カヤも叫び声を上げていた。敵兵に駆け寄る。剣を振りかぶり、肩から斜めに斬り下ろした。血が噴き上がった。思わず、カヤは眼をつぶった。


「胸を突け」


 男の声が止んでいない。眼を開けると、敵兵がまだもがいていた。斬ったはずだった。しかし、死んでいない。浅かったのか。カヤは、息がうまく吸えなくなった。


 仲間の男が、叫び声を上げた。カヤの呼吸が止まった。敵を羽交い絞めにしていた腕がほどける。捕まっていた敵兵が振り返って、男の胸を剣で突いた。男の口から、血が吐き出された。その瞳に自分が映っているように、カヤからは見えた。


 男が崩れ落ちた。その背の向こう側に、別の敵兵が立っていた。男が背後から斬られたのだと、カヤにはようやく分かった。


 二人の敵兵が自分を見つめている。足が竦んで、もうカヤは動けなかった。


「赤き竜のもとへ」


 そんな言葉が聞こえてきた。どういう意味なのか理解できない。自分の死を意味しているのかもしれない、と思った。


 その敵兵二人が、次の瞬間、棒きれのように真横に吹き飛んだ。槍で突かれていた。横から突っこんできたのは、黒衣の騎馬兵だった。


「殲滅」


 騎士の号令で、次々と騎馬兵が現れる。カヤの視界が、瞬く間に土煙にまみれた。遅れて、助かったのだと思ったとき、カヤはその場にへたり込んでいた。


「立て」


 声がして、見上げる。レーヴェンが、自分を見下ろしていた。カヤは立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。気が付けば、脇を抱えられて立たされていた。


「殿」


「おまえをここに置いていた私が間違いだった」


 そう言い残し、レーヴェンも駆け去っていく。肩を叩かれた気がしたが、それがどういう意味なのかは分からなかった。ただ、間違いと言われたのだけが耳に残った。茫然とするカヤのところまで、追い討て、とか、消火、とかいう声が届いてくる。消火だ。火を消さねば、と思った。ぼんやりとしたまま、輜重隊の後方を見遣った。


 煙がまだ上がっていた。はじめに見たときより、随分と濃く見える。青い空を覆うような黒煙だった。煙から眼を逸らし、振り返る。地に倒れたままのからだがあった。青年の眼は見開かれたままで、口も大きく開いたままだった。男の最後の叫びを、カヤは思い出した。


 おまえが敵を殺さないからだ、と言われている気がした。


 敵の殲滅があらかた終わったらしい。カヤは、義勇兵の一団とともに待機を命じられた。呼び出されたのは、陽が暮れかかったころだった。レーヴェンともに、青い鎧の中をかき分けるように歩く。指揮官が状況を確かめたがっている、とレーヴェンは言っていた。


「なぜ、私に」


「おまえ以外は死んだからだ」


 信じ難い思いで、カヤは足を進めた。


 指揮官コマンダントファルク・メルケルと副官ギルベルト・ベルガーがいた。簡易的に設置されたような卓を囲み、他にも数名が額を突き合わせている。レーヴェンが声を掛けると、ファルクの鋭い眼が射貫くようにカヤに向いた。


「カヤ・ヴルストです」


「何があったか証言せよ」


 何の感情も向けられていない、とカヤは直感した。氷の針で胸を刺されたようだった。


「申し訳ございません」


「証言せよ、と私は言っている」


 反射的にカヤが詫びの言葉を口にしても、ファルクは意に介していないようだった。


「カヤ。指揮官殿は、あったことを申せとおっしゃっているのだ。覚えている限りでよい」


 レーヴェンがカヤの隣で、低い声で言った。


 そこから、自分が何を喋ったのか、カヤは自分でも分らなかった。ただ、断片的に記憶していることを並べて話した、という気がする。青竜軍アルメの兵が同じ青竜軍アルメの鎧を身に付けた兵を殺した。自分が気の付いたときには火の手が上がっていた。兵糧に火がついていることを知っている者もいた。報告に現れた兵が自分たちを殺そうとした。


「おまえは最後方ではじめに敵兵を見たのだったな?」


「はい」


「赤い竜、と敵は確かに言ったのだな?」


「はい」


「わかった。もうよい」


 ファルクがまた卓に視線を戻したので、話は終わったのだということがわかった。咎められることも、罵られることもなかった。輜重隊を守ることができなかったというのは、どうでもよいのだろうか。


「もうよい、カヤ。戻っていなさい」


 レーヴェンに言われ、カヤの足はようやく動く。一礼し、俯いたままその場を後にした。レーヴェンが、指揮官コマンダントらに詫びるような声が最後に聞こえた。それが、カヤにとっては、自分が叱責されることよりいやなものを残した。


 戻っていろ、と言われたが、どこに行けばいいのか分からなかった。自分の、つまりレーヴェンの隊の者とともにいろということなのだろうが、とてもそんな気分にはなれなかった。どこへともなく、カヤは歩き出した。


 ザラ平原の西の端といったところで、街道がすぐ近くに見える場所である。東はこの度の戦闘が起こったところで、いまも遠くには動き回る人や馬が見える。戦の後始末というのも、カヤには分からないことだった。


 周囲の野原は焼けてしまっていた。ただ、直接に燃えたのが荷駄などであったために、大規模な火災になってはいない。ただ、草が広大に黒く変色していて、火事があったことが一目でわかる。


 焼けた輜重を積んでいた瓦礫は、野晒しになっていた。燃えてしまった木片などを処理するのは、どうしても後回しになるらしい。周囲にも、ほとんど兵はいなかった。その瓦礫が積まれたように折り重なっているところに、カヤはうずくまった。草の焦げた臭いが足元から届いてくる。


 夕日が落ちていく。何かを考えようとしたが、できない。仲間の、最後の叫びが不意に思い起こされる。それを掻き消そうとして、戦のことなどを考えようとするが、またそれも消えていく。


 故郷のことを考えた。焼き払われたというのを聞いたのは昨日である。カヤの記憶に残っている最後の街の姿も、赤く燃え上がっていた。あの、海から敵が波のようにやってきた夜である。だから、焼き払われたと聞いて、見たわけでもないのに、まざまざと光景が思い浮かぶのが苦しかった。


 あの街には家族はいない。父も母も死んだ。母の遺骸は街でどうなったか知れない。家の者たちもどうなったか、行方知れずのままである。それでも、ポルトは故郷だった。友もいた。家族のように親しい者は大勢いたのだ。それを焼いた敵軍を倒すのが、生き残った自分の役目のはずだ。それが、今日の振る舞いはどうだ。敵に背を向けて。あのとき自分は、状況を知らせると言いながら、逃げたのだ。


「出てこい」


 声がして、思考が中断された。レーヴェンの声だった。瓦礫に埋もれるようにしていたカヤを、呆れたような声で呼んでいた。しかし、立ち上がれない。力が湧いてこなかった。からだの芯が鉛になったようだった。


 レーヴェンはそんな様子を見て、息を一つ吐くと、カヤの隣に座り込んだ。


「他の者たちの証言からすると、やったのは青竜軍アルメの兵で間違いないということだ。裏切りと言うことができる。先のハイデル軍が陥れられたやり方に近い」


 彼は自分に向かって話している。内容は、唐突でよく分からなかった。


青竜軍アルメであって、青竜軍アルメでない。それは幻のように湧き、消える。この国のどこにでもいる。火の熱で現れる陽炎のように。つまり潜在的な敵が、国の内側にいると、指揮官殿はお考えのようだ」


「内側に」


「おまえの感じたことは、的を射ていたということだな」


 レーヴェンが自分の背を叩いたが、カヤには、何が何だか、理解できなかった。自分が何を言ったのか。もう、憶えていなかった。


「申し訳ございませんでした」


 黒く焦げ付いた地を見つめ、出てきたのはそんな言葉だった。


「なぜ詫びる」


「私は、戦うことができませんでした。仲間も亡くして」


 仲間を失くした。負傷していた仲間。それでも自分を守るために、敵に飛びついた仲間だった。


「絶対に戦ってやると思っていたのに。私の手で街の皆の仇を取ると決めていたのに。戦うこともしなかったのです、私は」


 声が震え、何を話しているのか聞こえなかったかもしれない。しかしレーヴェンは、聞こえているといったふうにまた息を吐くと、立ち上がった。立てと言われた。強い口調だった。カヤは、反射的に立ち上がった。レーヴェンの眼がこちらを見つめている。ファルクのような鋭さはないが、強い光があった。


「誰に詫びているのだ、カヤ」


 レーヴェンの声は低く、ゆっくりとしたものだった。


「死んだ友にか。私にか。指揮官殿か。私は、輜重が燃えたことがおまえのせいだとは、一度も言っていない。それともおまえは、そう言うことで、自分の心に詫びているつもりか?」


 カヤは言葉に詰まった。


「戦で、詫びて得られるものなど、ない」


 カヤに、まるでわらべに諭すように、レーヴェンは言った。


「それが戦だ。おまえが身を投じようというのは、そういうところだ。おまえが死んでも、私は詫びぬだろう。戦いの中で死んでいったなら」


 また、死んだ仲間の瞳が思い出された。


「私が日頃から言っていることを申してみよ。われらに何ができる?」


「死んだ者を忘れない」


 カヤが即答すると、レーヴェンは頷いた。毎日言われていることだった。死した者のために戦う。死んだ者が神のもとに行っても、思いだけは残る。思いを守って戦えるのは生きている者だけである。カヤが街を出たときから思っていることを、そのまま言葉に換えてくれたのが、レーヴェンだった。


 彼の顔の半分を夕陽が照らしている。


「おまえは、今後も前線には出さぬ」


 言われても、カヤはやはりと思うだけだった


「私の従者として従軍せよ。いまのおまえは、兵士ですらない。戦場いくさばの先頭にいま、おまえの場所はない。馬も、食事の世話も、武具の手入れも全てせよ」


「はい」


「抜かりがあれば容赦はせぬ。調練にも出さぬ。そうして考えよ。おまえが、どうあればよいのか。街のために戦う方法は、剣を取るだけではない。おまえに、剣はまだ不要である」


 人を斬った。はじめてのことだった。いやな感触だった。殺すためにどれだけの力で斬ればいいのかも知らなかった。そのせいで仲間は死んだ。自分は生きている。剣を持つ資格はない、とはっきり思った。


 カヤは、腰に差した剣を外した。それを差し出すと、レーヴェンは一度だけ頷いてそれを手に取ってくれた。


「剣が必要なとき、おまえの心がおのずとこれを求める。そのとき、おまえは戦士になっている」


「すべてお任せします、殿」


 そう言ったとき、言葉と一緒に何かが溢れそうになった。それでも、溢れさせるわけにはいかないと思った。


 レーヴェンの眼はまだ、カヤに向いている。何を言われても仕方ない、とカヤは瞳を見つめ返した。


「未熟なおまえには、師が必要だ。このレーヴェンは、いまよりおまえの師である」


「はい」


「そして、父亡きおまえの、父であるとも思え。私には娘がいるが、おまえもまた、娘のようなものだ」


「それは、そんな」


 どう言えばいいのか、カヤには分からなかった。ただ、からだの内側に熱いものが込み上げてくる。先刻から溢れそうになっているものを、押さえつけるのに必死だった。


 レーヴェンがカヤの頭に手を置いたとき、息が詰まるような思いがした。


「ポルトのこと、辛かろう。おまえには、それだけでも重すぎる。剣はまだ、私に預けよ」


 堪えていたものが、カヤの内側で破裂した。もうどうにもならなかった。レーヴェンの顔がぼやける。


 気付けばカヤは、声を上げて泣いていた。

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