懸けているもの

 丘の天辺てっぺんに現れたもの。レーヴェンからは点のようにしか見えない。


 点は丘をけ下り、すぐに輪郭を顕わにする。騎兵であった。哨戒の兵が、同じく騎馬で向かっていくのも見える。しかし彼らは、騎兵に向かって走ると、程なく引き返してくる。味方の斥候だったのだ。丘を越えて現れた騎兵は、それぞれ東と南に分かれて駆け去っていく。


 自陣から出て行った騎兵だけが、こちらに引き返してくる。ざわめいていた自陣の兵たちが一斉に静まり返った。何人かが大声を上げ、斥候のための道を開けさせる。


「丘二つを越えた所に陣を組んでいると」


 戻った斥候の表情は固かった。


「臨戦態勢」


 レーヴェンが言い、部下の数人が駈け去っていく。すぐに、伝令は小隊ごとに伝わる。陣の組み方は伝えてあった。歩兵が前列、弓部隊がその後列。長い槍を持たせた重装備の歩兵が最前、騎馬隊は少ないが、さらにその側面にいる。複雑な陣は組めないし、意味がないと思っていた。皆、義勇軍と傭兵からなっている部隊である。歩兵は義勇兵が最前に段を組み、傭兵は後段であった。


 この部隊の士気はまちまちである。たとえば、自分の麾下きかの兵などは腹を括ってここにいるが、傭兵などには、死んでまで戦う必要はないと思っている者が、大勢いる。それは表情を見ればわかる。しかもこの配置では、自分たちが真っ先に犠牲になることも分かっているだろう。いざとなれば逃げだす者もいるかもしれない。ここまで留まっているのは、正規軍から褒賞が与えられるのを待っているからというだけだ。


 戦場ではよくあることだった。それをまとめろと言う。ファルクが自分のことをどういう目で見ているのか、レーヴェンにはよくわかった。歳下の指揮官が自分に信を置きはじめている。奇妙な感覚だった。


 そのファルクとギルベルトの率いる本隊は東、ハイデル軍が南。敵に気取られない位置にいなければならないというので、離れたところに布陣しているはずである。ここでは迅速に、鮮やかに勝たねばならない。


 ポルトが奪回されたという報せは三日前に届いている。“青の壁ブラウ・ヴァント”からの早馬だった。接近の知らせは二日遅れてきた。予想より一日早い。敵も全速で来ているということだ。


「奪い返したのか、また奪われたのか、わからんな、レーヴェン」


「奪われたのさ」


 ハインツ・ヴィルトという、副官を務めさせている男だった。ノルンからここまで、ずっと行動は共にしている。戦の経験などない山人のひとりであったが、それなりに順応できている。見込みは間違っていなかった、とレーヴェンは思っていた。


 ポルトが焼き払われた、というのは、敵の接近と時を同じくして伝わってきた。ヴォルフラム・スタークが相当、苛烈に追い込んだのか。あるいは初めからそうする手筈になっていたのか。


 自分が、一度は助けようとした街だ。そして幾人もの軍人が命を懸けた街でもある。それが焼けた。奪われたものが戻ったわけではない。ただ、敵の進入路としての機能を奪ったというだけである。虚しいと言うべきか、悔しいと言うべきなのか。しかしいずれでもないような気がする。


「民の安否だけが、気がかりだ」


「ヴォルフラムってのは、どういう男なんだ?」


「街を焼いたのがあの男だと言われても納得する。そういう男だ」


 実際、敵の攻め口となるくらいなら街ごと消してしまえ、とでも言いだしそうな男である。真実は、知りたいようで、知りたくない気もした。民だけは何かのやり方で生かしていると信じたい。


 海上はそのヴォルフラムらの船団が封鎖しているという。ともかくこれで、陸と海の両面において、敵の増援は絶った。本隊は都にほど近いところまで攻めあがっている。ここに現れる二万弱の兵はもう、本隊に合流するしかないのだ。街は不要で、命を懸けてここを突破しに来るだろう。


「腹は立たないのかい、ヴォルフラムに」


「どうだろうな。われらとて、あの街を救えたわけではない。だから、腹を立てるというのも、違う気がする。カヤに聞けば、また別のことを言うのだろうが」


 ハインツは、同意するように頷いた。


「あの娘は不憫というほかない」


 故郷が失われたということは、すでにあの娘にも伝わっているだろう。彼女は、いま離れたところで輜重隊とともに待機させている。戦場に剣を持って立たせるには、まだ無理がある。鍛えるために戦うような相手ではなかった。


「丘の向こうの二万は、先に都へ向かう敵のためのにえになった。こちらも青竜軍アルメのためにこうして逃げ場のない野に身を晒している。いわば、贄にされた者同士のぶつかり合いだな。この戦もまた、なんと言えばよいのか」


 ハインツはレーヴェンが言葉に込めた皮肉を感じ取ったようで、薄く笑った。


「俺たちが贄か。せめておとりと言えよ、隊長」


「猟師らしいな。しかしここは山ではなく原野だぞ、ハインツ」


「原野にだって獣はいるさ」


 二人で低く笑い声を上げた。齢も自分と変わらない男で、長くノルンの街で共に過ごした間柄である。自分の息子のレオンと、彼の子であるサントンも同じような仲を築いている。隊長と副官という立場だが、友でもあった。


青竜軍アルメの若造は、ここで連中を全滅させるつもりかな」


「それしかあるまい。しかし、全滅させるというのは、並大抵のことではない。時はかかるし、無傷では済まぬ。死を前にした人間のなりふり構わぬ姿を、見たことがあるか」


「いや。あいにく俺は、猪や鹿の死に際くらいしか見たことがないのでな」


「すさまじい。われらが相手にするのは、そういう兵だと思え。そしてわれらが戦う間に、本隊は北で戦える。我々は犠牲を払ってここで敵を全滅させるか、合流を阻止するためにまた、動かねばならぬ。つまり、いずれにしても本隊には時が生まれる」


「捨て置くというわけにもいかんのだろう?」


「さすれば背後から襲われるか、他の街を焼かれるかだろうな」


 実際、それができると敵は示してもいる。ポルトの街は焼かれた。マルバルク城の近隣では略奪の限りが尽くされたという。結局、ここで徹底的に相手をしなければならない相手であるのだ。敵将がここまで考えていたのなら、その酷薄さには背筋が震えた。国軍という性質上、民を捨て置いて都に向かうわけにもいかないのだ。


 そして全滅させることを考えると、三隊で圧し包もうというのは理に適っている。指揮官コマンダントファルクの作戦は、きわめて合理的だった。


「俺はな、レーヴェン。あのファルクという若者が末恐ろしいよ。兵の命をかずでしか考えていないようなところがある。うまく言えんが」


「まあ、私も言えたものではない。北で戦っているとき、一隊を指揮している者は皆そういう考えだった。要するに、指揮官らしいということだ」


 その答えは、自分でも軍人らしいと思えるものだった。そう言ってあの頃は、自分を納得させていたのだ。案の定、ハインツは面白くなさそうな表情になる。それを見て、レーヴェンは苦笑した。


「俺がついてきたレーヴェン・ムートという男は、軍人でも、領主でもない」


「そうだな。ただひとりの男になったからこそ、できることもある」


 レーヴェンは馬にまたがり、全隊の前にハインツとともに出た。男たちの眼が一斉にこちらを向く。真摯な眼差しを向ける者もいれば、値踏みするような視線の者もいる。誰もが、国のために戦おうと思っているわけではない。しかし、懸けるものがあってここに参じているのだということは、自分も、彼らも変わらない。


「ポルト、ゼルロー、エアフルト」


 レーヴェンは声を張り上げた。


「シュタット、ノーバー、リンゼンゲール、マルバルク、エベネ、ザラニア」


 馬上から、レーヴェンは男たちを睥睨するようにしながら歩いた。


「何か分かるか」


 どこからともなく街だ、城だという声が上がった。答えたことをわらうような声もある。


「そうだ。これだけの街が連中の餌食になった。おまえたちの中にも、街を焼かれた者がいるだろう」


 声が少し大きくなった。


「ここで身を晒して、青竜軍アルメのために命を散らせと指揮官は言った。だが、私は」


 レーヴェンは剣を抜き放ち、頭上高くに掲げた。


「私は軍人ではない。私は“雪の獅子”。獅子の勇気をもって、己の誇りのために戦う。おまえたちはなんだ」


 次々に、喚くような声が上がり始めた。大きく頷いている者もいる。


「己のために戦え。街のために戦え。友のために、おまえたちの妻や子、愛する者のために戦え。軍のためでも、国のためでなくともよい」


 両翼で一度に、槍が掲げられた。長槍隊だった。歩兵は剣を掲げる。二百の弓兵が矢を手に喊声を上げる。レーヴェンも叫んだ。からだの内側から熱が沸き上がる。


「来ます」


 ちょうど、伝令がまたけてくるところだった。


「私の声をよく憶えておけ。まず、騎馬隊。それから、矢。第一段に長槍を出し、ぶつかった瞬間に、二段目、三段目と歩兵が突っ込め。決して、気合で負けてはならん」


 レーヴェンは騎馬隊の先頭に駈け戻った。ハインツは逆の側面を指揮するために駈けていく。


 敵の前衛が見えてきた。丘の上から駆け下りてくる。先頭は、騎馬隊だった。角笛ホルンを鳴らせる。また、味方から声が上がった。


「槍部隊、前進。号令に合わせろ。決して怯むな。馬の蹄などに、おまえたちは負けない」


 左翼から、ハインツの部隊が飛び出してくる。レーヴェンの指示で、右翼からも騎馬隊が出撃する。ほんとうは、自分が騎馬隊を先頭で指揮したい。しかし総指揮をする以上、自分を含めた数騎だけは、ここに留まらざるをえなかった。


 敵の騎馬隊は、後列になるほど広がる、やじりのような陣形だった。その側面に、味方の騎馬隊が突っ込んでいく。一度ぶつかって、曲線を描くように駆け抜けていく。敵の進撃は止まっていないが、両側面から絞り上げられるような形になり、馬の速度が落ちた。


 レーヴェンは剣を真横に振るう。今度は歩兵の後ろから矢が飛び出してきた。長弓である。天に弧を描き、敵の騎馬隊に矢が降り注ぐ。敵はそれでも、突っこんでくる。死を覚悟した兵。先刻、自分が言ったことを、レーヴェンは確信した。


「槍を出せ」


 騎馬隊は猛然と迫ってくる。ただ、騎兵の攻撃と矢で、かなり勢いは削いだ。そこに、長槍部隊が、側面から迫った。ただ槍を出し、耐えよと言ってある。今更、敵は方向を変えられない。槍の包囲網に、そのまま突っこんできた。前衛が崩れはじめる。耐えよ。レーヴェンは叫んだ。悲鳴。馬のいななき。止まる馬が出てきた。振り落とされた敵が宙を舞う。


「第二段」


 レーヴェンの声とほとんど同時に、歩兵が喊声をあげて前進していた。落馬した敵兵や、勢いの止まった騎兵に襲い掛かっていく。敵の騎馬隊の後列が、状況を見て転回しようとする。しかし、そこに味方の騎馬隊が背後から攻撃をかけた。


「弓兵、剣を取れ」


 敵の騎馬隊は、総崩れだった。しかし、その背後から歩兵がくる。一万五千と聞いていたが、騎馬隊を救おうとしているのか、こちらを目がけて一目散に駆けてきていた。


 そのもうひとつ後ろに、土煙が上がっている。


青の騎兵キャバリエだ。負けるな。ここが勝負だぞ」


 敵の歩兵が突っ込んできた。こちらはもともと、五千ほどしかいない。押し包まれるのは、時間の問題だった。早く来い。レーヴェンは、心中でギルベルトを罵った。


 何人かの敵が、槍を持ってこちらに向かってくる。向けられてきた槍を跳ね上げ、三、四人を斬り倒す。まだか。そう思ったとき、敵に明らかな動揺が走るのが分かった。青竜軍アルメの騎馬隊が、敵の最後方から歩兵を蹴散らしている。


 もうひとつ、衝撃があった。右のほう。また、騎馬隊だった。先頭で、黒衣の戦士が猛烈な勢いで敵を断ち割っている。ハイデル軍のアルサス・シュヴァルツだった。あっという間に敵は三分される。騎馬隊はもうほとんど残っておらず、二分された歩兵は殲滅されかかっていた。


 しかし、潰走しない。ここからが、最後の一押しだった。分かっていたことだ。今更、敵は逃げない。死ぬまで戦うと決めた兵たちなのだ。異様な光景だった。誰一人逃げない。武器を飛ばされても、斬られても、貫かれても、である。一人ひとりの眼の光がこちらを射抜いてくる。気圧されているのは、むしろ味方のほうだった。


「これは」


 思わず、声を上げた。レーヴェンも敵の中で剣を振るいつづける。一度は折れ、敵兵のものを奪い取った。敵の血でなまくらになると、それも棄ててまた、奪う。それでも、まだ立っている者がいる。まだ襲い掛かってくる者がいる。ついには味方の兵が恐れをなして逃げ出しはじめる。


「戦え。戦うしかないのだ」


 言った瞬間、馬から振り落とされた。馬が、怯えたのだ。地面の上で、素早く身を起こす。そこに敵がくる。武器も何も持っていなかった。赤い鎧。血で赤くなっているのだった。その鎧ごと、レーヴェンは敵を貫いた。吐き出される血を、頭から被る。


 剣を抜き、無心でさらに二度、三度振るった。まだ敵がいた。首を飛ばした。宙を舞う男の瞳が、自分をにらみつけていた。


 その首が地に落ちたとき、戦場は静まり返っていた。自分の吐く荒い息の音だけが聞こえる。馬はもうどこかへ逃げていた。立っている者は、自分と同じように茫然としているか、地に視線を落としていた。レーヴェンは剣を投げ棄て、地に腰を下ろした。


 勝鬨は、どこからも上がらなかった。どこかで馬蹄の音が聞こえるが、それだけで、あとは何もない。


「レーヴェン」


 大柄な馬が近付いてきた。ギルベルトが下馬し、自分に手を差し伸べる。


「大したものだった。俺たちが着いたときには、もう敵の騎馬隊は壊滅に近かった」


 レーヴェンは彼の手を取り立ち上がる。からだの痛みはあるが、それ以上に疲れが凄まじかった。


「全滅か?」


「ああ、ほとんどな。逃げようとするやつがいなかったので、追い討ちというほどのものもない」


「勝ったのだろうな。だが、負けに近い感覚がある。なぜだろうな、ギルベルト」


「負けていない。馬鹿を言うなよ、レーヴェン」


 そう言ってギルベルトは駆け去ったが、レーヴェンは勝ちを誇る気持ちにはなれなかった。傭兵たちには、かなりの犠牲を強いた。敵の騎馬隊が壊滅に近かったと言われたが、こちらは、あれが死力を尽くした戦いだった。一方で向こうにはまだ、歩兵が一万以上残っていた。よく耐えたと言えばそうだが、実際のところ、もう少しでこちらが全滅しているところだったのだ。敵の歩兵が殺到してきた瞬間。耐えられる、という思いが、一瞬だけ揺らいだ。それは、レーヴェンにとっては負けたことに等しかった。


「おい」


 剣を拾い、部隊の確認に行こうとしたとき、どこからか叫び声が上がった。不意に緊張が走り、剣を持つ手に力が入る。


 街道のほうで、煙が見えた。それが何なのか分かったとき、レーヴェンは駆け出していた。兵の叫びが聞こえる。


「敵がまだいる。応援を」


 煙が上がっているのは、輜重隊が身を隠していた方角だった。

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