episode21 ポルト=ザラ間の戦い

海の狼

 どれだけ鍛えても、すべての兵が均質な軍などできはしない。兵に教え込んでいるのは、まずそれだった。


 穴というものは、戦況によって変わる。陸か、海か。晴天か、荒天か。騎馬か、徒歩かちか。誰が軍隊における穴になるかは、戦いの上で変わるものだ。自分がある戦いにおいて弱点となるようなら、まずはそのことをいち早く察することが重要で、連携というものは、その弱みと強みの把握から始まる。


 待て、というのが、ヴォルフラムが戦のはじめ、すべての部隊に伝達することだった。弱みを見つけよ、穴を探せ。実際の意味はそんなところだ。伝達の必要は、ほんとうはない。その程度のことは、口に出さずともいいほどに教え込んでいる。ロヒドゥームの兵の戦は、観察から始まる。しかし戦の高揚と緊張は、ときにすべてを忘れさせるものだ。だから毎度、伝達する。


火の季節ブレンネ”の海が、日差しを強く照り返している。風が強い。こちらが風上である。途中、一日船を休ませてから来たのは、このためだ。


 敵の船団が見えてきた。帆を上げさせる。水平線上に大型船が並んでいる。舳先はすべてこちらに向いている。いつもの指示を、船上から出させた。連絡は旗と鏡を用いたもので、素早く取り交わされる。およそ五十隻。見えている範囲にある船はその程度のようだ。おそらく、後衛がそれと同数か、それ以上にいる。


 ロヒドゥームから船団が南下している。そんなことは、敵も掴んでいて当たり前だった。援軍もあるはずだ。ポルトの港は敵にとって、この国を攻める最大にして唯一の導線である。おかであの“青の壁ブラウ・ヴァント”を陥とすことに失敗したのだから、この港だけは全力で守りに出るはずだった。五十隻程度の船団であるはずがない。こちらは大型船が三十隻と、小型船が五十隻である。おそらく、それでも数はあちらがまさっていた。


「衝船」


 ヴォルフラムは舳先にいた。号令が甲板の上を伝わり、さらに海上を飛ぶ。ヴォルフラムの呟きを大声に変えるのは、副官のベグライト・フォスタである。この男が声を発するのはヴォルフラムが呟いた言葉を伝えるときだけで、あとは何も言わない。そういう男だった。だから副官に選んだというところがある。


 前衛の大型船から、小型船よりさらにもう一回り小さい艇が降ろされていく。艇は先端に衝角をつけているが、木製の上から鉄の板を重ねてある。舳先には同じく鉄の槌をつけてある。そのままだと前のめりになるが、兵が乗ることで尖った先が前を向く。海上の衝車である。ロヒドゥームの船大工が改良を重ねたもので、威力はこれまでの海賊との戦いで十分に分かっていた。


 大型船の陰に隠れるようにして衝船が走る。小型船がさらに後方に入り、縦に長い方陣のようになった。小型船の総指揮は大隊長オフィツィアシャカール・ゾラが行っている。大型船で最後方にいるのが大隊長オフィツィアカイ・リカールで、いずれも指揮については非凡なものがある。先頭を走る船の動きに合わせるだけでなく、状況に応じて隊列は柔軟に変えられるのだ。方陣は、あくまで最初の一手という程度のものである。


 敵が動き始める。左右に展開したそのままに向かってくる。相手から見れば、縦列のために数は少なく見えているだろう。


「総櫓。取舵とりかじ。試走」


 旗船であるヴォルフラムの乗った船を先頭に、東方向へ舵を取る。総櫓は大型船だけで、後の船は隊列を崩さないまま続いていく。試走というのがロヒドゥームの水軍にとって最も重要な動きだった。敵船の動きを見ながら、衝突に持ち込まれないように舵を取り続ける。櫓を遣う力は必要になるが、そのためにここまで帆を上げてきたのだ。兵は鍛えてある。漕ぎ続ける、ということにおいては絶対的な力がある。それはヴォルフラムではなく、兵それぞれがである。


 敵の大型船が、こちらの動きを見て速度を緩めた。後続の船が見える。正面からのぶつかり合いを、こちらが避けた形になっている。側面に突っ込むか、背後を取るのかで迷っているのか。自分たちの軍と向き合った船は、大抵がそういう反応をする。


 ロヒドゥームの兵は狡猾こうかつである、と言われる。海賊だけではなく、市井の者らがそう言っていることもあるという。それは、こういう戦い方を指して言っているらしかった。逃げ、かわしながら獲物の弱みをさらけ出させるようなやり方である。


 この戦が南で始まったときも、そうだった。ポルトが陥落しようが、マルバルクがちようが、静観した。すぐに手を出すことに益はなかったからだ。都が落ちるなら落ちるでいいと思っていた節もある。敵の勢いも強かった。しかし、そんなものにはいずれ限界がくる。いまがそうだ。敵の戦列は南北に間延びし、“青の壁ブラウ・ヴァント”が攻囲を解かせたことで、完全に断裂した。弱みがさらけ出されたのだ。狼が動き出すのは、ここからでよかった。ファルク・メルケルもそれが分かっていて、この機に書簡を寄越したのだろう。


 生き残るのは、結局はずるい者である。それを狡いと言うか、聡いと言うかの違いがあるだけだ。自分も、ファルクも、ずるい。それでいい。


 舳先で、相手がどうするのか、観察を続けた。突っ込んでくるなら、それでもいい。分断されずに列を解き、元に戻る。そういう調練は徹底している。この船団を狼の群れと呼んだのが誰かは知らないが、実際、獣が散り、群れるように動くこともできるのだ。


 敵が横隊のまま接近を再開する。突っ込んでくる。よほど自信があると見た。


「前列は後方に回る。後列は接舷に備えよ」


 小型船と衝船の多い前列だけが、切り離されたように動き出す。後列の大型船が舳先を敵に向け、横隊となった。はじめにぶつかり合うのは後列である。ヴォルフラムの乗る旗船を含む大型船が、衝船を隠すようにして東に移動する。


 敵船の旗。赤い竜紋のものとは別に、巨大な魚影のようなものが描かれた旗が掲げてあった。クジラという、赤の国の海にしか生きていないとされる巨大な生きもの。ヴォルフラムも知る赤竜軍の海軍提督、セタス・ヴァラエナの旗だった。この海域の封鎖を任されるだけあって、大物といえる相手だった。


「狼が南海の王を喰らう。それもまた良し」


 ヴォルフラムは自分でも知らないうちに笑みをこぼしていた。


 突っ込むと決めてからの敵船の動きは速かった。横列のまま迫ってくる。横に大型船が五十以上並んでくるのは、さすがに威圧的だった。


「回り込め」


 呟いた。衝船が味方の船隊から離れていく。火矢などで狙い撃ちされればひとたまりもないだろうが、大型船がそれを防ぐ。楯を出させた。衝船が東へと突っ走り、反転に移っていた。


 シャカールの指揮する小型船団が、敵の攻撃を受け始めていた。矢が雨のように降り注いでいる。小型船はその雨の中を走り続けていた。あの大型船に正面からぶつかることはない。ヴォルフラムら大型船団も半櫓で距離をとる。


「右、止め。反転して向き合え」


 呟く。指示は勝手に伝わっていく。右舷側の櫓が止まり、船が素早く反転する。眼は、敵の船団から離さなかった。旗船の尾のように、味方の船はぴたりとついてくる。


 見えるもの。必ずあるはずだった。シャカールは耐える。後列が追いついてきていて、攻撃は分散されている。カイの船団も迎撃に矢を放っていた。離脱したような形のこちらに、二十ほどの大型船が向かってくる。その右後列が、わずかに遅れていた。こちらの転回の速さを見て出方を考えたらしい。その列の後方で、中途半端な位置取りをする中型船の群れも見えた。


「試走やめ。敵船団右翼。衝船に続いてわれらも接舷する。総櫓」


 あそこだ、とヴォルフラムは確信した。思ったときには呟いていた。指示がベグライトによって拡声され、船から船へ飛ぶ。強い風が右舷から吹いてくる。


「さあて、火の神の加護は無いぞ」


 持ち込みたかった形に、ほとんど持ち込めている。ポルト軍の水軍が火に呑まれたというのは聞いていた。敵が何をやったのかは、大方想像がつく。火の扱いに関してはさすがに長けているのだろう。しかし、今日は風向きがこちらに味方している。北から吹く強風。いま火を遣えば、程度は如何ほどにしても、敵の船団まで燃えるのは確実だった。火は無い。船の勝負、兵の勝負だった。


 考えているうちに、小さい船影が脇を抜けていった。衝船。全速で敵船団に向かっていた。底に大きな溝を二筋彫っている。それが水を後方に流し、漕ぎ手の数以上の速さを生む。この海上で、最も速い船である。


 その後を、大型船で追う。


「弩。狙え」


 甲板に取り付けられた弩が、一斉に敵の船団に向いた。この旗船だけでなく、他の大型船からも放たれるだろう。一隻に四門で、ここまでついてきた味方の大型船は二十隻だった。


 衝船に向かって、敵船が同じように弩を向けたのを感じた。


「放て」


 矢が放たれる。風を切る音とともに、敵船に飛んだ。矢は甲板に突き立つか、船縁を抉る。さすがに船体に穴を空けるほどの威力はないが、それは弩の役目ではない。


 敵の弩がこちらに向く。それだけでよかった。


 その矢が放たれるより先に、衝船が敵船に突っ込んだ。狙ったのは、右の船団である。大きな獣に、小型の獣が食いつくような動きだった。鉄の鉾が、側面をち抜く。それでも一艘ならどうということはないかもしれないが、次から次へと船が突っ込んでくるので、大型船の姿勢が一度に揺らぐ。抵抗が弱い。やはり、ここが穴だった。


「当たります」


 兵の声が飛んでくる。全速で敵船に体当たりをかます、という意味だった。ベグライトが自分のからだを支えている。ヴォルフラムは腕を組んだまま、衝撃がくるのを待った。


 矢が飛んでくるのに構わず突撃した。もはや敵の船は姿勢を保てず、ゆっくりと横転しはじめる。周囲の他の敵船にも、味方がぶつかっていた。ベグライトの手を払い、ヴォルフラムは剣を抜き放った。


「そら、内側から喰らってやれ」


 歩兵が甲板を走る。板が降ろされ、敵戦に兵が乗り込んでいく。怒号が行き交う。はやくも、船を棄てようとする者が現れた。愚かな行為だった。川ならともかく、海で船を棄て飛び込むことは、自殺するのと同じことである。


 一方で中央から左舷にかけての敵はまだ、持ちこたえている。右舷は数合わせの兵か、と思った。早々に切り上げさせ、船を転進させる。そうしている間にも、衝船は再び別の船に突進していた。


「突っ切る。衝船は離れ、最後列に入れ」


 また、呟きをベグライトが大声で伝える。もうひとつ奥の船団が視界に入っていた。敵の中央船団である。シャカールとカイが、その猛攻を一手に受け続けている。しかしいまこの争闘を抜ければ、横から奇襲をかけることができる。道を開くのは大型船の役目だった。


 行き場を失くしている敵の中型船団を目がけて、高速で走った。速度はまだ保たれている。漕ぎ手の能力は、やはり高いのだ。


「あと一度だ。次の総櫓の号令を待て。それで決める。それまでは、五分で漕げ」


 中型船の群れは本隊に合流するか、転覆した船の味方を助けるか、まちまちな動きを見せていた。無視し、船の間を突き切っていく。反撃もあったが、沈められるよりも、船団を突き抜ける方が速い。楯を出させ、その裏で弩に矢を込めさせる。反撃はしない。


 抜けた。敵の中央が見えた。大型船が三十以上あった。横列で味方に迫っていたはずの敵が、真中が突出したような形で船列を伸ばしている。カイの大型船団が先頭の敵船を引きつけ、逃げていた。おかげで、船がどれも判別しやすくなるようになっている。


 中型船が、はやくもこちらに舳先を変えている。質が、いまぶつかってきた一団とは違っていた。


「雑魚に構うな」


 用意、と号令が飛ぶ。弩の装填は済んでいる。旗を見た。どれが敵の旗船か、見定める。見るのだ。敵の中型船は視界から消す。大型船団の後方に狙いを定めた。


ヴァラエナの喉笛を千切るぞ」


 船は全速だった。敵の注意は見方が引きつけている。群れでの狩りは、これでいいのだ。弱みを見極め、疲れさせ、引きつけて、首領が獲物の息の根を止めるまで走らせ続ければいい。


 正面から堂々とぶつかって消耗する必要など、どこにもないのだ。


 突っこんだ。敵の旗船の側面。強烈な衝撃が甲板を揺らす。ヴォルフラムも姿勢を崩しかけたが、ベグライトが背を支えた。舳先が、敵船に食い込むようになっている。水の飛沫しぶきの中、こちらを射抜くような眼で見る男を、ヴォルフラムは見逃さなかった。


「放て」


 弩が発射された。矢が、至近距離で敵船に打ち込まれる。矢の後端には縄がかけてあった。食いついたら離さないのが、狼の狩りの仕上げだ。


 他の敵船は、味方が妨害を続けている。もう一隻、大型船が寄せてきた。味方の船である。敵将を討ち取るまで壁となる船だった。何も言わずとも、それくらいの役目は理解しているだろう。おそらく、沈むまで耐え続けるはずだ。すでに味方の船も、かなり沈んでいる。とくに、カイの船団はかなり厳しいところまで追い込まれているだろう。それは、仕方のないことだった。


 群れに犠牲が出ても、獲物の首が落ちればそれでいいのだ。


 兵が怒声と共に乗り込んでいく。ここからはもう、白兵戦だった。将軍レガートセタスは、確実にこの船にいる。首を取れば終わる。


「ベグ」


 言うと、ベグライトは一度だけ頷き、何も言わず剣を抜く。次の瞬間には、敵船に駆け込んでいた。次々と敵兵を斬り倒していく。“死神”と呼ばれている小隊長カピタンソラスには及ばずとも、白兵戦で最も力を発揮するのがあの男だった。


 矢が降ってきた。敵船団からの援護だった。旗船がとされるかもしれぬという今になって、ようやくここへ追いついたらしい。遅らせたのは、シャカールだろう。まつわりつくような小型船の動きで攪乱し続けたに違いない。


「ヴォルフラム殿」


 兵が楯を持って周囲を固める。ふたりが矢を受けて倒れた。しかし、すぐに他の者がくる。ヴォルフラムも、わざわざ構わなかった。


 喊声と悲鳴が上がった。ヴォルフラムは、腕を組んだまま声のする方を見遣みやった。


 剣が振り上げられていた。やはり、ベグライトだった。切先には誰かの首があった。見たことのない顔である。


 将軍レガートセタスを討ち取ったり、という声が聞こえたときにはもう、ヴォルフラムの視線は西のおかに向いていた。


 ポルトの港が見えている。次の獲物だった。

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