殿軍

 天幕の外は快晴だった。兵が各々で休む間を縫って歩く。ギルベルトとファルクの後には、供回りが十名ほどついていた。所々の天幕の陰から炊煙が上がって、糧食の煮炊きが行われているのがわかる。向かっているのは、野営の最後方だった。


「信用できるかは別にして、あれはよい軍人だ。気は回りそうにないが」


 アルサスのことを言っているらしい。ギルベルトも頷いた。


「ハイデル軍は、ああいう男がいたので、最後の所は崩れなかったのだろうな。大隊長オフィツィアディックというのが、どれほどの男かは知れないが」


「ラルフを思い出しますよ。嚆矢こうしと呼ばれているそうですが、早死にしなければよいですな」


 後方は正規軍ではなく、義勇軍と傭兵部隊の群れである。糧食は彼らにも支給できるが、他のものは可能な限り自身で用意することになっている。だから歩いていくほどに、天幕がなく、布を張って屋根を作っただけのところなどが増えてくる。聞けば、野営地から離れた所まで狩りをしに出る者もいるらしい。それは黙認していた。


 悪いことではない。というより、ギルベルトなど、同じように原野を駆け回って狩りをしたいと思っている。正規軍、義勇軍、傭兵という境も、もとが傭兵の自分にとっては、どうでもいいものだった。成り行き上、青い軍服を着ているだけで、ギルベルトはまだ、自分が傭兵として生きていたころの感覚を捨てられない。


 襤褸ぼろに身を包んだ者どもが、天幕の間を這いまわるかのように歩いている。ギルベルトは、なんとなくそのうちの一人に近づいた。供の者の制止するような声は無視する。


「おい」


 声をかけると、相手は身を震わせてこちらを見た。怯えた仕草のようにも見えるが、眼が小狡く光っている。


「何をやってる?」


「ここで物を売っちゃいけねえとは聞いてませんよ」


「そうは言ってねえよ。腹が減ってる。何か売ってくれ」


 戦場にいるこういう者たちは、大抵が物乞いか、物売りだった。彼らにとって野営地は、稼ぎの場でもあるからだ。隊長など地位のある者は見向きもしないが、ギルベルトは彼らとやり取りするのが好きだった。傭兵時代からの、癖のようなものでもある。


 物売りはギルベルトに警戒の眼を向けながらも、布に包んだものを見せる。木の実を加工したものの他に、干し肉などもあった。


「この肉、うちの兵からくすねたものじゃないだろうな」


「そんな」


「何だ、違うのか。わが軍の兵は優秀だからな、いい鹿なんかを狩ってきたのなら、俺が食ってやろうと思ったのに」


 ギルベルトが言うと、物売りも黄色い歯を見せた。


「旦那。こりゃあ、猪の肉ですよ。鹿よりも歯ごたえがあっていい」


「全部買う。安くしろ」


なつめもありますぜ」


「それはいらん。安くしないなら、俺は自分で猪を狩ってくる。おまえのよりいい肉を、ここで安く売ってやるぞ」


「敵わねえな」


 ギルベルトの出した銭をそのまま受け取り、男は持っていた肉全てを差し出す。それから、鼠のようにまた、天幕の間へと消えていった。


「こうやって買うんだよ、孺子こぞう


 男が去ってから、ギルベルトは振り返った。少年兵である。自分を見つめる視線は、先刻から感じていた。手に肉を提げたギルベルトを、ただじっと見つめている。


 飢えたわらべか。ギルベルトは、かつて戦場で何度も見た光景を思い出していた。親を亡くした子らで、身寄りなどもない者が、糧食などを狙ってやってくるのだ。運が良ければ残飯などにありつくこともできるが、そうでなければ、軍人に叩きのめされて終わる。戦というのは、そんな童も生む。


 ただ、目の前の少年兵は、それとは違うようだった。よく見れば、眼に卑屈な光がない。かぶとで判然としないが、痩せこけているといった感じでもなかった。


盗人ぬすっとだと思いました」


「なに?」


「おかしな様子で、野営地を歩き回っていたので。それで、捕えて話をこうと」


 真面目な顔で語る様子に、途中でギルベルトは噴き出した。兵士らしいことをしようとしたのか。少年は口を開けてギルベルトを見ている。


「ああいうのもいる。ここは戦場だからな。だが、おまえのようなやつも、よくいる」


「と、言われますと」


「何もわかってねえ、鎧に着られた坊ちゃんさ」


 言うと、少年は顔を赤くする。


「私は」


「ほらよ」


 肉を投げると、少年兵は慌ててそれを抱きとめた。


「それを食ったら、天幕テントに帰りな。故郷くにまで帰ってもいいぞ」


 彼が何か言い返すのが聞こえたが、ギルベルトは振り返らなかった。兵たちの様子を見ながらしばらく歩き、先を行っていたファルクらに追いつく。


「いらぬことをしてきたな」


「いえ。視察というやつで」


 ファルクなどは、物売りにも、少年兵にも、一瞥いちべつもくれないのだろう。それはよく分かっていた。あるいは物乞いなど、見たこともないのかもしれない。


「いろんなやつがいますなあ、戦場いくさばには」


 ファルクは怪訝な顔をしたが、とくに何も言わなかった。


「入るぞ」


 話している間に、天幕のひとつにたどり着いた。中には大人が二名いるだけだった。レーヴェン・ムートが腰を上げ、ギルベルトらを迎える。もう一人も立ち上がる。彼の副官だった。供の者をすべて外に置き、ファルクとギルベルトだけが内に入った。すぐに、副官が床に地図を広げる。


 四人だけの、軍議だった。内容は、北上し、ザラ平原に至るまでの打ち合わせである。行軍の最後尾にあたる彼らの部隊が、引きずりだされた敵軍と最初に交戦することになる。


「海の狼が、動く。海上から赤竜軍レギオを追い立てる。いま、国境の海には敵船が何十と配されているようだが」


「あの男なら、まず間違いなくやるでしょう」


「ヴォルフラム殿とは、旧知の仲であるとか」


「北伐を、ともに戦い抜きました。すぐれた軍人です。そりは合いませんが」


 レーヴェンの言葉を聞いて、珍しくファルクが笑った。ギルベルトは、一度だけ会ったことのある男の顔を思い出していた。ヴォルフラム・スターク。食えない男、という印象だ。はらの底で何を考えているのか、容易に悟らせない不気味さがある。ファルクが笑ったのは、あの男の性格を知っているからなのだろう。たしかに、レーヴェンとは合いそうにもなかった。


「都に向かうのに、背後を気にしているいとまは無い。あの残存部隊とは、ザラで決着をつけたい。ハイデル軍からは、アルサス・シュヴァルツが騎馬隊を率いてくる。レーヴェン殿には義勇軍と傭兵を率い、十分に敵を引きつけてもらいたい」


 さらりとファルクは言っているが、なかなかに厳しい役目だと、ギルベルトは感じていた。敵は、国土の北にいる本隊との合流を目指してくる。それこそ、死に物狂いで向かってくるはずだった。こちらが全速で北上し、南北で分断を狙う動きを見せれば尚のことだ。


「難しいことを言われる」


 レーヴェンは腕を組んでいた。副官は、黙って彼の横顔を見つめている。


「おぬしの隊の力は、ギルベルトからも聞いている。その上で申しているのだ」


 言われたレーヴェンは、じっと地図に視線を落としている。時折ファルクがそうするのに似ているな、とギルベルトはなんとなく思った。


「なるほど、それで、たかが義勇軍の我々に」


 彼が指さしたのは、ザラ平原の南端の辺りだった。東に丘陵地帯、それを越えると巨大なザラ川がある。西は、街道と細い川を挟んで森。要するに、南北のいずれから軍を進めるにしても、最も平坦な箇所というのは狭い。東側の高所にしても、西から南にかけての街道を進むにしても、すぐに感知されそうだった。


 レーヴェンが求められているのは、壁としての役割だった。敵の、最初の一撃を持ちこたえ、この本隊とハイデル軍が勝負を決するまでの時間稼ぎ。総勢二万と考えられる敵の猛攻を受けなければならない。


「丘を回ってくるのが本隊、街道を上がってくるのがハイデル軍でしょう。ここで敵を潰そうというなら、相当な時を持ちこたえねばならない」


 本隊で最速の部隊であるギルベルトの部隊が丘を回って敵の側面を衝く。そのあと、大隊長オフィツィアルッツとバルドゥールが追い打ちをかける。歩兵で押し込む。いずれも効果的にやるためには、事前に気取らせてはならない。


「おぬしの胆力を当てにしている。兵の質はこの場合、問題ではないのだ、レーヴェン殿」


 言葉にはしないが、兵の練度においては、ファルクは義勇軍や傭兵を信用していなかった。それでも、最初に死ぬ役割を与えている時点で、レーヴェンにもそれは分かっているはずだ。本隊のために死ねと言われている。そう考えてもおかしくない。


 ただ、すぐれた指揮官がいて、死力を尽くして戦うのであれば、その限りではない。ここで必要なのは、即時の決着と、誰の目にも明らかな勝利である。その布石に、ファルクは“雪の獅子”を使おうとしている。兵の質は信用していなくとも、ファルクという男は、指揮官としてのレーヴェン・ムートを信頼しはじめているのだ。それが、ギルベルトに不思議な感覚を与えた。自分のことではないのに、何かを認められたような心持だった。


「分かりました。やれと言われればやるのが軍人。これでも軍ですからな」


 レーヴェンがそう答えたとき、途端に足音が近づいてきて、天幕が開いた。息を切らせて飛び込んできたのは、兵装の小さな影だった。


「これは。軍議の最中でございましたか」


 幕の内にいた四名の視線を向けられ、兵士は直立する。片手に持っていた何かを、背に隠したようだった。


 ギルベルトは、おやと声を上げた。先刻、猪の肉を与えたあの少年兵である。あちらも、ギルベルトに気付いてまた、大きな声を上げた。


「カヤ。ここを何だと思っているのだ」


 レーヴェンが眉間を抑えている。カヤと呼ばれた少年兵は口を開けたまま硬直していた。目がギルベルトから離れない。


「申し訳ございません、殿。ですがそちらの方は」


指揮官コマンダントファルク殿と、副官のギルベルト殿だ」


「なんと」


 また頓狂な声を上げ、カヤは張っていた胸をさらに張るようにした。


「カヤ・ヴルストであります。大変なご無礼、申し訳ございません、指揮官コマンダント殿方」


「うるさいやつだ」


 ギルベルトが言うと、ファルクも鼻で笑う。カヤは形容し難い表情で、なおもギルベルトにちらちらと視線を向けていた。レーヴェンは苦い顔をしたまま、手で払うような仕草を見せる。


「用は後にしなさい」


 その一言で、カヤは弾かれたように頭を下げると、再び駆け去った。天幕の内は、彼が去ると途端に静かになる。レーヴェンのため息だけが大きく聞こえた。ファルクが呟く。


「女だな」


「えっ」


 驚いたのは、ギルベルトである。


「正規軍には相手にされなかったと。まあ、当然ですが。それで、私の所に」


「隊にも入れるのか、レーヴェン殿の部隊に?」


「それは、これからで。まだ馬にも満足に乗れませんから。いまは何と申せばよいのか、小間使いのようになっております」


 二人の会話がそのまま耳を通過していく。今度は、ギルベルトが硬直する番だった。てっきり、男子おのこであると思っていた。同時に、瞬時に見抜いたファルクに対する驚愕もある。こんな堅物の男より、自分の方が女を見る目はあると思っていたのだ。


「“雪の獅子”が女子おなごを率いるか。これは、作戦を変えねばならん」


「いや、あれでも、一人前に調練にはついてくるのですよ、ファルク殿。最初の五日ほどは、半死半生といった体でしたが。父をうしなった子ですので、思いだけは人一倍ある」


「父を」


「ポルトの軍人であったらしいのですが」


 そこでようやく引っかかるものを、ギルベルトは感じた。


「レーヴェン。もう一度、あの娘の名を言ってくれ」


「カヤだ。カヤ・ヴルスト」


「ヴルスト?」


「知っているのか、ギルベルト。聞けば、指揮官コマンダントの娘御であるらしい。あれで、教養はあるのだ」


 思わぬ名を聞いて、つい隣のファルクに目を向ける。


 彼の眼はカヤが去った後の外に向いていた。ぽかんと口が開いたままだった。それからゆっくりと視線を戻し、ギルベルトと目が合うと、即座に顔を背け、大きく咳払いをしてみせる。


「まったく戦場いくさばには、いろんなやつがいますなあ、ファルク殿」


 気付けばギルベルトは、大口を開けて笑っていた。ファルクは誰にも顔を向けず、眉間を押さえている。


 レーヴェンとその副官だけが、訳が分からぬといった表情で二人を見つめていた。

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