叛乱の芽は

 ポルトは無視して北上するというのが、ファルクの決断だった。いま、あの港町には二万弱がいる。


 残存する赤竜軍レギオが二万を下回るようなら攻める。それは、いかにこちらが精強と言っても、あの天然の要害を奪取するのは容易ではないとわかっていたからだ。あの敵軍六万の攻囲を受け、六千ほどの兵を失った。とくに、城壁を守っていた部隊の損耗が激しく、負傷した者も多い。そういった兵を五千名、砦に残している。それで、こちらは二万と二千。ほぼ同数である。


 ギルベルトの部隊はほとんど損害を受けていないが、それでも五十余を失った。同じ大隊長オフィツィアで、騎馬大隊を率いるルッツ・ヒルシュとバルドゥール・フントの部隊は、さらに多い。騎馬隊の主力となるのはその三隊で、その他の部隊とは練度が違う。失った分は通常、ほかの部隊から補充するのだが、質の部分で見劣りする。結局、三部隊については、ほとんど増員のないままであった。


 行軍において、最も先を行くのが、そのルッツとバルドゥールの部隊である。ギルベルトの部隊は中ほどにある。そのさらに後段に歩兵隊がいて、指揮を三名の大隊長が執っている。輜重隊を挟んで殿しんがりには、二名の大隊長率いる部隊と義勇軍、傭兵部隊があった。レーヴェン・ムートもそこにいる。総指揮官のファルクは、歩兵隊の先頭にいた。


 行軍は順調で、いまはエーデルバッハ領の南端である。最大の都市、ハイデルからは馬で一日という距離まで来ている。アルサス・シュヴァルツが少数を率いて陣に姿を見せたのは、天幕を張り、兵たちが昼餉ひるげをとっているところだった。


此度こたびの敗戦と撤退については、申し開きのしようもなく」


 開口してアルサスがはじめに言ったのは、そんな言葉だった。黒髪の騎士は、かぶとをとってひざまずいている。指揮官コマンダントファルクが立つように促すまで、顔も俯けたままだった。


「ベイル殿も、その鍛えた兵士たちの力も、我らは疑っておらぬ。おぬしらを責めるために呼び立てたわけではない、小隊長カピタンアルサス」


 ギルベルトは、アルサスの横顔をじっと眺めていた。精悍な顔つきの男で、実直さもすぐに感じ取る事ができる。いかにも軍人、という男だ。


「ハイデルは」


大隊長オフィツィアディックがまとめ上げております、ファルク殿」


 天幕にはギルベルトとファルク、アルサスしかいない。あとの隊長たちはみな、大隊や小隊ごとに持ち場で休んでいるのだ。三人とも、糧食はすでにとっている。卓の上には地図が広げてあった。


「通信の遮断は、うまくやっているようだな」


「森を使って、隠れながら。敵も、そこはなかなかの速さで」


「ポルトから北への通行で言うと、あとはザラ方面が広大に残っているのみか」


「マルバルク城は、容易に取り返せません。あちらも森がありますから。その南東の橋を渡らせないというのが、やっとのところです」


「十分だと思う。大事なのは、我々の動きをはっきりと示すことであるから。南北の連携さえとらせなければ、それでいい」


 この軍の動きは、敵にもすでに伝わっているはずだ。それでも、まだ反応はない。さらにこちらが北上し、“青の壁ブラウ・ヴァント”まで引き返そうにも返せないところまで行く。それを、待っているはずだった。


「われらがやるべきことをやろう。明日には進発し、全速でもって、北へ向かう」


 自分たちの背後をかせる。敵は、引きずりだせるはずだった。


「最後にもうひとつ、よろしいですか、ファルク殿」


「なんだ」


大隊長オフィツィアディックより、言伝がございます」


 改まって言うことではなかった。ここまでの報告も、ディック・コップフの代理でこの男が行っていただけだ。それでもあえて、そういう言い方をしたからには、重大なことだからか。ギルベルトも、黙って耳を傾けた。


「くれぐれもこのことは、内密に願いたいとのこと」


「それはいい。早く言え」


「軍に叛乱の気配あり」


 アルサスは、表情を変えないまま言った。それはファルクもそうだったし、ギルベルトもであった。


「ポルトのことを言っているのか?」


「それだけではございません」


「では」


「どこ、とは申せません。我らも判然としないのです」


「そんなことが、報告になるか」


「ですから、言伝なのです。指揮官コマンダントベイルが、死の間際まで申していたことで」


「事実だけ、話せ」


「ザラで、我らは挟撃を受けました。あり得ないと思ったところから敵が現れましたが、それらは皆、青い鎧を身につけておりました。これまでに陥落した駐屯地から集められた者たちは、あの戦いのあと姿を消しました。指揮官コマンダントベイルを殺した男も、そこに属していた者です」


「名は」


「リューゲン・ヴァイプ。元はポルトの大隊長であった男です」


 ファルクが目を閉じた。


 ありそうな話だ。ギルベルトは、そう思っただけだった。問題は、その規模である。叛乱と言うには小さすぎる。


「叛乱と言ったか、アルサス殿」


 黙り込んだファルクに代わってギルベルトが尋ねると、アルサスは小さく頷いた。


「我ら青竜軍アルメうちに、我らをこわそうとする者がいる。青い鎧を身につけているだけの、敵が」


「敗残兵が南方人ズートに銭で釣られた。それだけの話を、ただ叛乱と思っているだけではないのか?」


「そうかもしれません。しかし、それだけではないかもしれません。それを肌で感じたベイル殿は死にました」


「都の七万」


 ファルクが唐突に呟いた。


「ヨハン殿が指揮していた部隊に、おかしな動きはなかったか?」


「それは。配置が悪く、間隙をかれたのでは、と我らは考えていますが」


「そうではない。たとえば行軍が遅かったとか、撤退するにもできない様子であったとか」


「何名か、生き残っていた兵に聞いたところでは、笛の音がしたと」


「笛?」


「敵将が合図に使ったようです。鳴り止ませることができず、山の中で味方の軍の居所が分かってしまったのだと申しておりました。その敵の将軍も、捕虜にとっていたにも関わらず、混乱の中で取り逃したと」


「都に引き返した兵は、僅か三万と聞いたが?」


「もとは七万の軍でした。四万があの平原で討ち取られたようには」


 もう一度ファルクは目を閉じ、大きな息を吐いた。


「言伝は、聞いた。大隊長殿に、私からも言伝を願いたい」


「はい」


「叛乱の芽は、どこにでもある。我らが何故なにゆえこの南から都に向かっているか、今一度考えられよ」


 アルサスは刹那、考えるような眼の動きを見せてから、一度だけ頷いた。何もき返すことはなかった。もしかするとこういう話は、死んだベイルと交わしていたのかもしれない。


 敬礼し、天幕を出ようとするアルサスと、一瞬だけ眼が合った。そこにある光は、なかなかないと思わせるほど強い。


 戦場で会おう。眼で、ギルベルトはそう言ったつもりだった。天幕の内より、原野の馬の上の方がよほど似合っていそうな男である。戦場で腕を見るのが楽しみだった。


 やはり何も言わず、黒髪の騎士は静かに去る。天幕の内は、また二人だけになった。


「どこまで信用しているんです、今のを?」


 ギルベルトは問うたが、ファルクは束の間何も言わず、アルサスの去ったあとを見つめるようにしたままだった。


「情報は足りぬ。だが、信じてもいい」


「それにしては、はっきりとしない答え方でしたが」


「あの男が叛乱の徒でないとなぜ言える?」


 言いながら、ファルクは懐から何かを出した。折り畳まれた紙だった。


「あるとお思いで?」


「言っているのは“大熊”と、あの男だけではないからな」


 他にもいるのだ。そう言って、ファルクは手に持った紙を開いていく。どうやら、書簡のようだった。


「昨晩、ドロゼルの手の者がここまで来た」


 平坦な口調で、ファルクは書簡の一部分を指さす。符牒が使われた文面だった。青竜軍アルメでよく使われるものとも、少し違う。“青の壁ブラウ・ヴァント”の内部でのみ使っている記号がいくつかある。寄越したのがドロゼルというなら、間違いないのだろう。ただ、ギルベルトが妙だと思ったのは、なぜ書簡で伝えてきたのかということだった。


 符牒の一部だけ読み解けば、“軍”、“教会”などと列記されているのが判る。さらに読み込もうとしたところで、ファルクに紙を下げられた。


「なぜ読ませてくれないんです」


「叛乱、とあった。おまえは、符牒を解読するのが遅いではないか」


 そう言われると、ギルベルトも何も言えなかった。たしかに、文書を読むのは好きではないし、得意でもなかった。もともと、文字を憶えたのも遅い。生きていくのに必要なものではないとも思っている。


「都に叛乱の気配あり。遠征は意図的に遅らされた。軍に武器が密輸されている。やつの部隊も襲撃された。同じ敵が、鎮火祭ブレンスティークに現れ、教皇を屠ろうとした。目的は“王の復活”」


「なに、教皇?」


 立て続けに読み上げられた文面の中で、いくつかの箇所だけが気になった。


 遠征の遅れ。それがあったから、ドロゼルらを都に送ったのだ。今更、軍内部の不穏な動きがあぶり出されようと、驚きに値することではなかった。あるかもしれぬとおもっていたことの、確証を得たのだ。武器の密輸というのは、そのためにある裏の動きというのだろう。


 しかし、教皇を暗殺しようというところにまで、動きが大きくなっているとは思っていなかった。そこについては、ギルベルトにも驚きはある。


 教皇、つまり教会をよく思わない者など、いくらでもいる。ただ、だからといって直接に手を下そうとする輩が現れるなど、あってはならないことだ。それは軍などではなく、この国そのものに対する反逆を意味していた。アルサスが言っていたのは、そのことも含んでいるのか。


ブラウブルクへすぐさま向かわねばならぬ。理由がまた一つ、増えたというわけだ」


「王とは?」


「ドロゼルは、教会の者と通じているらしい。書くことが、迷信じみてきた」


「迷信の類なので?」


「獣の王とやらがいるという。都の地下に」


「それは」


 脳裏をよぎったのは、随分前の、あの山中での光景だった。人のものとは思えぬ巨躯。黒い渦。突風。ファルクが首元に手をやるのも、ギルベルトは見逃さなかった。


「赤い眼をしておるのだろうな、王とやら」


 迷信めいたことを一切信じようとしないファルクも、赤い眼の獣のことについてだけは別らしい。ギルベルトは、すでに砦の山中で、獣を目にしている。


「あの獣どもと、教皇猊下とが、どうつながっておるのか、俺には理解できません」


「私にも解らぬわ」


「ドロゼルは」


「都に潜らせたままだ。部下は皆、東に向かわせたようだ。密輸の道が、そちらにつながっているらしい」


 ドロゼルは優秀な男だった。送られてくる情報だけでも、それがよくわかる。やはりここでも、ファルクの人を見る眼は的確なのだった。


 紙を畳み、ファルクはギルベルトを見つめた。


「あの男が妄言を記すとも思えぬ。小隊長カピタンアルサス、いやベイル殿の眼も、節穴ではなかったということだ」


「誰が、そんなことを今更」


猊下げいかを狙う理由のある者。つまり、国を覆そうという者。国を覆せば、即座に頂点に立てる立場にあるか、その身辺にいる者だ。もっと言えば、そのための武器の出納を意のままにできる者。そして、軍の編成を操作できる者でもある。元帥マルシアルでもなければできぬと言っていい」


 ファルクが最後に言い足したことに、ギルベルトは声をあげて笑ってしまった。この男の冗談にしては、大胆なものだったからだ。


「軍のかしらが、軍と国をひっくり返そうってわけですか」


「まあ、そんなことがあるとでも思っておけばいい」


 しかし、彼の横顔は笑っていなかった。皮肉や冗談を言うときに歪む口元も、普段と何も変わらなかった。目を薄く開けて、天幕を見上げている。


「戦いが終われば、我々はこの戦をなんと言うのだろうな」


 ぽつりと、そんな呟きだけが聞こえた。


 にわかにからだが震えるのを、ギルベルトは感じた。


 国そのものには興味がない。ありようだとか、支配者が誰であるとか、そんなことは自分に関係がない。軍に身を置いていてすら、そう感じている。だから、いま自分の身を震わせているのは、恐怖ではない。ギルベルトは、どうしても自分の口の端が吊り上がるのを止められなかった。


「戦が待っていますよ、ファルク殿」


 若き指揮官の眼は、中空に向いている。その瞳にはほのおがある。いつだったかレーヴェンにした話を、ギルベルトは思い出した。


「そうだな」


 腰を上げると、先刻までの会話が無かったかのような表情に変わり、ファルクは天幕から出た。ギルベルトも後に続く。もう、何も考えないことにした。


 いまの話は、天幕のうちに置いていくべきだろう。

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