episode19 リントアウゲン

来た道を戻る

 瓦礫がれきが村の片隅に集められていた。


 村中から寄せてきたもので、大きな屋敷一軒ほどの場所を埋め尽くしている。壁や塀の崩れたものから、焼けた柱の残りなど、大小さまざまなものが積み上がる。すすの匂いのほかは何もしない。


 村の住民が、そこにまた砂利を運んできて、すぐに背を向けて去る。自分たちの村が焼け、壊れた跡から眼を逸らしているようだった。


 リューネブルクから山を一つ越え、南下した。ベーメンというこの村に、二週以上、滞在している。布教のためではない。壊れた村を放っておけなかったからだ。壊したのは、赤の国の軍らしい。フリーダは、ここに留まることを、到着して早々に決めた。


 できることは、いくらでもあった。とくに村人に感謝されたのは、薬だった。焼けていない野原、あるいは遠くの山まで出歩いた。ある限りの持ち合わせと、かき集めた草ときのこで、取り敢えずの対応はできている。しかしどうしても、応急の処置というだけで、救えない民も何人もいた。


 たとえば煙やすすを吸いすぎて、肺腑はいふを悪くする程度なら、まだ何とかなる。傷も、軟膏での処置や縫合ほうごうできる程度のものならいい。しかし、たとえば片足がもう腐ってしまっていたり、腹の中に傷が深く入ってしまっているのは、現状、どうしようもない。自分にはどうにもできない、ということを判断し、それを告げるのも、また辛かった。


 死んだ者は、瓦礫とは離れたところに埋葬されていった。それは、二週間で四十名を超えている。一人死ぬたびに、フリーダは弔いの祈りを捧げた。それは、この村ではいま、自分にしかできない。ひとつだけあった小さな教会にいた聖職者は、一番初めに殺されたと聞いた。


 遺された民も疲れ切っている。とくに妻子などを失った男たちの憔悴しょうすいは大変なものだった。女子供にまで容赦のないことをする感情が、フリーダには理解できない。信じる神が違うというだけで、ここまでのことができるのだろうか、と思う。


 瓦礫の片づけは、疲れと悲しみから気を逸らせるために、フリーダが提案したことだった。それで実際、男たちは少しずつ気力を取り戻しているように思える。一方で女たちには、残っている子らの世話を任せ、少しでも知識のある者には、薬について教えることにしている。


 そういうことをしている間に、二週など瞬く間に過ぎた。


 瓦礫の前で、フリーダは息を吐く。少なくとも、最も厳しいところは抜けた。思えば二週間、ほとんど眠っていない。眼の下のくまも、今更どうでもいいことだが、濃くなっているかもしれない。


 また、瓦礫が運ばれてきた。太い、折れた柱だった。細身の少年が、一人で苦も無さそうに担ぎ上げている。


「お休みなさい、ルカ。わたくしより眠っていないのでしょう」


 ルカは、フリーダを一瞥いちべつすると、柱を置いて立ち止まった。


 この少年は、相変わらず放ったままにしている。この村の立て直しを手伝うので、好きにすればいいと言ったのだが、立ち去ることもなかった。それで、一緒に村を手伝ってほしい、とフリーダから頼んだのだ。


 それから黙々と、ほんとうに何の感慨も無いように、作業を続けている。しかも、フリーダが眠る夜間などは傍にいて、眠っている様子がないのだった。


 何も話さず、なにも答えない。ただ、ひとりで大人の何人分もの働きをするから、はじめは気味悪がっていた村人も、やがて何も言わなくなった。


 ルカは胸の前で手を動かす。意味のある動きだった。


 指の曲げ伸ばしと、その本数に意味があるのだ。指の言語と言えるものだった。もともとは、都で口のきけない孤児が習うものである。フリーダがかつて孤児たちに教えていたものを、同じようにルカに教えた。


 はじめは文字で意思の疎通を図ったが、ルカは文字を知らなかった。簡単な絵のようなものなら描けるようだったが、共に旅しながら絵で会話をすると言うのは、不便が過ぎる。そこで教えたのが、指の言語だった。


 ルカの覚えは悪くない。そも、わらべでも覚えられるように作られたものだ。


 自分は眠る必要がない。ルカが示した。いまも、手の動きは速くないが、十分に彼の意図を読み取れる。フリーダは微笑んだ。


「それは、不思議ですね。これまでの道中で、あなたの寝顔は何度か拝見しましたよ」


 ルカが舌打ちし、またフリーダは笑う。


 彼が眠らないのが、自分のためだろうというのも、フリーダには分かっている。この村を訪れた二日目の夜、村の男三人がフリーダの寝込みを襲おうとしたからだ。


 銭を持っていないというのは分かっていただろうから、からだを狙ったのだろう。針で黙らせることもできたが、フリーダが起き上がるよりも先に、男たちのからだが宙を舞っていたのだ。直感で、それをやったのがルカだと判断し、やめろと言っていなければ、おそらく三人は死んでいた。この少年の体術がどれほどのものかは、もうフリーダも知っている。


「この村の方々も、もうわたくしには何もしませんよ。あなたがいるのですから」


 実際、ルカと二人でいるときには、村の誰もが近寄らない。フリーダが一人で作業などしているときには、男女問わず声を掛けられるから、村人たちが警戒しているのは、自分ではないだろう。


 ルカは何も言わないまま、フリーダに背を向ける。どう言葉を掛けるべきか、フリーダが考えていたその時には、もう彼の姿が消えていた。身のこなしは普通ではない。歩くのも、驚くほど速いのだった。


 体術は、エベネの街で修道士としていた頃に身に付けたのだという。すべて、師と仰ぐ司教ファナティカの存在があったからだ、とも言っていた。その師はどうしたのかとくと、ただ黒い獣に喰われたのだ、とルカは言った。


 その黒い獣というのが、フリーダには気にかかった。


 瓦礫の山から離れ、村の中心に戻る。日差しの強い昼間だった。


 村人たちは、残っている家に分かれて寝起きして、協力し合っているようだ。赤の国の軍隊が荒らして行ったのは家屋とその中だけだったようで、畑などはなんとか形を残している。何人かが畑からフリーダに声を掛けてきた。


 酷い有様だが、井戸も用水路も残っているから、生きていくことはできそうである。問題はやはり心の内だ、と思えた。ある家の戸口では、老婆が俯いたまま茫然としている。フリーダが声を掛けても、眼はどこか別に向いていた。娘を攫われたのだというのは、別の若者から聞いていた。フリーダも遺された者たちに話はするが、彼らの心が救われるのには、まだまだ時が必要だった。


 教会が見えてきた。


 石造りのほんとうに小さな教会で、しかも、やはり所々が焼けている。南方人ズートが最初に襲ったのはここなのだという。焼けた扉は外しているので、出入りはいくらでもできる。村人もここで祈りを捧げるのが日課で、焼けてからもそれは変わっていないようだった。


 教会の中には陽が差し、これもまた小さな窓から中を照らしている。


 焼けた臭いが、石の壁の中から抜けていないかった。すすを払いきっていない

 し、何より、焼けた書物があるのだ。燃え尽きていないものは集めて、聖堂の隅に重ねてある。文字が判読できないものも多いが、棄てるなどということが、フリーダにはとてもできなかった。


 一冊を手に取った。都で読んだことのあるものの複製だった。歴史書のなかでも、とくに“フィスト”との戦いについて詳細に書かれたものである。半分以上焼けているが、その焼けている部分も、フリーダは記憶している。憶えることは、得意だった。


 青の勇者ブラウ――のちの建国の王――によって“フィスト”は南の地に追いやられたとあったが、その後どうなったのかは、誰も知らない。そのことは、どの書物にも記されていないからだ。しかし不思議なほど誰もが、獣は滅びた、と信じている。


 無論、誰も、その姿を見たことがないというのが、獣が滅んだとする説を信じさせているのだろう。聖典は聖典であり、もはや獣も、剣も、勇者も伝説でしかないと、人々は思い始めている。巡礼ミスィオンの旅で、それもよく分かっている。


 しかし、神はいるというのに、獣はいないとなぜ言い切れるのか。フリーダはそれを、都にいたときから考えていた。こう言うと、師らは皆、神がこの地をお治めになったのだから、獣などいるはずがないと返す。それでは答えになっていない、と言い返すと、顔をしかめて、話は終わりだと言われる。ともに修行する修道士ですら、そのことは深く考えていないのだ。


 だから、“銀の髪に青い瞳の少女を見れば、即座に便りを寄越せ”という師の連絡に、まともに返したのも自分くらいのものだろう、とフリーダは思っている。リオーネ・ムートというあの少女が、もしかするとあの、勇者をたすけた聖女と何か関わりがあるのかもしれない。出会えたのは、神の思し召しというほかなかった。今ごろあの少女と兄は、どこにいるのか。


 気付けばルカが、静かに背後に立っていた。気配を消すのも、この少年は巧みである。ただ、普通に生きていれば、身に付けなくていい技でもあった。


「ルカ、リオーネとレオンがどちらに行ったか、知るところはありませんか」


 ルカはその名に一瞬だけ眉をひそめたが、首を振った。しかし指で、東には行くと言っていた、とだけ言う。


 なぜ師シュローヴが、あの少女の行方を追っているのか。便りを受けてから、フリーダは考え続けた。まず、個人的な繋がりがあるとは考えづらい。師のことは知りすぎるほど、知っている。やや軽薄なところはあるが、興味本位で、遠く離れた地の人探しを命ずるような人間でもない。


“銀の風”とだけ書くように言われたのも、違和感があった。シュローヴは、回りくどく迂遠うえんな指示はしない男だった。つまり、書簡には書けない事情があるということだ。


 誰かの指示を受けている。そんな考えがよぎった。それも、師が逆らえないような高位の相手か、強力な力が働いているのではないか。シュローヴはばつというものを嫌い、これまで高位の僧の批判もうまくやり過ごしてきたような男である。それでも、あの放任的な師が、わざわざ書簡まで出している。


 あの少女の存在を知ることに、何の益があるのかが解らない。それが、フリーダの、それ以上の思考を妨げていた。しかし、益を得ようとする者が師に近づき、あの少女を手中に収めようとしている可能性はある。都から出られない者ならば、どうか。巡礼ミスィオンなど、もう弟子に課しているのは師であるシュローヴだけなのだ。


 何かが都で動き始める。そんな予感はしている。ただ、それが何なのかは見当もつかない。兄妹に害のあることなのかもしれない。それは、師と同様に、防ぎたかった。リオーネの吸い込まれるような瞳が曇るようなことは、起きてほしくない。


 巡礼ミスィオンの道中である自分に、できることはないのか。


 ルカが、フリーダの読んでいた書を、覗くようにして見ていた。ウォルベハーゲンでも読んだことがあるか。くと、ルカはまた首を振った。文字が読めず、聖典をそらんじるくらいしか、できることがなかったらしい。どうも修道士というより、小間使いのような扱いを受けていたようだ。フリーダは自分の憶えている内容を、さわりの部分だけ、ルカに聞かせた。


フィスト”の姿を語ったところで、ルカが反応した。指を動かす。自分の師をほふったのは、まさにそのような怪物であった。この世のものとは思えない、恐ろしいほどの速さと強さに、自分は何もできなかった。レオン・ムートだけが、その獣を斬ることができた。そんな内容だった。


 あの少女でなく、兄の名が出てきたことに、フリーダは驚いていた。やはり、あの兄妹はいずれも、只者ただものではないということか。兄の方からは、年齢以上の風格のほかは、特別なものは見て取ることができなかった。


 兄弟の抱えているもの。それが気になった。もしかするとそれが、師シュローヴの、あるいは彼に指示を出している者が求めているものなのかもしれない。


 ルカが、自分を見つめていた。指が、少しの逡巡のような間のあとに動く。


 あの兄妹のことが、それほど気になるのか。言われ、フリーダははじめ、その意図を読み取れなかった。答えあぐねていると、ルカの指がさらに動いた。


 ――戻ってもいい。


「それは、あの兄妹のところに、ということですか」


 ――おまえがそれを望むなら。


 ルカの指が示したのは、フリーダだった。


「あなたを、あの兄妹のもとへ行かせることには、恐ろしさもあるのですよ、ルカ」


 本心だった。この少年をこのままにはしておけない。しかし彼にとって、あの兄妹は複雑な思いを抱く相手のはずである。師が何に巻き込まれようとしているのか、知るためには兄妹を訪ねるほかはなさそうだが、それはルカには関係ない。であれば、ルカを伴うことは、兄妹に危険を及ぼすことになりはしないか。


 隠すことなくそう言ったフリーダに、ルカは俯いたまま、また指を動かした。言葉を絞り出すようにゆっくりな動きだった。


 ――あの兄妹が自分にとって何なのか、よく分からなくなった。しかし憎いが、憎んだとして、師が生き返りはしないのだということは、ようやく分かってきた――


 指は動く。


 ――この村の人間は南方人ズートを憎んでいるが、南方人ズートを何人殺しても、彼らの父母や、夫や、子は戻らない。いくら泣いても、戻らない。おまえの言った通りだった。彼らのことは分かるのに、自分も同じだと、なぜ気付かなかったのか――


 指はぎこちなく言葉を紡ぐ。


 ――師も戻らない。どれだけあの獣や、兄妹を憎んでも。だから、どうすればよいのか、分からなくなった。レオン・ムートを殺し、リオーネ・ムートを殺して、それでどうなるのか――


 ルカはそこで手の動きを一度止め、頭を掻きむしるようにした。そのまま暫く頭を抱え込んで、手を離したときには、両の手とも震えていた。


 ――おまえを襲ったあの男たちも、私も、変わらない。うしなったものを、別なもので埋めようとしただけだ。私は、ウォルベハーゲンの外にあるものはすべて醜いと思っていた。違った。醜いのは、私だった――


 ルカが顔を上げた。澱んだ瞳に光るものが溜められていた。


 ――私を連れていってほしい。あの兄妹のところへ。何が自分にできるのか、知りたい。おまえといれば、それがわかる気がする。もう一度、人として生きられるのかどうか、知りたい。


 フリーダは、言葉が出なかった。目の前の少年が、これほどの思いを抱えていたとは、思っていなかった。まだ鬱屈うっくつしたままの、病んだ少年なのだとばかり思っていたのだ。それが、どうだ。


「いつの間に、あなたは」


 問うと、ルカはまた目を伏せた。


 ――夜だ。眠れなかったから。


 そこで、フリーダはルカを抱きしめた。ここへ、この少年を伴ったのは間違いではなかったようだ。いや。竜がそう導いたのだ。この少年は、あるべき姿に戻らねばならないと、青い竜が思し召されている。


 フリーダは心の底から神に感謝した。


わたくしは、師に起こっていることが何なのか、知らなければならないと思っています。力を貸してくれますか、ルカ?」


 ふところで、少年が頷くのが分かった。


 できることなら、師だけでなく、兄妹も助けたい。すると、東に行かねばならない。あの兄妹のもとへ。


 来た道を戻るのは、この旅でははじめてのことだった。

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