仕事

 月明かりの下で、小枝を拾い集めた。


 よく燃えそうなものを集めると、それを湿らせた草で強く巻く。そうして、いくつもの松明を作った。火を点けるものは、何名かがそれぞれに隠し持っている。


 アルトナ近くの山中に、ドロゼルは部下とともにいた。そのまま下ればいくつかの畑とともに、村が点在している。東西に三つほどの集落がある。いずれにも、小麦など穀物を育てる農民が暮らしていた。家屋の集まりそのものよりも、畑の方が広大なほどで、火の季節ブレンネには大規模な刈り入れが行われるという。他にも、野菜などが育てられている様子があった。


 打ち合わせは、もう済んでいる。山賊が、山を一つ越えたところからやってきた。火を使って民を脅し、金品を奪おうとするが、誤って小麦畑に火を放ってしまう。風は東向きに山から吹きおろしていて、次々と被害は大きくなる。賊徒が暴れたせいで、そうなる。しかし見る者が見れば、計算されていると判る。そうなったとき、畑を守ることよりも、他のことを優先する者を見極める。そういう手筈だった。


 賊は自分たちだが、民を襲う気はない。騒ぎで火事を起こし、隠れている敵を炙り出すだけが目的だった。畑を燃やすのは忍びなかったが、早いうちに敵を見定めることができれば、消火に動きやすいよう、用水路の位置は確認している。


 月が中天に掛かっている。ドロゼルは、ヤンの帰りを待った。彼の部隊が、密かに先行して村に入り、畑を燃やす準備をしている。さすがに八十名ではわずかな部分しか燃やせないので、火が燃え広がるような仕掛けが必要だった。


 待つ間、ドロゼルは敵の正体を考えていた。所属不明の剣を大量に都へと運び入れる。それを用いて、何をしようとしているのか。なぜ、自分たちを狙ったのか。あれ以来、黒衣の者たちに襲われることはない。こちらの力量が分かって、何も仕掛けてこないのか、それとも、自分たちは街から消えたと思っているのか。


 ドロゼルの頭の中では、二つの事象が結びついている。無銘の剣を用いた黒い敵と、軍本部青の巨城ブラウ・シュロスでの妨害である。群れの中の異物を排除しようとするかのような動きだった。この都の中で、ドロゼルらの存在が邪魔になる相手など、そうはいない。


 もし、その二つが、姿を変えた同じ敵なのだとすれば、自分たちの敵は青竜軍アルメということになる。それは同様に、青竜軍アルメからしても、同じ組織の人間に暴かれてはならないような秘密を抱えている、ということだ。


 その秘密は何なのかが、もう少しで見えるところまで来ている。ドロゼルにはそんな感触があった。だから、ここで怪しい動きをしているという農民は、必ず炙り出さなければならない。そして、逃げられるようなことも、あってはならなかった。情報の引き出しと殲滅せんめつこそが、今夜やるべきことだった。


 草叢くさむらに、僅かな動きがあった。ヤンの部隊が戻ってきた。思ったときには、その姿がすぐ傍にあった。


「おかしな動きはありませんでした。農民は、皆眠っているようです」


「よし。五十名を率い、大きな声を出しながら、山を下りろ。三十は、私とともに来い」


「はい」


「五名だけ、残せ」


 すぐさま、ヤンが部下を引き連れて駆け去っていった。ドロゼルも、大きく南の方向に迂回うかいしながら、速やかに下山する。下りた先の穀物畑に、姿勢を低くして潜んだ。視線の高さに、味方も敵も見えない。ただ気配だけは感じる。部下がついてくる気配だけだ。敵はまだ、動かない。


 畑の先で、松明の灯が動いていた。声は、ドロゼルらが潜んでいるところまで聞こえてくる。賊を装った者たちが、集落の戸を叩き、暴れはじめていた。民は慌てたように外に飛び出してくる。


 他の家屋にも動きがあった。何事か窺うように戸を開け、すぐに締め切る。そういう者がほとんどだ。関わり合いになりたくない。当然の反応だった。


 そのうち、賊が昂奮したように、仲間内で口論を始めた。取り分をどうするか、ということで騒ぎ始めているはずだ。起こされた民は、ただおびえたように成り行きを見守るだけである。ドロゼルは、畑から集落の全体に眼を向け続ける。心配になって家から出てくる者はいるが、それだけだ。


 火が、という声が上がった。畑の一部が、燃え始めた。消せ、という声。民が慌てて走り回る。まだドロゼルは動かなかった。火の手が自分達のいるところに回るまでには、まだ至らない。


 火が大きくなった。声が悲鳴に変わる。ヤンの仕掛けが効いたようで、火が噴きだすようにして上がった。家屋という家屋から人が飛び出してくる。水、と誰かが叫んでいる。


 月明かりが煙を視認させる。その光の下、二十名ほどが、塊になって動いているのが見えた。煙の流れる方向、東に向かって動き始めている。ドロゼルも動き出した。部下が後を追ってくる。最後にその場を離れる者が合図を出せば、賊のふりをしている味方も加わるはずだ。


 風に吹かれて波打つ麦畑の中をひた走る。二十名の動きは、素早かった。ドロゼルは距離を保って並走しながら、人相を確かめる。老人から若者までいるが、すべて男だった。


 東に向かうにつれ、別の集落からも、人が出てきた。西の騒ぎを聞きつけた者が、火事だ、と触れ回っているようだ。すぐに集落中から人が飛び出してくる。賊が出たというのはここでは判らないだろうから、ただ自分たちの畑を守ろうと言うのだろう。何人かは、脇目もふらず駆けていく。


 そこで二十名が、五十名ほどになった。


 ドロゼルは視界の端に、畑を駆けてくる一団があるのを捉えていた。賊を装ったヤンの部隊。もう、追いついてきていた。その背後では、まだ火が消えずに夜空を照らしているのが見える。


 一団は、集落の中で、動かずにいる。声は聞こえないが、周囲に視線を向けつつ、何かを警戒しているのが、気配で伝わってくる。東に、数名が走った。


 何も言葉を発さず、合図も出さず、待った。ヤンの部隊も動かない。火事の騒ぎを、村人の声、そして風が小麦畑を揺らす音しかない。


 東から、また人が来た。闇の中からぬるりと出てきた感じだった。火事のことなど気にならないかのように、先着していた五十ほどと合流する。九十ほどになった。


 ここだ、と思った。ドロゼルは合図を出す。迂回し、東から畑を出た。


 突然、小麦畑の中から人が飛び出してきたことに、相手は驚いていた。ドロゼルは剣を抜き、跳びかかろうとしたところで、わざと動きを止める。


「退け」


 声を上げる。部下が一斉に、背中を向けて逃げ始めた。ドロゼルも同じようにして駆ける。振り返った。集団が、追ってきている。九十のすべてが追ってこなければ、意味がない。


 追え、追えと声が上がっている。それで敵の全員が動き始めた。


 南に向かって走った。小麦畑を再び駆け抜ける。集落から離れた。


 十分に離れ、山へ入ろうかというところで、ドロゼルは合図を出した。三十名の部下が、一斉に反転した。


 敵の先頭に立っていた者。壮年の男だった。何かを言おうとしたが、ドロゼルは姿勢を低くし、その男に迫る。光るものが、その手に見えた。


 刃が自分の喉に向かってくる。しかしそれが届くよりも速く、ドロゼルは相手の首を掻き斬っていた。


「殺せ」


 敵の集団から、声が上がる。ほとんどが武器を出していた。ドロゼルはそれを見て、当たった、とだけ思った。九十名が、殺到してくる。こちらは三十である。押し包まれかけた。


 そのとき、相手の背後で、何かが揺れた。敵の勢いが、わずかに遅くなる。ヤンの部隊が背後をいたようだった。敵の中に紛れていた。先刻、ドロゼルらを追うように仕向けたのも、彼だったのだ。


 ドロゼル自身は、一度も足を止めることなく、集団の中に飛び込んだ。


 短い剣が向けられてくる。しかし、いつか見たような鋭さはない。二、三人を瞬く間に斬り倒す。闘える集団だが、洗練されているとは、思えなかった。倒れている者の数が増えていく。


 ヤンが、ひとりを斬ったのが見えた。その顔に、あるかなきかの表情が浮かぶのを、ドロゼルは見逃さなかった。しかし、斬った。小さな悲鳴とともに、敵がたおれる。


 それを最後に、争闘の音が止んだ。あとは静寂のみがあって、乱れた自分の呼吸の音が聞こえるだけだった。


 逃げおおせた者は、一人もいない。数えると八十八人、殺していた。


 部下が、五名を引き連れてきた。それを離れたところまで連れていかせ、ドロゼルはヤンを呼んだ。訊問じんもんするように言うと、ヤンは少し表情を変えた。はい、とだけ返事がある。ドロゼルが視線を外さないので、彼もまた動けずにいるようだった。


「なぜ、私がわざわざ言うのか、解るか」


「手を汚すため?」


「そうだ」


「もう、汚れています」


「汚れきっていない」


 ヤンが、少し眼を見開いた。何を言われているのかを即座に理解できる。こういうところは非凡なのだ。


躊躇ためらいませんでした」


「なら、あれは何だ」


「あまりに若い男だったのです。少年と言ってもいいような」


「少年であろうと女であろうと、指示があれば殺す。そして振り返らない。私の作ろうとしている部隊は、そういうものだ。ファルク殿が求めているのもな」


ヤンが、俯いた。


「私の眼は闇の中でも視える。おまえの見せた顔は、まだ、ただの軍人であったよ」


「俺は、この部隊にはふさわしくないと仰るのですね?」


「ふさわしいと思う。適正という意味で言えば、おまえ以上の者はいない。しかし、今のままでは」


 いつか壊れる。それは、口には出さなかった。言わずとも伝わっているだろう。ドロゼルはもう、ヤンの方を見なかった。


 部下に指示し、捕らえた五人をそれぞれ、離れて見えないところへ置かせた。五人の顔は、それぞれ憶えている。もっとも年嵩としかさの男のところへ、三名の部下とともに行った。


 老人と言ってもいいくらいの男だった。木の根もとにいて、動けないようだった。脚のけんを切りました、と部下がささやくように言った。老人は、ドロゼルの眼をまっすぐに見ている。見ているが、瞳はよどんでいて、目が合ったという感じは受けなかった。


「これから私のくことに答えれば、生かしてやってもいい」


 老人の返事はない。眼を見たときに、予想はできていたことだった。もっとも老いた男を選んだのには、理由がある。


 質問することをやめ、責めることだけをした。


 手の爪をがす、指を折る。剣で、浅く斬り続ける。脚の骨を砕く。意図を持った質問さえしなければ、相手のからだはただ反応だけを繰り返す。いやな声が、山中に響いた。


 責めている間、ドロゼルは無心だった。というより、老人を責めぬいている自分を見ている、もうひとりの冷酷な自分がいた。他人事ひとごとのように、苦しむ人間を、苦しませる人間を見下ろす自分がいる。


 部下にも同じことをさせた。三名の部下は、老人と同じように苦しみながらやった。やめようとした部下にはそれを許さず、眼も瞑らせなかった。三名とも、涙を流していた。


「眼を逸らすな」


 人がひとり、目の前で死ぬ。死にゆく。大軍同士のぶつかり合いだろうが、暗殺だろうが、拷問だろうが、それは変わらない。ドロゼルからすれば、斬り合いはできるが拷問はできぬという人間こそ、非情だった。


 人の生命を奪うこと。やり方が違うだけだ。仕事として必要ならば、いずれにしても最期まで責任を負うのが、戦いに生きると決めた者の使命だ。


 やがて老人の悲鳴が弱くなり、途絶えると、ドロゼルは次の捕虜のところへ歩いた。ヤンがそこにいた。悲鳴はすべて聞こえていたはずだ。彼の方を、ドロゼルは見なかった。


 捕虜は若い男だった。老いていようが若かろうが、どうでもいいことだ。


 ドロゼルは、男の前にひざまずいた。


「声は、聞こえていたな。あの男は死んだが、おまえは殺さぬ。頼まれようと殺さぬ。私が求める答えを吐かぬ限りな」


 男が失禁した。ドロゼルは構うことなく立ち上がり、ヤンの肩を叩いた。


「やれ」

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