episode17 無銘の道

祭の前

 大通りは、平時と変わらない。


 ブラウブルクの中心を走る通りは、常に大勢の人間で賑わっている。戦時下であることを考えても、これだけの人が行き交う場所を、ドロゼルは他に知らない。普通に歩いているだけでも、たまに、行き交う者と肩をぶつけそうになる。


 その人の数は、鎮火祭ブレンスティークが行われる前日となっても、変わることはなかった。


 街の隅で座っているような老人などに聞いても、こんなことはこれまでにないという。ドロゼルはいま町人のひとりに姿を変えている。誰にも警戒心を抱かれずに会話することもできた。老人の言葉には、脚色も無いだろう。


「こんなことをしていては、神に見放される。わしは、そう思うがのう」


 老人は、諦めを感じさせる溜息を吐いた。生まれてからこれまで、この都に住み続けてきたという。


「その証拠に、今日もこんなに暑い」


「こんなことは、これまでになかったですな」


 無論、これまでの都がどんな天候に恵まれてきたかなど、ドロゼルには知る由もない。大体は、他の町人が同じようなことを口にしている。職人とか商人とか、あるいは何でもない女同士の会話などを繋ぎ合わせれば、いくらでも話を合わせることはできるのだ。


「戦に向かったというあの大軍も、敗けたというではないか」


「恐ろしいことですよ。この街の外にも、いつ敵がやってくるか」


「軍人がこのところ、せわしない」


「そうですか」


「荷車など、出たり入ったりしておるわ。武器や何かしらを積んでおるというが」


「ご老人、その荷をご覧になったので」


わしは見ておらんが、若いのがあちこちで働いておる。それだな。西の小門から、夜間などにも松明の灯が見えるという」


 老人の指さす先を、ドロゼルはなんとなく眺めた。見えはしないが、鉄の門がその先にある。都を取り巻く壁には、東西と南に大きな門があるのだ。それから、荷車の一台が通れる程度の、小さな門が、数か所。


 夜間、西の小門というところは、ドロゼルの持っている情報と一致していた。


「まあ、軍人も何をしておるのか分かったものではありませんからなあ」


「まったくよ。おまえさん、知っておるかね。祭が中止などになったのは、教皇様のご体調が優れないからだとか。軍人が戦の金をせびるために中止にさせたとか」


「我々から税など毟り取っているくせに、なんと」


 それから先は、老人の愚痴とも言っていい内容であった。虚実入り混じっているのだろうが、すべてドロゼルは記憶した。稀に、使える情報がある。その取捨選択の判断が、この仕事では重要だった。


 話が一区切りついたところで、ドロゼルはそれまで背中を預けていた土壁から離れた。老人は気にしたふうもなく、軽く別れの仕草をする。


 通りを、西に向かって歩いた。やはり祭の気配は感じられない。聞くところによるとこの大通りも、鎮火祭ブレンスティークでは、火と水を模した装飾などがなされるらしい。それも、いくつかの家が戸口などに施している程度だ。


 寂しげに、童たちが木の枝のようなもので、地に絵を描いているのが見える。それを横目に、女たちが数人で集まって何事かを話している。通りの店はどこも開いていて、言ってみれば日頃のままであった。男たちも、変わった様子はない。


 路地に入り、決めたところで四度、角を折れた。


「おう」


 なんでもない友人と出会った、というふうに、男が近付いてくる。部下のヤン・クラーだった。


「おまえを、探していた。これを渡したかったのでな」


 ヤンが手渡してきたのは、籠だった。野菜が入っている。


「また、どこのものか分からんようなものを」


「まあ、そう言うな。今度は、ちゃんとどこのものか、聞いてきた。アルトナ辺りだとよ」


 ドロゼルは、頭の中で地図を思い浮かべた。アルトナは、都を出て南東の農耕地帯だ。


「昨日入ったものらしいぜ。最近は、あの辺りも人が増えてきたとか」


「南から、戦を逃れてきたかな」


「さあ。男ばかりいるって話だ。仕事を探しにきたんじゃないか」


「あんなところでは、畑を耕すほかに、仕事もないだろう」


 路地を歩き続けて、西の城壁にほど近いところまで来た。他愛のない会話をしながら、ドロゼルは門の周辺をくまなく観察する。同じようにして、ヤンも眺めるように城壁を見上げていた。


「それで、今夜どうだ、一杯」


「いいな。せめて、俺たちだけでも祭を楽しもう」


「よし、決まりだ。何人か、呼んでくるよ。ここで集まろう」


 ヤンは手を振り、また建物の間に消えていった。おそらく、またいくつか角を曲がったところに、別の部下がいる。伝達は、すぐになされるだろう。


 今、自分たちに向かってくる視線は無かった。姿を変えているからだ。


 ドロゼル・ナハトという人間は、すでに街を出たことにしている。軍本部―青の巨城ブラウ・シュロス―で、明らかにそれとわかる監視を差し向けられるようになったからだ。そこで、一度ほんとうに街を出てまた、街に入った。仲間も同様にしている。城門を潜る人間の数に大きな差が出ないよう、七日をかけて潜入しなおした。


 それから、軍本部には近寄っていない。


 戦の準備が、断続的になされていた。南に差し向けた五万の遠征軍が打ち破られたという報せが届いてからは、さらに動きが激しくなった。撃って出ることはせず、防備を固めるという方針を、上層部は決めたようだ。まだ、この都にも兵が残っている。ザラ平原で敗れ、逃げ帰ってきた者もいる。一万ほどの、近衛軍ガルドという精鋭もある。


 そして、南では指揮官コマンダントファルク率いる“青の壁ブラウ・ヴァント”の軍が、敵本隊を打ち破ってもいた。ロヒドゥームの指揮官コマンダントヴォルフラムと連携し、北上する赤竜軍を追う構えだという。


 敵国の軍は、さすがに疲弊したのか、マルバルクの森を抜けてからしばらく、動きを見せない。いくつかの街を襲い、食物などを奪っているようではあるが、その街で滞留の気配を見せていた。


 そのことを踏まえても、“青の巨城ブラウ・シュロス”の内部には戦時の緊張感が足りなかった。


 正確に言えば、末端の者ほど事態を把握して働いているが、上層部がそうではない、という印象を受ける。


 撃って出ないという判断についても、東、南の青竜軍アルメと連携が確実に取れることを見越して、そう決めたようには思えない。その証拠に、青の巨城ブラウ・シュロスの使者であった自分に、誰も接触しようとしてこなかった。東の狼の巣ヴォルフスネストとのやり取りがあるようにも見えない。ヴォルフラム・スタークと軍本部は折り合いが悪く、東海岸に拠点を持つようになったのも左遷だと見なす向きがあるから仕方ないとはいえ、動きがなさすぎる。


 その辺りの違和を解明しようとして探りを入れ始めたころ、監視を含めたあからさまな妨害が、自分に向けられるようになったのだ。情報の開示はほとんど認められず、結果、城を出ることになった。


 それで、軍の内情については一度、探りの手を止めるということを、仲間と打ち合わせた。その代わりに、自分たちに向けられてきた刺客の調査を本格的に行うことができるようになった。


 ヤンが中心になって、めいの入っていない剣の出所を探っていた。行きついたのは、郊外である。都のどの鍛冶屋を探しても、同じ剣は一本となく、またそれらしいものを造った痕跡もなかったのだ。何名か、鍛冶を捕まえて尋問もしてみたが、出てくるものがない。


 そこで今度は、街に出入りする無数の業者を調べた。それが、当たった。一度だけ、夜間に出入りする輸送業者が、剣を運んでいるのを見つけたのだ。


 吐かせるのは、容易だった。というより、ほとんど、業者の男たちも情報を持っていなかった。


 どこから運び込まれているのか分からないほど、いくつかの業者を中継して、剣が動いている。それは、南から来ることもあり、東から来ることもあり、大口の商人を介することもあれば、旅の者売りが運んでいることもあるらしい。


 先刻、アルトナの近辺が怪しいと、ヤンは言っていた。男ばかりがにわかに増えているともいう。


 剣の通る道の一つがその近くにあるのは、間違いなさそうだった。それを守るための集団がいるのなら、こんどこそ尻尾を掴むことができる。ただし、闘争は避けられないだろう。


 ドロゼルは夕刻まで隠れ家で時間を潰し、たっぷりと待ってから、また外に出た。陽は、完全に落ちている。街の中には灯りが焚かれていた。


 西の小門の近く。まばらに人がいた。ドロゼルは一度そこに姿を見せると、また離れる。何名かが、門に近づいていった。酒に酔ったふりをしている、部下だった。


 衛兵。門の内側にいる。四名だった。ドロゼルは、密やかに駆けはじめた。


「止まれ」


 槍を持った兵に、部下が止められている。


「夜間の通行は禁じている」


「そんな。祭ですよ」


「祭は明日だ。それに、街中では行わぬ。この酔っ払いめ」


 問答の声が近くに聞こえるところまで来た。


 城壁は高すぎて、自分たちの部隊でも越えることはできない。しかし、夜に動かなければならなかった。外に出られる方法は、門を使うほかない。その門は、かんぬきが三つ、掛けられている。誰にも気取られずに閂を取って、出られたとしても、掛けなおすことはできない。


 ドロゼルとともに、三名の部下が、物陰から飛び出した。


 酔っ払いを装った部下の方を向いた衛兵の頭を、後ろから打つ。部下たちも、同時に三人を打っていた。すぐに、からだを運ぶため、散っていた部下が集まる。衛兵は、殺してはいない。ただし、仕事が終わるまでは、目が覚めても身動きの取れないようにしなければならなかった。


 かんぬきが外れる。速やかに外へ出た。二十名だけ、壁の内側に残す。出てきたのは、ヤンの他、八十名である。残した部下は、夜間の脱出を隠す工作をすることになっている。


 門の外側に、人の姿はなかった。しかし、篝が焚かれている。その光が届かないところまで、全員が音もなく駆けた。


 駆け続け、追ってくる者がいないと分かったところで、休止した。ドロゼルも含め、兵は皆、ただの街の民の格好をしていた。それを、脱ぎ去る。衣の下には、黒い具足を付けている。闇に紛れるための武装だった。


 気持ちの動きは、なかった。いつも通りの仕事をする。捜し、追い、場合によっては、殺すだけだ。


「アルトナ方面。翌朝になれば、離散」


 部下は無言で頷く。駆けはじめた。


 アルトナには、月が中天に昇るまでに辿り着けるだろう。

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