狼の首領

 帆船が一せき、近づいてきた。


 帆船と言っても、まだ帆は上げていない。北へ向かう船が追い風を受けることができるのは、もっと沖へ出てからだ。港を出て近いところは、どんな船でもで進む。


 ただそのつかい方にも注意が要る。浅く、岩の出た海底が、浜からかなり遠いところまで続いているからだ。思わぬところで岩にを取られたり、船底を擦ったりする。崖と岩場を見誤ると、風の吹く強さも間違って読んでしまう。沖に出るまでが、難しい港だった。


 だから、安全に航行できるみちというのが、海上にある。それを知るには、長くこの海を見ていなければならない。


 ハイシュらの船も、その航路に停泊させていた。夜明けから船を止めたままにしている。いかりを下ろすことはできないが、風の影響がないので、船は波でゆっくりと揺れる程度である。


 大型船一隻と、小型船を五隻、出している。後の船は、近くの島に停泊させているのだ。そこは船隠しのようなもので、島には簡易だが寝泊りのできる施設も建てられている。ハイシュら一段の縄張りで、漁船も商船も近づかない。


 先の辺りで、手下どもが動き始めていた。二人がかりで、大きな鏡を持ち出す者がある。それを、帆船に向ける。鏡の裏は黒く塗った木の板で、その裏表を、二人で持ち替えながら帆船に向けるのだ。信号である。ここを通る船は、皆この信号を知っていた。


 いま、手下がしきりに出しているのは、速度を下げよ、という合図だった。目視できるわけではないが、相手の船は、を動かす強さを緩めていることだろう。


 陽射しの強い朝だった。陽の照り返しが、ハイシュの気持ちを切り替えさせる。仕事だ、と思える。天気の良い朝を海の上で迎えるのが、ハイシュにとっては何よりも気持ちのいいことだった。


「一隻。信号を返してきてる」


「接舷」


 シフが、ハイシュのめいを部下に伝えに走る。甲板の上は、だんだんと人の姿が増えてきていた。


 帆船は大きく、ハイシュらの船とほとんど同じくらいと見えた。先に、こちらの小型船が出ていく。この船はかなり速い。前後に細い船で、その分、の数を、その辺の小型船よりも増やしている。相手の動きを見定めてからでも、総櫓そうろで漕げばあらゆる対応ができる船だった。


 その小型船が、帆船の進路を誘導するように海上で停止する。ハイシュは甲板からそれを見降ろしていた。


 近付いてくる船は、もう片側のを引っ込めている。船上の者の顔も見えるようになった。見知った顔だ。やはり、贔屓ひいきの運輸業者の船だった。父の、昔からの縁がある業者だ。


 こちらの船の合図で、完全に輸送船が停止する。二十人ほどの部下で運ばれてきた巨大な板が、甲板同士を繋ぐ橋のように掛けられた。相手の船から男どもが歩いてやってくる。まず話をするのは、いつもシフだった。話が済めば、シフが先頭になって板を渡る。あとには百名以上の部下が続く。


 検閲だった。輸送船からは乗組員が甲板上に出てきていて、その様子を見守っている。


 ハイシュは板を渡らず、シフらが戻ってくるのを待つ。同じ船の上では、部下が弓を構えていた。おかしな動きがあれば、すぐに矢を射込め、と言ってある。ただし、船長は撃たない。


 僅かな時間で、シフが甲板に戻ってきた。船長と何か言葉を交わしてから、板を渡り戻ってくる。あとから、輸送船の船長と数名がついてきた。


「兄貴、まただ。剣だよ」


「無銘か?」


「ああ。今度は、木箱百ほどもあった。あとは、大したことのないものだけどな。気になったので、船長を」


 気になっていることがあった。無銘、つまり何の刻印もなされていない剣が、この一年ほど、やたらと運ばれているのだ。数は違うがどんな業者も同じように運ぶものだから、同じところに届けられているのかと言うと、そうでもないらしい。すべて北へ渡る船で、不定期に輸送されているが、行きつく先が、誰に聞いても不明だった。それに、木箱が百というのは、これまでにもあまりない数だ。


 船長は、怯えた表情をしていた。なぜ自分がここに呼ばれたのか分からない、という顔だ。


「この剣は、どこへ運ぶのだ? それが気になっている。手荒なことはしねえよ」


 言うと、船長以下の乗組員も、一様に安堵の表情に変わる。それを見て、ハイシュも思わず表情を崩す。父に所縁ゆかりのある、贔屓ひいきの船になど、何もする気はないのだ。


「どうして今になって、と思ったのですよ、御頭」


「なに?」


「あの剣は、うちも随分と運んでいるじゃないですか。何か、それがいけなかったのかと」


「いけないものなのかどうか、それは知らん。ただ、無銘というのがな。それも、尋常でない数だ」


「私らも、わかりません。リントアウゲンまで運んで、そこからは別の、おかの運び屋の仕事ですから。いまは、内地は戦でしょう。剣なんて、幾らでも必要だと思うのですがね」


「戦で使うものなのだろうか? 青竜の刻印もないが」


「さあ。私らは、よく知りません」


 船長は頭をく。積み荷の、最終の届け先が分からない。それ自体は、そんなに珍しいことでもない。とくに、海の運び屋は、売りたい物と買いたい者の中間にいるだけのことが多い。


 ただ、ハイシュには、何か引っかかるものがあった。言うなれば、それだけなのだが、きな臭いものを感じるのだ。これだけの同じ剣を必要とする者など、軍人以外には考え難い。もし、個人がこれだけの長期間に渡って武器をせしめようとしているのなら、軍が動いているはずだ。


 戦に使うものに関しては、軍が厳しく管理している、と聞いたことがある。銭の使途をはっきりさせるためにそうしているらしいが、もうそんなこともやめたのだろうか。


 船長が、数名の部下と何か話しはじめた。


「おい、なんだよ」


 シフがいつもの調子で、突っかかるようにく。目の前で密やかな話などをされるのが、嫌いな男だった。船長が、部下を三名、前に連れ出す。


「いや、失礼。こいつらが、そのおかの業者と知り合いでしてね。何か知っていることはないかと」


「どうだ、何か聞いたことは」


「俺たちも、よく知りません。おかのやつらも、また次の業者に、内地で引き渡すんだそうで。変な話ですが、運び屋ばかり三つ、四つもあいだにいる感じなんです」


 男たちは互いに顔を見合わせ、首をひねっていた。


「ますます妙だな」


「まあ、うちも金はきちんといただくんで、気にしたことはあったんですが、放っておいたんでさあ」


 船長が投げやりに言う。気にしても仕方ないことなのかもしれない、とハイシュも思い始めていた。どうせ、分かったところで自分達には関係がないことだろう。いつもそう考えるのだが、積み荷が通るたびにこうしていてしまうのだ。


「とにかく俺たちは、変なことはしませんよ。親父さんには、どれだけ世話になっているか」


「それはもういい。何かあったら、すぐに言え」


 船長は頷き、小袋を差し出す。掌に感じる重みからして、銭だった。いつもの、通行料である。


 板が外され、船が離れていく。が漕がれはじめる。輸送船の船尾がこちらを向いたころには、ハイシュは今の話を、もう思考の外へ追いやっていた。


「漁船」


 声が上がった。小さな船が一艘、眼に見える位置を走っていた。男が数名で乗っていて、こちらに近づいてくる。あまりないことだった。


「兄貴、あれは」


 じっと、ハイシュは船を見続けた。船というより、そこに乗っている男。手を挙げている。その手が、光っていた。鏡である。こちらに裏が向く回数を、ハイシュは数えた。


「鏡。了解したと伝えろ」


 大きな鏡がまた引き出されてきて、小舟の方に陽の光を弾く。近付いてきた船は、それで舳先の向きを急激に変えて、引き返していった。


「狼の遣いだな」


 シフが、ぎょっとしてこちらを見た。


「行くのかい」


「ああ」


「兄貴、俺は、もうやめたほうがいいと思うのだがな。いつ殺されても、おかしくない」


「殺すつもりなら、もう何年も前から戦になっているさ」


「相手は、軍人だぜ。用があるなら、でかい軍船で向こうから来ればいいじゃねえか。それを、呼びつけるようなやり方で」


「シフ。忘れたのかよ。灰色の海グラ・ゼーは鮫と狼の餌場だぜ。戦になったら、どちらかが縄張りを離れなきゃならねえ。向こうにはおかの城があるが、俺たちには、この船と海しかねえ。奪われるわけには、いかねえだろう」


 シフは黙り込むと、ひとつ舌打ちをして、甲板を下りていった。その背を見送ることなく、ハイシュも船室に戻って部下を呼んだ。小型船を一隻、準備するように伝える。その部下が去ってしばらくすると、船室の外で声の行き交うのが聞こえ、やがて船が動き出した。


 揺れを感じながら、ハイシュはしばし目をつむった。


 狼の巣ヴォルフスネスト。ハイシュらは、ロヒドゥームの城をそう呼んでいる。そして、そこで大陸の東海岸を牛耳る青竜軍アルメのことは、“海の狼”と呼ぶようにしていた。自分たちがそう呼び始めたからなのか、それとも同じことを考えた者がいたからなのか、どうでもいいことだが、いまはこの辺りの多くの人間が、同じように呼ぶ。


 連中は狼だ、と言ったのは、父だった気がする。とにかく大軍であり、どんなときも、群れを成すようにして動く。そして、狡猾こうかつであった。賊と言われる自分たちが言うのもおかしなことだが、実にさかしく立ち回る。ときには、剣を交えることなく戦に勝つと言われるほどだった。


 その首領――軍では、指揮官コマンダントなどというようだ――の、ヴォルフラム・スタークの顔が思い浮かんだ。薄ら笑いを浮かべている。表情は笑っているが、それは顔の筋肉がそう動いているというだけで、いつも眼は笑っていないのだ。あの顔が、ハイシュには憎らしかった。何もかもをあわんできたような男。かつてあったという北の地での戦争で、自らは最も汚れず、しかし最も血を流させたと言われる男だった。


 部下が自分を呼ぶ声が聞こえて、思考を中断する。甲板に出た。


 船は、ロヒドゥームの近海にまで来ていた。中天に陽がある。


 小舟が、海上に出されてあった。縄を使い、ハイシュはそれに乗り込む。漕ぎ手が四名。自分のための、護衛が五名。乗っているのは、それだけだった。


 小舟は、浜に向かって進む。浜には、船も何もなく、また僅かな人もいなかった。不自然なほど静かなその浜に、数名だけ、人影が見える。小手をかざしてこちらを見る男。いやな気が発せられているようだ。眼に見えないものが男の背から立ち昇っているように、ハイシュには見えた。


 浜に船を乗り上げさせ、舟を降りる。護衛だけがついてくる。浅瀬を歩く。


 波打ち際の、ちょうど波が届かないところに、男たちが立っていた。


「早かったなあ、鮫の孺子こぞう


 短く刈り上げた頭、薄い笑み。眼の奥に、底知れない深さのある男。ヴォルフラム・スタークである。軍人にしてはからだの線が細く、背も高くない。孺子こぞうと言うが、ハイシュはもうよわい三十を超えていて、この男は四十過ぎだったはずだ。相応のしわは見えるものの、それほど齢は離れていない。


「時刻を守ることができるというのは、実に良い」


 ハイシュは、先刻、自分の弟がそうしたように、舌を打った。


「シフが言っていたぜ、呼びつけるようなことをするんじゃねえとな」


「それは弟に直截、言わせたまえ」


 ヴォルフラムは笑いとともに、浜の砂を足の裏で踏みつけるようにした。


「それにしても、やりすぎだな」


「何のことだよ」


「フォルツハイム。六十ほど、人が死んでいる。目に付くだけの殺しはするなと、言ったはずだが」


「待て。そのうちの半分は、俺の子分どもだ」


「だから何だというのだね」


 なぜ自分が呼ばれたのか、ハイシュは理解しはじめていた。


「この海の街で、賊がいさかいごとを起こした。そして人が死んだ。民が知るのは、そこだけだ。そしてその民は皆、俺の民でね」


「銭の揉め事だった。俺の知らぬところで」


「またしても。部下が勝手にやった、か? 頭領といってもやはり、まだ孺子こぞうだな」


 からだの中で、かっと血が熱くなるのを、ハイシュは感じた。それはヴォルフラムも感じ取っているはずだが、彼は視線を砂浜に落としたままだった。


 父が海の顔役として幅を利かせ始めた頃に、この男は接触を持ちかけてきた。軍人である。はじめは、身内の誰もが、父は捕らえられるのだ、と思った。


 しかしヴォルフラムとの話を終えた父が、捕らえられることはなかった。それどころか、銭を納めさえすれば、少々のことには目をつむると言われていた。殺しは許されなかったが、略奪程度なら兵を差し向けることもないというのだ。何が起こっているのか、その頃のハイシュには理解できなかった。


 そうすることで、軍にも見返りがあったというのを知ったのは、自分が頭領になってからだった。


 かつてよりこの近海の海賊は数が多く、また小さな集団が点在していさかいを起こすことの繰り返しだった。その抗争に、民も巻き込まれることもざらにあった。軍としては――というより、ヴォルフラムとしては――父が顔役となり、この一帯の賊徒をまとめれば、面倒事を減らせるという目論見もくろみがあったようだ。実際、その数年後、父の一団に歯向かう賊徒はいなくなり、むやみに民の命が奪われることも減った。


 ただし、軍人と賊徒の繋がりだから、おおやけにすることはできない。自分たちの中でも、知っているのはシフを含めたごく数名のみだ。そのシフは、軍人との繋がりがあること自体を嫌っている。


「結局、我々が出動せねばならぬ。優秀な鍛冶屋も、いなくなったしな。馴染みの者もいたのに」


「そんなことを、俺が知るか」


「何でも知らぬ、知らぬと、気楽な頭領だ。羨ましいよ」


 ヴォルフラムは鼻で嗤い、足元の小枝を拾ってもてあそんでいる。


「俺の子分が、殺された」


「ただの鍛冶屋と金貸しの兵に、三十名殺された子分のことかね?」


「この、狼が」


 我慢ならなかった。手が、腰の剣に伸びかけた。


「抜いてもいいが」


 刺すような殺気が自分に向かってくるのを、ハイシュは感じた。ヴォルフラムからではない。目の前の男は、殺気など発していない。その横で、微動だにしない護衛。そして、眼に見えぬ岩場の陰。他にも、自分が思いもよらぬ場所に、兵がいる。


「あの縄張りがなぜ、おまえたちのものであるのか、思い出せ」


 一段低くなったヴォルフラムの声が、ハイシュの手を止めた。


 やはり、好きになれない。この男は強いが、ハイシュの思う強さとは、別のものだ。この強さで、あらゆるものを呑み込んできたのだろう。


「そんなことを言うために、俺を呼んだのか」


「まあ、そういうことだ。南の方から、伝書があってな。赤の国の異教徒どもと、ひとつ事を構えねばならん。些事さじに構っている暇はない」


「戦か」


 いたが、返事はなかった。ヴォルフラムはあしらうようにハイシュに向かって手を振ると、あっさりと背を向けた。


 この背に、斬りかかってやろうか。これまでに何度も、そう思った。しかし、それができない。斬りかかるには、巨大なものがありすぎる。こんな痩躯そうくの男がなぜ、というほどに、こちらを寄せ付けない覇気のようなものがあった。


「金貸しとも、話をつけておけよ」


「もう、つけた。妙な男がいて、刃傷沙汰にはならなかった」


「ほう、あの街にも、そんな遣手やりてがいるのか」


「よそ者だよ。若い、頭の切れるやつだった。レオン・ムートとかいう」


 立ち去りかけたヴォルフラムが、足を止めた。振り返る。そこで彼が向けてきた眼は、ハイシュがこれまで見たことのない感情をたたえていた。


「ムート?」


「なんだ、知っているのかよ」


 どうでもいいことだと思いながら、く。


 ヴォルフラムはややあって、すぐにまた背を向けた。何かを言おうとして、やめたようでもあった。


「いや」


 聞こえるか聞こえないかという程度の声が返ってきた。


 それだけだった。





(ファルツハイム、ロヒドゥーム  了)

(PART5 に続く)

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