海の男

 地から熱が昇ってくる。十日ぶりの街だった。


 おかに上がると、いつも思う。地面が熱を持っている。土が熱を持っているのだ。その熱は、このところ増すばかりである。火の季節ブレンネになったことを感じさせる熱だ。海でも、この季節は暑いには暑いが、おかの熱気はからだに纏わりついてくるようなのだ。陽は昇ったばかりだが、嫌気の差す気温である。


 熱に交じって、匂いも立ち昇ってくる。土や石の匂い。そして、鉄の匂い。これがおかの匂いだ、とハイシュは思った。海の、船の上では、鉄はまた違った匂いを発する。自分が腰に提げている剣もそうだ。鉄の匂いは、港に入れば一層強くなる。鍛冶屋が並ぶ場所の方は、見ることもしなかった。


 フォルツハイムの港に近い海上に、帆船はんせんを停止させている。港では、人々が遠巻きに自分たちと、そして船を眺めていた。供回りは五十名しか付けていないが、誰も近寄ってはこない。視線だけがこちらに向いていた。その視線も、ハイシュは無視する。


「匂いが濃い。なぜだと思う、シフ」


「あれだよ、兄貴」


 自分のすぐ後ろを歩いていた、弟のシフが一点を指差した。


 港の、桟橋のいくつもかかった、その端。襤褸ぼろの小舟だけが何艘か、打ち棄てられたように浮かんでいる。その影に、隠すようにして屍体したいが積んであった。


「連中を連れてこい」


 命じると、供の者たちが縄をいてくる。縄の先には、男が二人、縛り付けられていた。二人ともうつむいたまま、ハイシュと眼を合わせようとしない。おいと声を掛けると、肩を震わせて顔を上げた。顔は傷だらけで、血がかすになってこびり付いてもいる。そんなふうにしたのは、シフと彼の子分だった。


 ハイシュは屍体したいの前に二人を立たせた。


「顔をよく見ろ」


 男二人の、震える背に向かって、ハイシュは静かに言った。


手前てめえらの子分だ、そうだろう?」


 屍体したいはいくつもあって、どれが誰だかわかったものではない。ただ、この二人には顔の判別ができるはずだった。なにしろ、昨日、ここで乱闘を起こした挙句、自分の部下を屍にしたのが、この二人だからだ。


「勘弁してください、御頭おかしら


 男たちは、からだだけでなく声も震わせていた。


「何が勘弁だ。手前らのようなくずのために命を散らせたこいつらに、そう言うのかよ」


 シフが、二人を背から蹴飛ばした。屍の中に、男たちが頭から突っ込む。びろ、と供の者たちからも声が上がった。二人を引きり上げると、涙と血で汚れた顔面が見えた。


「悪かった。許してくれ」


「そうだ。心からびろ。海の上で死ねなかったこいつらに」


 泣き叫ぶ男たちを部下に任せ、ハイシュは屍体したいの山に背を向ける。


「船に運べ。一人残らず。ひとりひとり、必ず海に還すのだ」


 海の上で生まれ、海の上で死ぬ。死ねば、仲間が海に還してくれる。ハイシュだけでなく、弟も、子分もそう思っている。こんなところで腐っていくのは、海の男として、死ぬことそのものよりもつらいことだった。


 人生のほとんどを、海で生きてきた。


 生まれたのも船の上で、育ったのも海の中である。物心つくころから“小鮫”と呼ばれてきた。父は、“鮫の牙”と言われる、海の賊徒の頭目だったからだ。


 幼いころから、周囲にいるのは全身が日に焼けた、いかつい男ばかりであった。母はどこかのおかの街の娘で、いまはどうしているのか、わからない。ハイシュは、その顔をほとんど覚えていないが、美しいと評判の街娘だったそうだ。弟のシフは、同じ父の血を継いでいるが、母親が違う。


 海で過ごし、海と語らう。街に入るのは、何かを奪うときだけ。言葉で教わったわけではない。自分たちの生き方がそうだというのを、男たちの背から感じ取っただけだ。海で生きているといっても、百人以上が食っていけるだけの漁法を知っているわけではない。奪えないなら、死ぬしかない。だから、生き残るのは強い男だけだ。強い男に、ハイシュはなりたいと思って育ってきた。強ければ何でも奪えるし、仲間も慕ってくれる。


 仲間の数は、父の代から増え続けている。はじめは大型船一艘に全員が収まっていたが、いまでは大型船が二艘、小型船が十艘にもなっていた。その船団を、いまは自分が率いている。父が頭領を降りると言ったとき、自然と、自分がその後を継ぐことになった。


 父は、祖父の代から運輸の仕事を生業にしていたようだが、あるときを境にして、完全にやめてしまった。それからは、奪う生活に変わったのだという。運んではいけないものを運んだからだ、とだけ父は言った。


 その仕事は、いまはもう別の業者がやっているが、働いているのは皆、父の息のかかった者たちである。この近海を航行するときは、いくらかの銭を自分たちに納めることになっていた。そうしてさえいれば、他の賊が船を襲うことはない。灰色の海グラ・ゼーの北は、ハイシュ達の縄張りだった。他のどの賊徒も、街の民も、自分達には逆らわない。


 だから、フォルツハイムで子分が三十名以上死んだ、と聞いたときは、何が起こっているのかまったく見当もつかなかった。生きて帰ってきた者たちにいてみれば、金貸しの雇った私兵団と、工場こうば街の職人たちとの抗争に巻き込まれたという。


 大事な子分が死んだことにも腹が立つ。しかし、そんなところに子分が首を突っ込んでいることに、そもそも怒りを感じていた。理由が分からなかったので、さらに厳しく問い詰めると、借金の返済ができなくなった職人どもの話に乗せられ、用心棒の真似事を買って出たのだという。


 奪うことでなく、くだらない銭のいざこざに片足を突っ込んでいる。縄で縛った男二人は、子分を死なせた挙句、そのからだを街に放って逃げてきた。許すわけにはいかなかった。


 数名の部下が、街から駆け戻ってきた。金貸しの男は仕事場におらず、銭も何もなかったという。ただ、街の者から、坂を上った高台にその金貸し、ガイツ・クラーゲンの屋敷があると聞きだしていた。


 港から街を北上し、高台へと向かう。この街には何度か船を入れたことがある。高台まで行く用事ができたのは、これが初めてだった。いつもなら、浜や港で飲み食いをするか、女を探すだけだ。


 行き交う街の者は、大げさなほどに自分たちを避けて通るか、路地に逃げ込んでいく。鮫だ、というささやき声も聞こえてきたが、声を発した者はすぐに背を向けて走り去った。


 屋敷は、大きなものだった。白い土で固めた塀がそれを取り囲み、門が構えてある。ただ、鉄の門は閉められていて、その向こうに男たちが固まって立っていた。武器を持っているのが、遠目からでも分かる。あれが、ガイツの私兵と言うやつなのだろう。


 部下が、鉄の門に鎖をかける。


「引け」


 ハイシュが言うのと同時に、子分の男たちが一斉に声を上げる。鎖が引かれ、鉄の門と擦り合う。鈍い音で、門が揺れる。四十名を超える海の男たちに引かれ、きしんでいる。


 兵の内側で、私兵たちが声を掛け合っている。表情には恐れと焦りが見えたが、かといって何かを起こそうという気もないらしい。ただ、成り行きを見ているというだけのようだ。


「おい、金貸しの手下ども。手前てめえらの主人の屋敷が、壊されかけているんだ。止めようと言うやつは、いないのか」


 シフが怒鳴り上げるが、その声にもただ怯えているだけである。ハイシュは、その様子を見て落胆した。こんなやつらに、俺の子分が殺されたのか。抜けではないか。


 門と塀を繋いでいた部分が、音を立てて壊れた。鉄の門が鎖に引かれ、土埃を立てて倒れる。


 五十名の部下とともに、屋敷に足を踏み入れた。


「ガイツを出しな」


 シフが言う。いさかいのときは、いつもこうだ。弟が言葉で相手を威嚇し、ハイシュは何も言わない。頭領として、というより、性格である。言葉で何かを伝えるのは、得意でもない。


 見れば、私兵の数は三十もない。委縮しているのは、数で劣っているのがわかったからなのか。武器も携えているが、剣なり槍なりを、ただこちらへ向けているだけに見えた。


 ハイシュの手の合図で、五十名の部下が一斉に剣を抜いた。


「出てこい、ガイツ。無駄に、部下の血を流させたくないだろう」


 これだけ言ってもまだ、私兵たちは動きを見せなかった。ハイシュは、そこにおかしなものを感じ始めた。数で負けているのが分っていて、戦う気も見せていないのに、逃げないのだ。こちらの部下は、いつでも襲い掛かれる。この期に及んで逃げ出すこともせず、武器も向けてこないというのは、どういうつもりなのか。


「待ってくれ」


 私兵の並ぶ向こうから、太った男が出てきた。


「もう、限界だ。欲しいものを、何でも言ってくれ」


「あんたがガイツか」


「そうだよ。見ての通り、しがない金貸しだ」


 脂汗を滲ませた男が、両手を擦り合わせている。これがガイツという男なのだろう。媚びるような笑みを、弟に向けていた。


 ただ、ハイシュの視線は、さらにその後ろへ向いていた。


 二人。ひとりは短い金髪ブロンド、もうひとりは黒髪で、二人とも大きな男だった。ぺらぺらとよく喋るガイツと違い、一言も発さずにただこちらを見ている。用心棒か。ハイシュは、じっくりと爪先から頭まで、二人を観察した。


 ガイツの私兵ではない。それは、はっきりと分かった。毛ほども隙が感じられない。先刻まで騒めいていた男たちとは、根本的に違う人間のように思える。


 黒髪の男と、眼が合った。瞬間、ハイシュの全身に緊張が走った。


「俺たちの子分を、手前てめえの私兵が何十人も殺してくれた。その落とし前を、つけてもらう」


「おい、おい。俺は、工場こうばの職人から、借金を取り立てたかっただけなんだ。あんたらがいるなんて、聞いてなかったよ。知っていたら、手出しさせるはずがない。そうだろう」


「それについては、俺たちにも落ち度があった」


 ハイシュはそこではじめて、口を開いた。シフが一度こちらを窺うように見て、口をつぐむ。ハイシュは黒髪の男から、視線だけは外さないようにした。相手も、じっとこちらを見ている。


 手を挙げると、縄に繋がれた二人の男が、前へ蹴とばされて出てきた。


「こいつらと、その子分が、勝手に職人どもとつるんでいやがった。つまらねえ他人の銭の話に首を突っ込んだ。その落とし前は付けさせてくれ」


 きだされた男たちの横に、剣を持った部下が立つ。ガイツが顔を引きらせた。こちらが何をしようとしているのか、察したのだろう。後ろの方で、私兵どもが小さく悲鳴を上げるのが聞こえる。


 ひざまずいた子分二人の、足元が濡れていた。失禁している。


「けじめだ」


 ハイシュが低い声で言い、剣が振り上げられた。


「待て」


 その剣が、別の声で止められる。ハイシュの視線の先にいた黒髪の男。一歩、前に出てきていた。


「殺すのか」


「そうだ」


 名も知らぬ、若い男。その場にいるほとんどの人間が、訝しげに彼を見つめていた。そして若い男は、それにまったく動じてもいない。海賊が数十名並ぶ中、この男は自分しか見ていない。無視できない、とハイシュの中の声が言っていた。


「なんだ、手前てめえ


「黙れ、シフ」


 弟の肩を掴んで退がらせ、ハイシュも一歩前に出た。


「無駄な血を流させたくない。そう言ったのは、おぬしらだ」


「俺たちにも、守らなけりゃいけない掟ってのがあるのさ、若いの。どこの誰だか知らんが、海の上の掟に口を挟まねえでくれるかな」


「その二人を殺したら、次はどうする?」


 思わず、ハイシュは笑みを零した。この若い男は、何も解っていないわけではない。


「俺たちが落とし前をつけたんだ。次は、手前てめえらだろう」


 金貸しを指差す。ガイツが、息を呑むのが分かった。


 もともと、そのつもりで来た。子分どものやったことにはけじめをつけさせなければならないが、三十人の仲間を殺されたことに、何の報復も無しというわけにいかない。


 奪われた分は、奪い返さなければならないのだ。


 黒髪の男が、さらに一歩前に出てきた。金髪の男が、ガイツを背後に隠す。


「庇いだては、あんたの命を無駄にするだけだ」


「黙って殺させるわけにもいかんのでな」


「なんだ、金か? いや、金で動くような男には見えんな」


「まあ、恩義があると言うだけだ」


 男の声には、落ち着きがあった。


「恩義か。よほど自信があると見える。こっちは、五十人ばかりいるんだぜ」


「悪いが、負けるとも思えぬ」


手前てめえ


 傍にいたシフが、前に出てきていた。すでに剣を抜いている。振り上げた。


 やめろ、とハイシュが言うよりも先に、弟の手から剣が飛んだ。


 黒髪の男が剣を抜いたのが、辛うじてハイシュには見て取れた。シフには、何も解らなかっただろう。手首を押さえ、驚愕の表情で相手を見つめている。


 周囲で、子分たちが色めき立つのが感じ取れた。


「やめろ」


 今度こそ、ハイシュは声を上げた。


「弟が、浅はかな真似をした。こいつの腕では、手前てめえには敵わんな」


 退がっていろ、と言うと、シフは苦い表情のままハイシュの後ろに回った。弟は、腕力でも剣の技でも、他の子分に文句を言わせないほど、強い。いつも子分の先頭に立っているのも、ただハイシュの弟であるというだけで、認められているわけではないのだ。


 そのシフが何もできなかったのを見て、部下たちも沈黙していた。自分の部下だけではない。ガイツも、彼の私兵も、固唾かたずんでいる。金髪の男だけが、何食わぬ顔で立っていた。


「ガイツは、職人から銭を取り返したかっただけだ。おぬしらは、部下が勝手に暴れただけだろう。おぬしらの子分は何十人も死んだというが、ガイツの兵も同じくらい、死んでいるのだ。これ以上、いたずらに死なせる理由は何もない」


 黒髪の男が言うのを、ハイシュは黙って聞いていた。間違っているところはない。頭が切れるのか理屈っぽいのだけが鼻に付くが、言い分には一理あった。


「口の達者なやつだ」


「何とでも言えばいいが、血を見たくないのだ。銭で解決できることなら、この男がいくらでも持っている」


 おい、と小さくガイツが声を上げた。それが自分でも思わず出た声だったのか、慌てて口を塞いでいた。


 ハイシュは、もう一度黒髪の男を見た。敵意はまったく、感じられない。


「いいぜ。手前てめえの腕に免じて、銭で手打ちにしてやろう」


 言った瞬間、シフが抗議するような声を上げたが、ハイシュと視線が合うと、すぐに俯いた。


 ハイシュが手を叩くと、部下が数名で屋敷に入っていった。その後を、ガイツと彼の私兵が慌てて追っていく。


 黒髪と金髪、二人の男だけが、そこに残った。


「おぬしのような話の解かる男が頭領で、よかった」


「黙れ。相手が手前てめえでなきゃ、もうあの男は殺してる。おい、名は何という」


「レオン・ムート」


「俺は、ハイシュ・ミュラ。こいつは、弟のシフ。レオン・ムート。いつかまた会ったら、そのときは俺と、立ち合おう」


「おぬしの剣は、受けたくないな」


 レオンが、そこで初めて表情を崩した。若さが、その刹那せつなだけは垣間見えた気がした。


 その顔に、自分がそれほど嫌悪を感じていないことに、ハイシュはそのときになって気付いた。


 強い男というのは、悪くない。そう思っているからなのかもしれなかった。

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