episode16 フォルツハイム、ロヒドゥーム

フォルツハイムの金貸し

 教える、ということに関しては、スヴェンのほうが上手かった。


 からだというものがどういう造りになっているのかをよく解っている。だから、筋肉がどういうふうに動けば力を出せるのか、あるいは力が入らなくなるのか、おおよそのことを理解しているのだ。徒手での動きも、武器を持っての動きも、この武器の握りはこう、この場合はこうと、スヴェンはよく説明できた。


 新兵を鍛えるために必要だから、と彼は言うが、レオンにはその説明が理解できても、自分が同じように話すのは無理だと思えた。それほど、スヴェンの教え方は上手い。


 灰色の海グラ・ゼー。エルデ大陸の東に大きく広がる――レオンも、地図でしか見たことがなかった――海である。その海岸、フォルツハイムという街。滞留して半月ほどになる。


 ガイツ・クラーゲンという金貸しの屋敷に、レオンらは三人で、客分として留まっていた。


 この街から南下した都市ロヒドゥームに、東海岸で最も大きな規模を誇る青竜軍アルメの城がある。一刻も早くそこへ向かいたかったが、途上で足を止めたのは、いよいよ路銀の無い旅に限界が訪れたからだった。


 身に付けたものはもう汚れきっているし、食うものも無くなった。銭は無論、ない。旅がレオンとスヴェンだけのものなら、それでも困らない。ただ、リオーネはそういうわけにいかない。からだにも、心にも疲労が溜まって抜けない。馬の脚も止まるようになった。そこで、この街に留まって懐と腹を満たす方法を考えることにしたのだ。


 ガイツと知り合えたのは、幸運というほかない。金貸しの彼は、自分の身と資産を守るための私兵団を持っていた。ただ、この私兵の質が良くなかった。街の隅でんでいるような男たちに金と武器だけを与えて組織したような軍団であったし、実際そうだったのだ。レオンらに、この街に留まれと、熱心に誘ったのはガイツ自身だった。彼の私兵団五十名を、二人で相手して全員打ち倒してしまったのが、決め手だったようだ。


 剣の指南役ということで、日当が与えられることになった。寝食の保証も得ることができた。リオーネのことは深く詮索しないということで、レオンの方から条件を出したが、ガイツはそれも快諾した。そもそも人の外見というものに興味が無いようで、彼女の銀の髪や青い瞳を目の当たりにしても、何の反応も示さなかったのだ。ガイツの興味を惹くのは、銭だけのようだった。


 五十名を半分に分け、一日おきにスヴェンと交替しながら、剣などを教えることになった。スヴェンの指導が良いものだということは、始めてすぐに分かった。軍人のやり方で教えているのだろうが、レオンも度々その言葉に耳を傾けることがあるほどだった。


 一方で自分はというと、教えることに向いていないのを痛感しただけだった。言葉でなく、動きの中ですべてを済ませてしまう。言いたいことはあるのだが、上手く言葉にできず、結局、隙のあるところを突く、という形で示してしまうのだ。とくに弱い数名などは、向き合って気をぶつけ合った途端に、怯えて膝を折ってしまう。それは当人の気力の問題だから、レオンもまた言葉では何も言えなくなる。


 呆れながら、レオンはなぜこうなるのかと考えてもいた。父レーヴェンに剣を教わった。それが要因だろうとは思えた。父の剣の教え方も、こうだったのだ。ただ向き合い、心気を研ぎ澄ませて、耐えられなくなったとき、打たれる。その繰り返しだった。まともに打ち込めたことなどない。そして毎度、父は何も言わず自分に背を向けるのだ。それが、自分にとっては苦しいことではなかったが、目の前の男たちには早すぎるのかもしれない。


 かつて、ノルンの林で友と打ち合っていたときは、どうだったか。もう少しうまくやっていたような気はするが、あれは、長い時間を共にした友人だったからできていたことなのかもしれない。マルセルとマルコの顔が浮かぶ。死んだ友のことを思い出すのは、つらいことではなくなっていた。自分の中で生きていると思えばいいのだ。


 死んだ男の顔が、もう一つ思い出された。ベイル・グロース。死んだという噂は、この東海岸にまで流れてきていた。そして、ハイデルの青竜軍アルメが敗れたということも、もう街中では噂になっている。噂といっても、確かなもののようだ。ロヒドゥームの青竜軍アルメが臨戦態勢になっている、というのも聞いた。


 あれほどの豪傑がなぜ、と思った。何が彼を殺したのか、正確なところはわかっていない。死にそうにない男というのがいて、ベイルはそうだと思っていた。しかし、死んだ。未だに信じられない。


 スヴェンが、調練を終えて戻ってきた。屋外の広場を練兵場のように使っている。その端で、レオンは剣を磨きながら、調練の様子を眺めていたのだ。


「若い者で、骨のありそうなやつが少ない。海の町だからかな、からだつきはしっかりとしているが、心根の部分がな」


「うまく教えているじゃないか。俺は、羨ましいくらいだ」


「おまえのやり方は、素人には厳しすぎるのだ、レオン」


 スヴェンは笑って、調練用の剣を置く。


「お父上がどのようにしておまえを鍛えたか、よくわかる。そしておまえが、そのよわいでなぜそれほどに強いのかもな」


「俺も、素人だった」


「だから、死ぬような思いをしてまで鍛えられたのだろう、きっと。ここの連中は、それほどまでに強くなりたがっていない。それから、ガイツのために命を捧げようという気もない」


「まあ、金で雇われた私兵だからな」


「金貸しか。身の危険は多いだろうが」


「敵が多い。教会などから、告発を受けそうになったこともあるらしい」


 しかし、ガイツの暮らしぶりは豊かだった。毎日の食事も、これまでの旅では見たこともないような食材を使ったものばかりだ。商いでも、持っている以上の銭を必要とする者はいるということなのだろう。そういう者たちに金を貸し、より多くの金額を取り立てるというのが、ガイツのやり方だった。私兵は、金を返したがらない相手に差し向けるようだ。


「そろそろ、ここは離れたい」


「そうだな、もう半月になるか」


 もともと、一月ひとつきだけと、ガイツからは頼まれている。スヴェンがそれはできないと言ったので、半月で折り合いをつけたのだ。食事も十分に与えられたし、銭も幾分か手に入った。それでスヴェンは、これ以上ここに留まる義理はないと考えているのだろう。


 レオンは、ガイツには恩義を感じていた。剣の腕くらいしか持っているものがなかった自分たちを雇ってくれた。もし出会えなければ、今頃はまだ食うものも得られていなかったかもしれないのだ。


 二人で、水場で汗を流してから、屋敷の外に備え付けられた階段を上っていく。屋根の上までその階段は続いている。平坦な屋根だった。海に沿ったこの街の、ほとんどがこういう屋根の造りをしている。ノルンなどでは、見たこともない形の家ばかりだ。遠くまで来たものだ、とそれらを見るたびに、レオンは感慨を覚えるのだった。


 屋根の上に、リオーネがいた。膝を抱えて、海を眺めている。風に吹かれた髪は、ここでの生活で輝きを取り戻したようだった。振り返り、レオンらが現れたのを見て、明るい表情を見せる。


「また海か」


 言いながら、レオンも立ったまま海を眺めた。隣で、スヴェンが腕を大きく伸ばしている。


 どこまでも、水が続いていた。


 眼下に、フォルツハイムの街の、平坦な屋根が続いている。それが唐突に途切れて、そこからはもう、灰色の海だった。海というのは青いものなのだと、書物などには書いてあったが、実際には“灰色の海グラ・ゼー”の名の通りの色をしている。


 船を寄せられるような場所は、街の南にある。この辺りの陸地の端は、崖や岩場になっている。海の水が、岩場に打ち付けられる音は、この屋根の上にまで届くほどだった。同じくらいの間隔で、からだの芯に響いてくるような、それでいて心地よい音が聞こえる。


 灰色の水面に白い紋様が描かれるように、波が立っている。それを見るのが、リオーネは気に入ったようだった。半月の間、日中はほとんどこうしている。天気の良い日などは、陽の光が海と、彼女の髪を照らす。青い瞳が眩しさに揺れる。絵画に描かれる幻想のようだと、思ったこともあった。


「もう、ここを出ようと思っているのだがな。この眺めは、正直、名残惜しい」


「私もです、兄上。海というのが、こんなに」


 言葉の続きを、リオーネは言えないでいるようだった。名状し難いものがあるのだろう。彼女が、ずっと見たがっていた海なのだ。レオンですら、この風景と音には圧倒されている。


「俺は、早くここを出たいよ。ロヒドゥームまでは、たしか、二日足らずで行けるというではないか」


「スヴェンは、この景色が気に入らんようだ、リオーネ」


「そうなのですか。私は、好きなのですが。ほら。いまも、鳥が海の上を飛んでいたり。スヴェンは、楽しくはなかったのですね」


「おいよせ、レオン。俺は、別にここが気に入らんわけではない」


 スヴェンがまともに返事をするので、レオンは声を上げて笑った。リオーネも、口元を覆っている。


「まったく、軽口の多い兄妹だな」


「おまえが気に入らんのは、ガイツだろう、スヴェン」


「まあ、そういうことだ。俺は、ああいうやつは好かん。銭のことばかり考えているような男だし。世話にはなったが」


 ただ、恩があるので、調練などは熱心にする。先刻までの様子を見ていても、手を抜いているという印象は受けなかった。それも、この男の性格なのだろう。


「俺たちは、むしろ助かったよ。妹のことも、かずにおいてくれたし」


「それはな、レオン。やつがまともでない証左だぞ」


「しかし、いますぐロヒドゥームに行くことには、危険もあるぞ、スヴェン」


 ザラ平原で九万以上の青竜軍アルメを打ち破った敵軍は、数を減らしながらも北上を続けている。一方、陥落したこれまでの駐屯地を拠点にしながら、別の経路で海岸沿いに攻撃もあるらしい。ただ、ロヒドゥームの青竜軍アルメが強力で、すべて鎮圧されているとも聞いていた。


「どういう形でもいい。また、戦いたいのだ。軍人として、このまま街と民が蹂躙されるのを、見てはおれん」


 事情は、変わってきている。マルバルク城を奪還するという使命を掲げていたスヴェンも、最早それどころではないと考えを変え始めたようだ。レオンとしても、この状況には危惧を感じている。敗れたハイデルから、僅か一日足らずのところに、自分の領地と街があるのだ。


 この街の教会に足を運んだが、書物のような資料はほとんどない、粗末な所だった。位の高い神官もいる様子はなく、かつて訪れたウォルべハーゲン修道院などと較べると、手入れなども行き届いていない感じがした。


 何より気になったのは、伝説や伝承の類について尋ねると、神官や修道士たちが、皆一様に口籠くちごもったことだ。それでも食い下がると、誰でも知っているような説教をする。知識が足りないというより、あえて触れないようにしているような印象すら受けた。当然、リオーネに関することなど、けていない。


 スヴェンがロヒドゥームに行くのだとしても、自分たちはどうするか。ガイツらこの街の者に聞くところでは、学問のことならば、さらに北にあるリントアウゲンというところへ行くのがよいという。もしくは神都ブラウブルクであるが、赤の国が迫る中、まさか近付くわけにもいかない。


 ここでスヴェンと別れるのも、仕方のないことだろう。しかしそう考えたとき、レオンの頭をよぎるのは、あの黒い怪物、フィストのことだ。


 ウォルベハーゲンで一頭――人に変化へんげしたと思えば、一人と言うのが正しいのかもしれないが――を斬って以来、リオーネが獣の声を聞くことはなくなっている。


 彼女の傍に自分がいることが判ってそうなっているのか、別の要因があるのか、理由は知れない。いつ現れるか分からない。もし、また相見あいまみえることになったとき、スヴェンのような優れた剣士が一人いるのといないのとでは、大きな差がある。


 迷っていた。元はと言えば、二人で始めた旅だ。しかしスヴェン・ベンゲルという男は、自分にとっても、妹にとっても、いざ別れるとなると大きすぎる存在だった。


「とにかく、明日にはガイツに話を持ちかけよう、レオン。それから、今後のことを考えてもいい」


 黙り込んだレオンに、スヴェンが明るい調子で言った。わざとだろう。こういうところが、尚のこと決断を鈍らせるのだ。


 苦笑するレオンを、リオーネも見上げていた。彼女の剣の稽古も、最近はスヴェンが見ることが増えた。無論、レオンが相手にはなるのだが、ほんとうに基本の動きについては、スヴェンの注釈がる、といった調子なのだ。旅の中で、これまで何度もリオーネの剣の相手をしてきたが、最初にこういう指導こそが必要だったのかもしれない、と思わされた。


 翌日、ガイツの下に、スヴェンと二人で向かった。


 彼の仕事場は、レオンらが与えられた宿舎とは離れていて、街の中心に近いところにあった。海を見下ろすような位置にある宿舎から坂を下り、街の中へ出る。行き交う人々の顔は、さすがに半月もいれば、知ったものも増える。


 街は小さいが、それ以上に活気がなかった。海賊のせいだ、と出会ったころにガイツは言っていた。海賊が、ふとしたときにやってきて、略奪を働く。とくに、ロヒドゥームの青竜軍アルメが赤の国の敵軍に力を割くようになってからは、ひどいものだという。自警団が組織され、軍を退役した者がロヒドゥームから派遣されてきて指導などもしているようだが、効果は薄いらしい。


「この街はしょうがないのさ」


 ガイツが皮肉っぽく笑った。なにか帳面のようなものをめくっていたが、その手を止めてレオンとスヴェンを見る。でっぷりと太った中年の男だが、眼つきだけは鋭い。


 彼の仕事場だった。棚という棚に、同じような帳面が詰め込まれたように並んでいる。下働きのような男たちが、時折、部屋に出たり入ったりする。レオンらが普段、稽古の相手をしている男たちが、建物の出入り口や、部屋の隅にも立っていた。


「海賊がやってきても、軍は出動しねえしな。俺が、あんたらに金を払ってでも私兵を鍛えたいと言ったのは、そういうことなんだよ」


「軍が出動しないというのは。やはり、戦であるから」


「違うね。戦が起こるずっと前から、そうさ」


 スヴェンの問いに、ガイツは手を振った。


「このフォルツハイムだけじゃねえ。海の近くにある街は、大抵同じような目に遭ってる。軍が出てくるのは、本当にひどいときだけで、小さな略奪くらいなら、ここまで軍が出張ってくることはないんだよ」


「自警団も、それほど役には立っていなさそうだな」


「ああ、殺しはほとんどないからな。街のやつらも、抵抗さえしなけりゃ命をられることはないって、思ってるんじゃねえかな。食うもの、それから女。やつらがっていくのは、一番に、それだ」


「妙な話だ」


「やつら、狡賢ずるがしこいんだよ。やり過ぎれば、“海の狼”が来るって、解ってるからな」


 この話はここまでだ、というふうに、ガイツがまた手を振る。


「それで、出て行くって話だな」


「世話になった」


 レオンが言うと、彼はにやりとした。


「惜しい。ほんとうだぜ」


「兵たちには、できるだけのことは教えた。多少、苦しかったかもしれんが」


「いいさ。あんたらがいなくなって、すぐに忘れられるようなものじゃ、金を払った意味がないからな。いつここを発つ?」


「明日。半月になる」


「なら、明日までは俺が雇主ということだな」


 ガイツの言い方に、レオンは気になるものがあった。スヴェンも、隣で眉をひそめている。


「今日の日暮れに、ひとつ取引がある。そいつがうまくいくよう、あんたらに同行してほしい。最後の頼みだ」


「待て、ガイツ。俺たちの仕事は、指南役だったはずだ」


「そうさ。だから、同行と言ったろう。実際は、私兵団を向かわせるし、何かあっても、あんたらは剣を抜かなくていい。鍛えてもらった私兵が、一人前に強くなっているかどうか、それを見てほしいだけだ」


「剣を抜くような相手なのか?」


 話の方向が怪しくなり、スヴェンも口を挟んできた。ガイツは、鋭い眼をさらに細め、笑みをさらに深くした。


「貸した金を返さない。だから、取り立てる。それだけのことだ」


 レオンとスヴェンは、顔を見合わせた。

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