正義

 戦の分析は、端的に行われた。


 軍議の間に集まっているのは指揮官コマンダントファルク・メルケル、大隊長らがギルベルトを含め半数、そしてレーヴェン・ムートと数人の小隊長、文官。主要な者はすべて顔が揃っていた。


 討った敵、討たれた味方の数。た馬や武器。砦の損害。ギルベルトが想像していたのと、ほとんど変わらない戦果が生まれていた。六万ほどの大軍を相手に被害を受けたのは、最も苛烈な攻撃にさらされた序盤だけで、あとはこちらの一方的ともいえる勝利を手にしている。


 いま、敵はかなり遠方まで後退していて、もはや“青の壁ブラウ・ヴァント”からは、大軍の撒き上げる砂塵すら見えなくなっていた。だから報告すべきことも、すぐに終わる。


 問題となったのは、やはり北の戦況だった。北と言っても国土のほぼ中央である。その中央で、一匹の赤い獣が暴れ回っている。そういう印象だった。現状、入ってくる情報は、ほとんどすべて青竜軍アルメが敗北、撤退しているというものだ。


 ただ、この“青の壁ブラウ・ヴァント”に揃っている精鋭と比べれば、南部にも質の悪い部隊はある。北が弱く南が強いと言われる青竜軍アルメにも、当然だが差はあるのだ。壊滅の報告が入ってくる城や駐屯地は、まさにそういう弱いところを突かれた、と思えた。


 大隊長オフィツィアたちがざわめいたのは、ハイデル軍が指揮官をうしない、街まで撤退せざるを得なかった、というところだ。南部で随一の強力な軍。皆がそう考えていたからだ。“大熊”と呼ばれるベイル・グロースは北部の異民族討伐戦――いわゆる、北伐――で名を挙げてから、誰からもその手腕を疑われることのなかった男なのだ。


 副官の大隊長オフィツィアディック・コップフと小隊長カピタンアルサス・シュヴァルツは生き残り、いま軍の立て直しを図っているらしい。その配下にいる兵士も、悪くないと聞いている。


 ただ、毒刃にたおれし。それを聞いた城の兵士たちは、皆俯いて沈黙した。


 レーヴェン・ムートは卓上の地図に視線を落としていたが、実のところ何を見ているのかは、わからない。表情も動かなかった。たしかこの男とベイル・グロースは、かねてからの友であったはずだ。


「早急に、北に向かわねばならなくなった」


 ファルクは淡々と言葉を紡ぐ。地図を指でなぞっている。


「ポルト奪回のために呼び寄せた援軍七万であったが。これでは叶わぬ」


 独り言。居並ぶ隊長たちは、それが分かってただ耳を傾けている。


「ヨハン殿も行方知れず。かつての英雄も、もう御歳か。ただの五日しか持たぬとは」


 ギルベルトは、隣から猛烈な怒気を感じた。レーヴェン。相変わらず表情は変わらないが、全身にみなぎっているのは、明らかな怒りである。ファルクはそれに気付いているのかいないのか、さらりと状況の整理だけを行っている、という感じだった。


まずいのは、ここから北面への糧道が断たれることです」


 大隊長オフィツィアエルゼンが、一段落ついたところで割って入った。


「ポルトは致し方ありませんが、ハイデルの弱体化は。この砦への糧食をまかなっている集落の護り手が、足りなくなります」


 ポルトをとされて以降、新たに構築した糧道のことを、彼は言っているらしかった。海路を封鎖された形になっている現在、この“青の壁ブラウ・ヴァント”への補給は、すべて陸路を使っている。ちょうど、ハイデルとの間に点在する領地の集落から、街道を使い納めさせているのだ。


 ここも潰されれば、ここから北への出陣もまた、難しくなる。ギルベルトも、そこはよくわかった。砦のあらゆることが頭に入っているエルゼンなら、猶のことだろう。


 ファルクは何事かをほんの小さな声で呟き、地図を見つめ続けている。


「ただひとつ、有りうるとすれば」


 その白い指は、ポルトを押さえる。


「ここが手薄になっている、ということだ」


 たしかに、四万を超える兵力を北上させているとあっては、さすがにこの港町まで、かつてのように堅固に守ることはできていないだろう。


「獲るか」


「待て。さすがに、すぐにというわけにはいかん」


 エルゼンが、思わず出たギルベルトの言葉を制する。


「この戦で、砦はかなり、やられている。兵力までポルトに割けば、また敵の侵攻を招きかねん。その兵も、疲労してはいるのだぞ。損害もないわけではない」


「しかし、好機だ」


「本末を見失ってはならん、ギルベルト。もともと、それができぬから、都からの増援を要請したのではないか」


「ポルトに偵察を送れ」


 ファルクが、不意に言った。


「かの街に残存する兵が、二万を下回るようなら、獲りにいく。二万を超えるなら、ここは無視し、われらは軍を北に上げる。察知されるようにな。そうなれば、どのみちあの港町から軍を引きずり出せる」


 エルゼンが額を押さえた。


「引きずり出すのは、ともかく。ほんとうに、とせるとお思いで?」


とすしかない。こうなってはな」


 あの断崖に囲まれた街に籠られるより、野戦に出てこられるほうが余程いい。いずれの選択をしても、糧道の確保の問題は解決する。ポルトを奪還できれば敵の増援は完全に停止させられる。戦えばいい。ギルベルトは単純に、そう思った。


 兵の疲労は色濃い。そんなことは、誰に言われなくとも分かりきっていることだ。しかしどこかで強行的に軍を動かさねば、国自体の存在が揺らぐ。都に敵が迫るというのは、そういうことなのだ。


「しかし、そうなればまた、南よりの敵軍が気になりますな」


 年長の大隊長オフィツィア、ルッツが顎を擦る。


屍体したいを使え」


 すぐさまファルクが言ったことに、はじめ誰も反応できなかった。


「何人討った、ギルベルト?」


「総数、五千ほどかと」


 幾分か遅れて、ギルベルトも返答する。生きた捕虜を含めれば、もう少し増える。


「その五千の鎧をげ」


 それは、という声が誰からか上がった。


 ファルクの口調に澱みはない。


かぶとと鎧を使い、壁上にさらせ。それを動かし、兵のように見せかけるのだ」


しかばねは」


 大隊長オフィツィアの誰かの声。かずにおけばいいものを、とギルベルトは内心でわらう。


「交易をしている者に銭を握らせろ。代わりに、ここを通る税は徴収するな。オルカン周辺で商いをしている者にも、同じように。銭で駄目なら、銀を持たせてもいい。塩でも構わん。屍を運ばせ、あの街の壁をくぐらせる」


 それで、ファルクの言わんとしていることを察した者が数名、顔色を変えた。誰かの呻く声が聞こえる。


 屍体したいをも、この男は使おうとしている。


 火の季節ブレンネに差し掛かり、この国境地帯の気温はますます高くなっている。荒野に散乱した敵の屍体したいは、すみやかに土へ埋めるしかない。そうしなければどうなるか、軍人でなくても分かることだ。


 オルカンの街。敵国の、戦場に最も近い街。堅牢な城郭都市である。ただしそれは、外から武器をもって攻められた場合に、ということである。


 疫病にはどうか。効果はある、とギルベルトは思った。


 ファルクの神経は、疑わない。それで南からの大軍の襲来を抑制できるのなら、それでいいと言うのだろう。ギルベルトは、眼だけを動かして周囲を窺った。顔色一つ変えなかった者。変えたが、すぐにつくろった者。未だに表情を歪めている者。様々あるが、理解の及んでいない者は、一人もいない。レーヴェンのほうは、見なかった。


おそれながら、ファルク殿」


 隊長が一名、震える手を挙げた。ファルクは発言を咎めない。


「正義に、もとります」


 ギルベルトは、思わず口笛を吹いていた。そう言った隊長の勇気に、である。隊長の発言よりも、そちらのほうが気に入らなかったのか、年嵩の大隊長オフィツィアらがギルベルトを見て眉をひそめている。


「正義か」


 若き指揮官コマンダントは、口の端を僅かに吊り上げた。


「正義とは何だ。ブラウブルクち、この国がほろんでも、それは有り続けるものか?」


 誰も、何も言わなかった。


「正義など、国が変われば、変わる。そのようなことを論じているうちに、わが都を踏み荒らされるわけにはいかぬ。われら軍人は、国あってのものだ。正義だ誇りだと言うのは、国を守った軍人だけが口にできることではないのか」


「しかし、青き竜は」


「神の思し召しではないと言って国をほろぼすのなら、私は神には従わぬ」


 はじめて、ファルクの語気が強くなった。何名かが、それに息を呑むのがわかった。しかし、それだけだった。発言をとがめる者はない。ギルベルトなどは、悪いとも思わなかった。他の者がどう思っているのかというのも、気にならない。これが、自分の選んだファルクという男だった。よわい三十を前にして一城の主となり、国境の最前線を守っているのだ。


 レーヴェンの怒気が、かたわらでじわりと膨らんでいるのを感じた。それでどうするということではないが、煮え切らない。そんなところだろう。仁義というものに縛られたこの男には、まず許容できそうにない策だった。ただ、いまの彼は、ひとりの私兵団長である。黙っているのが、せめてもの抵抗だろうと思えた。


一月ひとつきだ。一月ひとつきを目途に、すべての準備を済ませる。それができなければ、二月ふたつきのち、ブラウブルクは敵に包囲されていると思え。われらがここに付けた竜紋は、そのときただの紋様に成り果てるぞ」


 それを最後に、反対する者は出なかった。


 ポルトへの偵察を明日の明朝に出す。それを受けて、今後の方針を数日後には決定する。城壁の仕掛けにも取り掛かる。屍体したいの回収は五日を目途に終わらせる。商人や運輸に携わる者たちの買収に費やす銭はいくらか。そういったことが、大まかに決められていく。ギルベルトが任されたのは、以前と同じく敵国の街にしかばねを送り込む、その部隊の選出だった。いやな役だとは、思わないことにした。


 細々こまごまとした打ち合わせに話が移っていく。そのころになってレーヴェンが、かぶりを振って軍議の間から出ていった。ギルベルトは、後を追う。


 男は、自分を追うギルベルトに気付き、足を止めた。


「歩きながら話そう、“雪の獅子”殿」


「おまえ」


 溜息混じりに苦い笑みを浮かべると、レーヴェンはゆっくりと歩を進める。


 物見の塔へと続く回廊で、足を止めた。先刻まで戦場だった荒野を見下ろせる。屍は、まだ野に散っていた。数十名の兵たちが、それを運搬するべく荷車を出している。


 砂混じりの風を、二人で受けた。


「残念だ、“大熊”のことは」


「知っているのか」


「名だけは。おぬしは、友であったとか」


 レーヴェンは、微かに頷いた。何か言葉を待ったが、出てこないのだろう、風だけが流れていく。


「死んだ者を、忘れない。生きている者にできるのは、それだけだ」


 彼の眼は、荒野の向こうを見つめている。おのれに言い聞かせるような口調だった。表情は、軍議のときにみたものから、変わらない。


 気持ちは、理解することならできる。ただ、共感はできない。ギルベルトは、そう思った。友は、その者だけの友であって、自分には見えない繋がりがある。不要な言葉をかけることはしなかった。


 レーヴェンも、何か言うわけではなく、遠くを見つめたままだった。


「北だな、とにかく」


 ぽつりと彼の口から出たのは、それだけだった。


「そうだ。北だな。戦は、まだ続くのだから」


「それで、死んだ者の鎧と、屍か」


「納得できぬという顔だな。誇り高き青竜軍アルメだった男には」


 レーヴェンの表情は硬いままだった。


屍体したいを使った策は、珍しくない。ただ、あのよわいで、あれだけのことを言ってのける。そこに危うさも感じる。それだけだ」


「そういう男だ、あれは」


 ギルベルトは、ファルクと出会ったころのことを思い出していた。


 都だった。北伐が完了し、北での傭兵稼業に見切りをつけようとしていた。そのころから、ともに仕事をしている子分が百名ほどいた。彼らを食わせるためにも、戦が必要だったのだ。自分もそうだが、剣の腕以外、何も持たない男たちだ。


 青の国は太平と言われるが、仕事は、探せば無いわけではない。海賊とのいさかいの止まない東海岸や、小競り合いの頻発する国境付近、賊の跋扈ばっこする田舎など、稼げる場所はいくらでもあった。ただ都ブラウブルクの近辺に、それらは無かった。


 軍の大物が都を出る、という噂が立っていたのは、ちょうどそのころである。左遷させんであるとか、はたまた栄転のための人事であるとか、憶測だけは飛んでいた。同時に、“青の壁ブラウ・ヴァント”に戦のできる者を集めようとしている、という話も聞いた。しかも、出自を問わないという。ギルベルトは、その話に乗った。


 引き合わされた軍人は、何が大物か、と言いたくなるような若者であった。肌は白く、傷のひとつもない。名家の御曹司か何か。ギルベルトはそう断じた。ただ、眼光だけが異様に鋭かったのは、憶えている。


 話してみると、これが面白かった。理想を語らない。夢も語らない。自分の出自を誇るようなところもない。ギルベルトに出来ることと、戦の経歴だけをいてきた。現状と、すべきこと、必要な人材のことだけを話し、他は何も話さなかった。翌日には再び呼ばれ、ただ子分もろともついて来い、とだけ言われたのだ。それでも、自分でも意外なほど、反感は覚えなかった。


「名家で生まれた。それだけが、勿体もったいないな。ああいう男は、何も背負わず戦だけしているのがいい」


勿体もったいない、か」


「誇りだとか、名誉だとか、そういうもののために命を張れる男がいるというのも、わかる。しかしそれが向かない男がいるというのも、俺は知ってる」


「ファルク殿は、そうでないと?」


「さてね。“雪の獅子”はどうかな」


 レーヴェンは何も答えず、黙って風に吹かれている。陽が落ちはじめ、荒野を照らす赤色が濃くなってきていた。


 かがりが、焚かれはじめた。警戒は解かれておらず、城壁の上から回廊まで、巡回の兵が今朝までと同じように歩いている。レーヴェンは部下の兵たちのところへ戻ると言い姿を消した。


 ギルベルトは、薄暗がりが回廊を包むころまで、そこにいた。荒野の向こうに、昨夜まで見えていた明かりはない。代わりに見えるのは、青竜軍アルメの兵士が忙しなく動かす松明の灯だった。暫し、それを眺める。


 戦の行方を、少しだけ考えた。ポルトの奪回を目論んで二月ふたつきが経つ。状況を考えれば、現在いまが最も攻撃には適しているのかもしれない。ただギルベルトは、ポルトを無視し、“青の道ブラウ・シュトラーセ”を北上する案のほうが有効に思えた。街を攻めるよりも野戦の方がいい。ハイデル軍と合流するというのも、考えられた。


 都の壁は高く、厚い。しかし、九万の兵を破った精鋭がいま、そこに近づいている。


 早く、北に行きたいと思った。それは心配というよりも、たぎるもののせいだ。レーヴェンも同じことを思っているだろうが、彼を突き動かすのは使命感というものだろう。


 ギルベルトを突き動かすのは、ただ剣を振るうことへの渇望だった。

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