episode15 死んだ者を、忘れない

獅子が戻った戦場

 一度も軍を止めなかった。


青の壁ブラウ・ヴァント”を進発し、戦場を東から迂回した。草地のほとんどない道で、馬の蹄が砂利を次々跳ね上げている。


 敵は南北に二段、東西に三段。方陣に近い形を取っている。ギルベルトが率いているのは、砦の騎馬隊でも最速の部隊で、半日あれば敵陣の最後方まで回り込める。ただ敵は東西に広く警戒を敷いている。こちらの動きを察知する間を与えないための、疾駆だった。


 指揮官コマンダントファルクが、ようやく出撃命令を出した。国境での開戦から、実に十日以上経過していた。


 引きつけるというより、もはや敵を乗せに乗せている、という印象だった。負けそうで負けない戦を、大隊長たちが各地で繰り返した。意図して行っているからいいものの、将校も兵も神経をかなり擦り減らしている。


 敵は、殿軍に残した一万を除いて、すべて前面に出てきていた。壁に向かって殺到してくる五万超の圧力は、さすがに大きい。しかしファルクは誰に何を言われても、ギルベルトにとどめの出撃命令を出しはしなかった。


 行け、と言われたのは、ついに砦の二枚の門が破壊されそうになったときだ。破城槌がこの十日で、最も大きな音を轟かせている中、ギルベルトは五千の騎馬隊を率いて砦を出た。昼間だった。敵は、もう開城を確信しているだろう。


 隣を、レーヴェン・ムートがけていた。


 五千の中の一千を預ける。決めたのはギルベルトだ。大隊長の内からも、反論は出なかった。断ろうとしたのはレーヴェン本人だけだった。それを頷かせたのも、ギルベルトである。この男には一千を率いる十分な能力がある。その気になれば、一万の軍でも動かせる。皆が共通してそれを認めていた。


 ファルクはただやってみよ、と言っただけで、他は何も言わなかった。


 断崖を抜けた。眼下には、展開した敵の一万。密集するでもなく、方向を定めて防御の陣を布くでもない、中途半端な展開の仕方だった。


 一気に崖の細道を下った。急峻な坂道ではあるが、こんな道でも駈けられるよう、調練は欠かしていない。怖さはない。馬たちも怯むことなく駈ける。


 中腹まで差し掛かったところで、敵がようやく動き始める。馬止めの柵を出し始めた。騎馬隊での奇襲というのは、一応は頭にあったのかもしれない。


 ギルベルトは、剣を振って合図を出した。崖を降り切った瞬間、五千が流れるように五つに分かれる。


 両翼に展開した騎馬隊一千ずつが、矢の攻撃を受けていた。受けながら、一千がさらに二つに分かれる。前段と後段に分かれたようになった。後ろの二列目の部隊が、けながら縄を投げる。それが柵にかかるのを見ると、敵は慌ててそちらに矢を向けた。


 あっという間に、柵が引き倒された。砂煙を上げながら、最初の騎馬隊が戦場を離脱していく。ギルベルトとレーヴェンの部隊は、砂煙の中に突っ込んだ。


 まず、ギルベルトが砂煙を抜けた。敵の中に突撃する。砂塵の幕から突然の攻撃を受けた敵は、慌てている。すぐに、敵の一万が半分に割れた。突っ切ったところで、ギルベルトは一千を反転させた。残っている二千が、左右から遅れて攻撃をかけている。西側の五千が堅いようだが、味方がそれを二度の突撃で断ち割っていた。飛び出してきたのは、レーヴェンの隊である。


「やるな」


 思わず、ギルベルトは馬上で笑みをこぼした。とくに、先陣を切る最前の兵たち。その気迫が凄まじい。あれが、レーヴェンの麾下きかなのだろう。


 負けてはおれぬ。ギルベルトはすぐに馬腹を蹴った。青の騎兵キャバリエと言われるこの五千の騎馬隊も、鍛えに鍛えているのだ。


 分断された敵に、さらに攻撃を仕掛ける。さらに、柵を破壊した二千も戻ってきて、別の方角から突っこんできていた。敵が潰走を始める。二千に追い討たせた。三千は、すぐに集結させる。


「俺たちだけで先行し、壁に取り付いている敵を襲う」


「それがいい。南方人ズートどもは、いま血眼になって“青の壁ブラウ・ヴァント”に取り付いているからな」


「よし、決まりだ。もう足にきているのなら、離脱してもいいぞ、レーヴェン」


「好きに言っていろ」


 顔面に付いた砂を拭い、レーヴェンが余裕の表情を見せた。


「わけもないな」


「だから言ったではないか、レーヴェン。北で暴れている敵軍の方が、絶対的に精鋭なのだ」


「そうではない。この騎兵たちは、実に鍛えられている。前を駈けていると、よくわかる。現在いま青竜軍アルメも、捨てたものではない」


「年寄りじみた言い方だ。隣を駈けているのが、堪らなくなるな」


 ギルベルトは、そこで話を打ち切った。かつての青竜軍アルメがどうであった、などという話は、聞きたくない。自分は傭兵であったし、いまも青竜軍アルメに魂まで捧げたつもりはない。


 北上する。荒野を遮る敵はいない。すぐに、敵の本隊が巻き上げる砂塵が見えてきた。


 最初に気付いたのは、最後方にいた騎兵の一団だった。鐘を鳴らし、周囲にこちらの接近を知らせている。構わず、勢いそのままに突進した。


 馬群を後ろから襲う形になった。こうなると、歩兵よりも討つのが容易たやすくなる。突くのではなく、ギルベルトは剣を横に遣いながらけた。次々に、馬上から敵を叩き落とす。落ちた敵は、馬の蹄に掛けられるか、槍で貫かれた。


 敵は、抵抗もそこそこに背中を向けて逃げはじめる。それが、速い。逃げているのではなく、部隊を丸ごと走らせ、こちらの迎撃に回すつもりのようだ。最後尾では、時間を稼ぐかのように、敵の騎兵が細切れに攻撃を仕掛けてくる。


 このまま突っ切ると、背後に回られる。ギルベルトは、すぐにそれを察した。すでに敵の騎馬隊の先頭が、こちらの側面に向きを変え始めている。


 剣を振るう。また、三千が一千ずつに分かれた。中央のギルベルトの隊が速度を落としている間に、側面から二千が剥がれていくように分離する。ギルベルトの隊は密集し、一丸になった。


 こちらの背後に回ろうとしていた敵が、一千ずつの迎撃を受けている。中央が速度を急激に落としたのにつられ、勢いを削がれたようだった。


 馬の腹を締め上げ、一気に速力を上げる。側面を二千に任せ、さらにギルベルトは前方へと部隊を走らせた。“青の壁ブラウ・ヴァント”の城壁が見える。壁に取り付いていた敵が、動きを鈍らせているのが、こちらからでも感じ取れる。


 三万を超える歩兵。迷わなかった。こちらに槍を向けてくる敵の中へと、ギルベルトは躍り込んだ。槍を折るか、飛ばすことに集中すれば、馬から突き落とされることはない。自分が槍を折れば、後ろの味方がその敵を倒してくれる。一対一の闘いではないのだ。


 敵の騎馬隊の相手をしていた四千騎が、追いついてくるのが見える。青い獅子の旗が見えた。レーヴェン。ギルベルト同様、迷うことなく歩兵の壁に突っ込んでいく。旗は、敵陣の中で勢いを落とすことなく動き回る。


 ギルベルトも一度方向を変え、歩兵の中から抜け出した。何度も、それを繰り返す。息が上がってきた。馬の限界も近づいている。ただ、止まることだけはできない。止まれば、無数の槍に貫かれる。数では敵いようもないのだ。


 大きな敵。それを体内からこわしていくように、騎馬でひたすらにけ巡る。


 敵が、揺らいだ。数万の赤い歩兵が、波打つように動揺している。青い旗が増えた。


 ルッツの隊。そして、バルドゥールの隊。ここまで側面で攻撃を仕掛け続けてきた二隊が、思わぬ方面から現れていた。しかしこれも、打ち合わせたとおりの動きだ。実は、側面攻撃には一昨日の時点で切りをつけている。二隊は、森と崖を利用しながら、夜間にこの砦付近まで戻っていたのだ。


 矢。“青の壁ブラウ・ヴァント”の城壁の上から、猛烈な矢が飛んでいる。消耗しきらぬように、ぎりぎりのところまで残していた矢である。雨のように降る矢に、ギルベルトは鬱憤が晴れていくような気持になった。からだに、力が戻ってくる。


 轟音。ギルベルトのすぐ脇を、青い旗が通り抜けていった。獅子の旗。レーヴェンの隊。ここに来て、さらに気迫を漲らせているようにさえ見える。駈け抜けていった跡に、敵の屍体したいが無数に転がっている。ひとつの生きものが、獲物をい荒らしていったような様だった。


 ギルベルトは、自分の肌に粟が生じるのを感じた。同じほど戦っているからこそ、わからない。今の自分の隊に、あれほどの動きをさせられるだろうか。


 城門が開いた。そんな叫びが聞こえた。直後に敵、という声も聞こえてくる。


青の壁ブラウ・ヴァント”の門が、開いていた。こじ開けられたのではない。内側から開けたのだ。そこから、歩兵が駆けだしてくる。これが、最後の攻撃だった。いままで戦場に出さず、城壁で耐えに耐えさせていた歩兵たち。雄叫びを上げて敵にぶつかっていく。


 明らかに算を乱した敵兵が、撤退を始めた。


「追い討てっ」


 ギルベルトは叫んだ。各隊の指揮官が、同じように叫んでいる。数刻、追い討ちに討った。


 荒野から砂塵が消えた頃には、屍体したいが積み重なって地を埋め尽くしていた。


 角笛ホルンの音。聞こえてきた。兵たちが刹那、それに耳を澄ませる。


 勝鬨があがった。自分の隊だけではない。残っている、青い旗を掲げた部隊すべてから鬨が上がると、それは荒野に響き渡った。


 レーヴェンが、馬を寄せてきた。鎧が血に塗れているが、表情は明るい。


「殊勲ものだな、レーヴェン。とんでもない勢いだった。あの突撃には、思わず鳥肌が立ったぞ」


 からかい半分で言ったつもりだが、もう半分は本気だった。


「殊勲というなら、城壁で戦い続けた兵たちに、まず与えられるべきだな。最後の一押しになったのも、弓兵と歩兵であったし」


「謙遜するな」


「ほとんどは借りた兵だ。しかも、練度の高い兵を」


「その言い方が、またいい。俺は、あんたを認めるよ」


「まだ認めていなかったのか、若造」


青の壁ブラウ・ヴァント”から数騎、各方面に騎兵が走っていった。ギルベルトらの下にも、二騎駈けてくる。帰投せよ、というファルクからの伝令らしい。討伐と損害数の報告が終わると、ギルベルトは軍を引き上げさせた。


 開いた城門。くぐると、歓声に包まれた。城内の方々から兵が身を乗り出し、声を上げている。城の中は、沸きかえっているようだった。


 ファルクの姿は、その中に見えない。あれで、兵たちの間にはよく顔を見せる男だ。この場にいないのは、意外にも思えた。


 猟犬、という声。にわかに聞こえた。ギルベルトは手を挙げて応える。それで、兵たちはいっそう沸き立つ。歓呼の声が飛び交う中を、乗馬したまま歩いた。


「なんだ、猟犬とは」


 城門を抜け、厩舎で下馬すると、隣でレーヴェンが笑みを浮かべていた。兵たちも銘々めいめいに馬を馬房へといていく。何名かの顔が見えたが、こちらを見て笑っているようだった。


「俺のことだよ。あんたのように立派な綽名あだなじゃないがね」


「傭兵だったと聞いていたが、なるほど」


「おい、馬鹿にしたな」


 言うと、レーヴェンは手をひらひらと振って背を向けた。歩き去ろうとした彼に、何名かの兵士がすぐに駆け寄る。気づけばギルベルトの周囲も喜色を浮かべた者ばかりで、たちまち、兵に取り囲まれてしまった。


 死線を潜ったとは、思わない。ギルベルトは沸き立つ兵士の中で、ふと冷静になっていた。


 軽い敵だった。数だけを恃みに出てきたのかもしれない。戦いが終わってみれば、そう思える。この城をとせるならそれでいいが、出来ないなら、撤退する。そういう軍だったのではないか。


 ほんとうの目的は別にあるという気がする。やはり開戦直後に感じたように、時間稼ぎだったのか。北の争いに、この城を介入させないために。


「ギルベルト殿はおられるか」


 歓声の中に、鋭い声が飛んだ。人の壁を掻き分け、兵士が駆け込んでくる。ギルベルトは群衆を制し、兵を招いた。


「すぐに帰投せよとの命です」


「それは、聞いている。なんだというのだ」


 兵士はそこで僅かに狼狽えると、不意に、同じように人に囲まれるレーヴェンにも何か言いたげな視線を向けた。ギルベルトが声を上げると、彼もまた人を掻き分けてやってくる。


 兵の表情は、硬かった。


「すぐに、軍議です」


「だから、なんだというのだ」


 ギルベルトは、苛々しはじめていた。兵は周囲の者を窺うように視線を泳がすと、声を低くして囁いた。


「北のザラ平原で、青竜軍アルメが敗れました。敵軍がさらに北上、都ブラウブルクに接近中。ハイデル軍の指揮官コマンダントベイル・グロース殿が戦死。都の指揮官コマンダントヨハン・ベルリヒンゲン殿が消息不明。至急応援を、と」

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