ゴリアト
途中で、ディックと行き会った。数百を引き連れている。アルサスが騎馬隊を率いて戻ってきたことに、驚いているようだった。
「殿軍は」
「退却しました。ベイル殿も、周辺の者と一緒です」
「そうか」
ディックは、明らかな安堵を見せた。それでも、色濃い疲労は消えていない。髪は乱れ、鎧には剥がれた部分が見える。
「肩を」
彼の右肩から下が、だらりと下がっていた。肩当ても無くなっている。
「なに、どうということはない」
そうは言ったが、腕が上がらないのだろう。手綱を片手で握っていた。
「なぜ戻ってきた」
「私の隊は、まだ戦えますので。助けられる部隊は、助けます」
「そうか。そういうやつだよな、おまえは」
ディックは笑うと、兵の一人に声を掛けた。その兵が、携えていた槍をアルサスに差し出す。馬上で、それを受け取った。折れた自分の槍は、とうに
一群の馬蹄の音。半分に分けた騎馬隊が、合流のため戻ってきていた。分隊長から損害の報告を受ける。十騎ほど、やられていた。ただ、残っている騎兵たちの気力は、まだ萎えてはいない。
森の中では、まだ方々から声が上がっている。木々に遮られているが、たしかに戦いの声がした。どれだけ、自分たちはこの森の中で戦っているのか。もう、夜が明けてもいいと思えるような体感だった。
ディックが、一度頷いた。アルサスも頷き返す。それだけだった。振り返ることなく、彼は隊を率いて
「行くぞ」
自分も、自分の隊も、攻めることに長けている。戦況がこうなっては退却するしかないが、その最後まで攻め抜こうという気持だった。
森の中で、再び
一千の部隊は、分隊長ごとに、さらに四つに分けた。自分が率いる数は変えていない。騎馬隊が、こんな場所では不利になることも、無論、知っている。可能な限り、小さい人数で動き回りたかった。森を北へ抜けたところで、再び集結、ということにした。他の三隊が、掛け声とともに森の中へ消える。
赤竜軍が北への突破を狙っている。それは疑っていなかった。ベイルと自分の見立ては正しいはずだ。マルバルク城は放棄するだろう。この城を取ることが目的ではないからだ。振り返ってみれば、それが分かってくる。敵国の真中に居座ることの利点はない。しかし籠城の準備だけは入念にしていた。それに、騙された。気付くのがもう少し早ければ、一日、二日早く城を攻められた。こんな策に嵌められることもなかったのだ。
ひとつ、塊を見つけた。争いの塊。先頭で、アルサスはそこに突入した。突き抜けると反転し、さらにもう一度突っこむ。敵はやはり皆、
「ハイデルのアルサスである。おまえら、この槍にかかりたいか。退けば殺しはせぬ。真の
何人かが、まとまって槍を向けてくる。こちらも槍を振るった。二人をまとめて貫く。自分の背後から、部下がさらに数人を突き倒した。それで、残っている者は逃げ出す。
「次だ。北へ」
「北へ」
騎兵たちも、声を上げていた。北へ。容易に、突破などさせない。
いま、赤竜軍に追いつくことができれば、今度こそ背後を取れる。そこで、痛撃を与えたかった。この騎馬隊ならできるというのは、四日間の野戦で感じている。深追いだけはせず、ある程度で森に紛れて退くつもりだった。
塊の数が増えてきた。そろそろだ、とアルサスは思った。まもなく森を抜けるのだろう。
ふたつ、争闘の中を
木々の黒い幕を抜け出した。夜が明けようとしているのか、視界がやや明るい。
東西のあちこちで、小さな部隊が逃げていくのが見えた。味方ではなさそうだった。少人数で、密かな移動を続けていたのか。
そのうちの一団に、背後から突っこんだ。敵は、一部を残してさらに逃げ続ける。その一部を破っても、また次の一団が残ってこちらの相手をしてくる。そのうちに、敵はさらに逃げる。
はじめから、犠牲ありきの逃げ方だと、アルサスは思った。残る敵は死を厭わない男たちである。つまり、こちらへの攻撃に
「離れる」
アルサスは叫び、一度敵の
死ぬために、留まっているのだ。確信した。この数十人が犠牲になる間に、数百が北へ移動できる。こういう逃げ方があるのか。驚嘆の思いだった。
こちらも無傷というわけではない。すでに十数騎は失っている。追撃を、アルサスは
左の前方に、目を奪われた。何者かが、まだ単騎で戦っていた。数十名がそれを取り囲んでいるが、手出しをせず立っているだけ、という異様な光景だった。アルサスの部隊が現れたのを察知したようで、こちらへと向かってくる。
なにか、ここだけは潰さねばならない、と感じるものがあった。
正面から、ぶつかった。反抗は、ここも強烈だった。一度では突き崩せず、転回してもう二度、突撃する。それでようやく、敵が割れた。
割れた敵兵の先に、二騎、騎兵があった。戦っている。
大柄な、二人の男。一方は大剣を振り回し、一方がそれを受けている。
剣を受けている男。この世のものではない気を発している。知らず、アルサスは戦慄した。
それに大剣を向ける男が敵将だ、とアルサスは直感した。あとは何も考えず、槍を持ってそこへ躍り込んだ。
「おう、新手か」
大剣の男が、そう叫んで馬首をアルサスに向けた。すかさず剣が振るわれてくる。とてつもない衝撃とともに、アルサスはそれを受けた。再び来る。両の手で槍を握り、二合打ち合った。
「おぬし」
今まで剣を受けていた男。アルサスは呼びかけた。眼が燃えている。剣を構えている。
「
「そうだ。ハイデルの
そこまでで、アルサスは何も言えなくなった。
「ヨハン・ベルリヒンゲン。頼む」
男が、それだけをぽつりと言った。たしかに、アルサスの耳に届いた。男の眼から、
男が、落馬した。敵の将校。襲い掛かっては、こなかった。落馬した男を、じっと見つめていた。
「戦士ゴリアト。見事だった」
敵将は剣を下げ、左胸に当てた手の指を立てた。アルサスは、地に落ちた戦士を見下ろした。ゴリアト。聞いたことのない名だった。
「アルサスとかいう、おまえ」
大剣の男が、馬上で剣を構えたまま、呼びかけてきた。
「この戦士、弔ってやれ。同じ戦士なら」
拙い言葉。この国の知っている言葉を繋いでいるだけ、という感じだった。
「言われずとも」
「俺は、
「アルサス・シュヴァルツ。
「東に、逃げた部隊がある。ヨハン・ベルリヒンゲンは、そこにいるかもな」
「なぜ、それを私に言うのだ」
「戦士ゴリアトのため。まあ、そんなところだ」
言い残し、男は
下馬し、アルサスはゴリアトという男の傍に
間違いなく、死んでいた。アルサスがここに現れる前から。しかし、戦っていた。
開かれたままの眼を、指先で閉じた。剣を握ったままだったが、それはそのままにしておいた。
何も言わずとも、騎兵たちは皆、馬を下りていた。
「守ろうとしたのだ。ヨハンという男を。そして、守り切った」
そのために、死ぬまで戦った男。いや、死んでも戦った男。
アルサスは、左胸に掌を当てた。眼を閉じる。ゴリアトの眼に見えた
眼を開ける。明るい、と思った。東に目を向ける。夜は明けていた。陽が射して、空が白んできている。
東に向かったという男をどうするか、アルサスは考え始めていた。
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